15話 風声鶴唳
──瑞樹 結衣──
「ほら、もっと笑えって直哉!」
「お、おう……」
「ちゃんとポーズとって、直哉君」
「こ、こうか……?」
『はい、ち〜ず☆』というやったら明るい声とともに、備え付けのフラッシュが私達を一瞬照らす。
『らくがきコーナーは左側にあるよ〜☆』
というアナウンスとともに撮影が終了する。直哉はこういう場所は初めてらしく、少し緊張気味のようだ。
「あはは、直哉、ちゃんと笑わないとダメだぞ?」
「そうよ、なんでそんなに固くなっちゃってるの?」
「あー、いや、どうにも慣れなくてな……」
頬をぽりぽりとかきながら私たちから気まずそうに顔を逸らす。こういう初々しいところは、可愛いんだよなぁ。
ここは先程出てきたファミレスから少し歩いたところにあるゲームセンターの一角。なんとなく直哉との記念みたいなものが欲しかった私はプリクラを撮りに行かないかと直哉にねだってみた次第である。
らくがきコーナーでスタンプをぺたぺたはってみたり、美紅といろんなペンでありがちな文字を思うままに書いていく。
その中で、私の頭の中にはまた、違う思いがあった。ちら、と美紅の横顔を見る。楽しそうに頬を緩めて画面を見ながらペンをスクリーン上で走らせている。
私が引っかかっているのは、美紅のさっきの表情だ。
ついさっき、私が直哉にプリクラへ行こうと誘っているとき、横で歩いていたはずの美紅がいつのまにか数歩後ろで止まっていた。
その時の表情は、俯きがちになにかを耐えるように下唇をぐっと噛み、顔に影を差しているような表情だった。その顔を見た私は、漠然と、美紅が今にも壊れてしまいそうだと思った。
そして私は思わず美紅に手を伸ばそうとしてた。でも、その手を出す前に、もう美紅は顔をあげてた。
「百衣さん、どうかしたか? ……百衣さんも、来るよな?」
(直哉…………)
直哉は、美紅のこともちゃんと見てた。私が見てるより、ずっと。
その時の美紅の表情、すぐわかったよ。やっぱりな……でも、仕方ないよね。……だって、直哉なんだもん。
美紅は直哉の手を見つめて表情をグルグルと変化させていた。嬉しい、悲しい…ポジティブな感情も、ネガティブな感情も全部混ぜ込んで、最後に美紅は、今にも泣きそうな顔をしながら直哉の手を取った。
そのまま直哉は大事に丁寧に美紅の手を引いていった。美紅があの時どうしてあんな顔をしたのか、私にはわかる気がする。それはきっと、私のため。なんて言ったって美紅、お人好しだから。
まだ付き合いは一ヶ月と少しだけど、私は美紅のそんなところをよく知ってる。中学のやつらみたいな上辺じゃなくて、美紅は人のことを思いやって、自分すら犠牲にできる人。私はそんな美紅が大好きだけど、私のために犠牲になってほしくはないんだよ。
だからだと思う。『今こうやって私の横で楽しそうに笑ってくれることが嬉しい。』そう思えるのは。
でも、私も直哉のことが、やっぱり好き。だからそれは譲れない。
あーあ、直哉が悪いんだよ。これでも私たち、一年の美女2TOPなんて言われてるんだからね。
思わず、「ふっ」と笑みを漏らす。それに気付いた美紅が、私を見て首を傾げる。
「どうかした?」
「ん……いや、なんでもないよ」
「む、なんでもないって言われると気になるじゃない」
「ううん……大したことじゃないよ」
「…………そっか」
私達は再びスクリーンに向き直ってペンを握る。画面に映る直哉も、なんだか気まずそうないつもの顔をしてた。
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「ははは、見ろよ直哉! すっごい目がおっきくなってるぞ!」
「おいおい……なんだこりゃ、俺じゃないみたいだな」
「ふふ、これはこれで可愛いけれどね」
口元に手をやって小さく笑う美紅。すごく絵になる。……私もああやったらどうなるのかな…
「可愛いなんて言われてもな…まだ格好いいとかのほうが……」
「んー? 言われたいのか? カッコいいぞ、直哉」
「ち、違う……そうじゃなくてだな……ああ、もう……」
顔を手で押さえて顔を背ける直哉。その手の下はどうなっちゃってるのかな? 私に言われて照れてるなんて、直哉…やっぱかわいいな。
「ああ……クソ……ちょっとトイレ行ってくるわ」
