きいろさん
別の短編「呪い」で触れた、親戚の看護師であるA子さんから聞いた、別の怪異譚。
A子さんが勤める病院に、看護師達の間で噂されてきた都市伝説があった。
その怪異の名は「きいろさん」
A子さんによると、長く語られてきたせいか、色々な設定が加わっており