また行くの? とも思ったが、多分恥ずかしくて今だけちょっと逃げたいのだろう。私も美紅と少し話したいことがあるし、好都合かもしれない。美紅も私と同じ考えなのか、いつものように微笑んでいる。
「ん、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
二人で口々に送り出してやると、直哉は頬を染めて頬をかきながら歩いて行った。
二人になり、会話が途絶える。喧しいゲームセンターの音も、今は静かに聞こえた。
「あの、さ……」
初めに口を開いたのは美紅だった。
「私は結衣に、謝らなきゃいけないことがあるの」
私はそんな言葉を、心の中で鼻で笑った。
「あのね、私、直哉くんのこと……」
「わかるよ」
「……へ?」
素っ頓狂な声を上げる美紅。今更そんなことが分からない人間がいるのかと笑いが込み上げてくる。
「直哉のこと、好きなんでしょ?」
「…………うん、好き」
俯いたまま、ぽつりとこぼす。そして、ぽつぽつと話し始めた。
「…………初めは、ただからかってるだけだった。前より表情が豊かになって、恥じらったり動揺したりする直哉くんがかわいいなって…それだけだったの」
ああ…わかるなぁ。
「……でも、直哉くんの優しさに触れてく毎に、もっと触れたくなって……さっき、直哉くんは私のこともちゃんと見てくれてるんだって思ったら……ね」
「……ふふ、だからあんな顔してたんだね」
「そ、そんな顔してた……?」
頬を両手で押さえて驚きに目を見開く美紅。
「うん、そりゃあもうひどい顔」
「ええ……やだな……」
「……でも、すごく可愛かった」
「…………へ?」
そう、すっごく、可愛かった。これが恋する乙女なんだなって、そう思った。
「私も、直哉が好き。でもね、美紅が謝ることなんてないよ。……だって、直哉なんだよ? 惚れない方がおかしいって」
「ね?」と肩を竦めておどけたように笑ってみせる。これは私の本心。だって、あんなに優しくて気遣い上手で、たまに可愛くて……そんな直哉に、惚れない人なんかいない。
それを聞いた美紅はフッと肩の力を抜いて、いつもの笑みを浮かべながら「そうね」と呟いた。
「むしろさ、私たち二人で迫れば直哉も落とせるんじゃない?」
「ちょ、ちょっと……それはどうなのかしら……」
「私、美紅とだったら分けあえる気がするなぁ」
そんなことを言ってみる。だって、美紅とだって、ずっと友達でいたいもの。
「……ふふ、そうね、それも悪くは──」
その時、最低で最悪な声が聞こえた。
「ねえねえ、君ら、今二人なの?」
「一緒に遊ばない?」
チッと思わず舌打ちをする。こんなタイミングでまたこんな奴らに絡まれるなんて……
私は美紅を守るように美紅の手をきゅっと握る。握った美紅の手は少し震えていた。きっとこんなこと初めてなんだろう。
「……ツレがいるんだ。あんたらはお呼びじゃない」
キッとそのクズどもを睨む。しかしそいつらの軽々しい笑みはなお崩れることがない。
「まあまあそう言わないでさ、金とか俺らが持つし」
「ツレって女? それならその子も一緒に遊ぼうぜ」
「…………男だ、あたしらはそいつといるから、もうほっといてくれ」
そういうと、片方の男が「ひゅーぅ」とムカつく口笛を吹いて言った。
「へぇ? その男は君ら残してどっか言っちゃったワケ? そんなのよりさ、俺らと行こうよ」
「テメェらと一緒にすんなよ。さっさと失せろ」
直哉を侮辱された怒りからか、思わず語気が強くなる。手にかかる力が強くなる。……いや、これは私が強く握ってしまっているのか。
「じゃ、君はいいよ。そっちの子は行きたそうだね? ほら、行こうよ」
なにも言えない美紅に対してそんなご都合解釈をしながら、美紅の手首を力任せに掴む男。
「いやっ! 離してっ!」
「オイ! 離せよっ! 美紅が行きたがってるわけないだろ!」
その言葉を聞いたその男は、顔に貼り付けた気持ち悪い笑みをぐっと濃くした。
「へぇ、美紅ちゃんって言うんだ……いい名前じゃん、よろしくな、美紅ちゃん」
美紅の顔が強張り、「ひっ」という声にならない悲鳴が漏れる。私はまた何もできない無力に歯噛みした。
「おら、行くぞ」
「やめっ……離してっ……」
いやいやと首を振りながら涙を目に浮かべて抵抗する美紅。
やめろ、そんな言葉が出るより先に、男は足を止めた。
「…………あん?」
男は美紅を振り返る。いや、正確には美紅の手首を掴んだ自分の腕だ。そしてそこにはがっちりとその腕を掴む手があった。
「なんだよ、お前」
「……関係ねぇだろ、離せ」
そう、そこには、あの日私を助けてくれた人がいた。
「あん? もしかしてお前あれか? さっき言ってたツレか?」
直哉は何も言わず、ただぎりぎりと腕を掴んで離さない。
「お前、そんなかっこつけてどうする気だよ、やめとけって」
ヘラヘラとしながら直哉を見下す男。しかし、次の瞬間、そのムカつく面はどこかへ消えた。
「離せよ」
心の奥を揺らすような低い声。相手に否が応でも恐怖を覚えさせるような……怒りの声。
「直哉……もしかして、怒ってる?」
いつも温厚で気まずそうに頬をかいている直哉が今、静かに、しかし確かに、怒りを露わにしている。
「……っ! な、なんだお前、いい加減にっ……いたたたたたた!!」
ギチギチと音を立てて男の腕にめり込んでいく指。それにたまらず男は美紅の腕を離した。
「直哉……くん…………」
美紅は掴まれていた手を抱き込んでポツリと直哉の名前を呟く。そしてその視線の先にいるのはいつものように自然体で立つ直哉。でもいつもと違うのは、そこに纏っている雰囲気。
「ク、ソがぁっ!」
ブンッと空気を唸らせて拳を振るう男。
「直哉くんっ!!」
美紅は今度こそ叫んだ。私も、こればっかりは心臓がきゅっと縮む。でも、分かってる。心配するようなことにはならない。
──パパンッ!
弾けるような音が二度。直哉は左腕を振り抜いた状態で直立している。対して男は訳の分からない顔をしながらガクッと膝をついた。そんな男を、直哉は冷たい目で見下ろしている。
「テメェ……調子のんなっ……!?」
その意気込んだセリフは言い終わることはなかった。傍から飛び出してきたもう一人の男の顔面に食い込むアイアンクロー。悶絶するほどの痛みに男の顔が歪む。
「いででででででで! やめっ、やめろぉっ!」
直哉はギチギチとその男の顔を握ると、そのまま膝をつく男の横にぶん投げた。
「うぎゃっ」と言う情けない声をあげて床に転がる男がどうにも滑稽だった。
そして、直哉がただ一言、静かに告げる。
「失せろ」
直哉の怒りが滲み出た、たった三文字の言葉。その言葉と直哉の圧力にすっかり怯えたその男共は、すごすごと退散していった。
それを見届けた直哉はくるりと振り返り、そして……
美紅を、強く抱きしめた。
「……へっ?」
困惑の声をあげる美紅。それもそうだろう、意中の人から抱きしめられる、これ以上に驚くことなんてないのだから。
「…………ごめんな、怖かったよな」
抱きしめたまま、静かに呟く直哉。その言葉は、さっきの怒りとは違い、慈愛の色に満ちていた。
「…………うん、でも……直哉くんが来てくれた」
「…………ちょっと遅かったよ」
「……なんともなかったよ」
「…………それなら、よかった」
より強くぎゅっと美紅を抱きしめる直哉。それに対して嬉しそうに背中に手を回す美紅。私はそれを見てまず思ったのは、良かったね、ってこと。でもやっぱ、羨ましいな……
「な、なぁ……直哉……私も、怖かったんだけど……」
美紅を抱きしめているにも関わらずそんなことを言ってみる。我ながらずるい女だと思う。
「……あ、えっと……そう、だよな……ごめんな?」
多分、思わずってところだったのだろう。直哉は自分がなにをしているのか気付き、ぱっと美紅から身体を離した。美紅は少し名残惜しそうな顔をしていたが。
「ち、違うよ! そうじゃなくて!」
「ん……えっと……?」
「そ、そのさぁ……わ、わかんない?」
「あー、そう、だな……」
私はもじもじとしながらなんとか気づいてほしくて言葉を紡いでいく。でも、やっぱ言わなきゃダメか、なんて思ったその時、ふわりと何かが私に覆い被さった。
「こう……かな……」
困ったような動揺したような、いつもの直哉の声が聞こえる。そして今私がいるのは、直哉の優しい腕の中。心拍が上がる。でもそれとは裏腹に、心が安らいでいく。
「うん……こう……こうだよ……」
私は幸せな気分そのままに、直哉の鼓動が聞こえる胸にそっと頬ずりをした。
書きたいものが多すぎて困っちゃいますね〜(๑°ㅁ°๑)
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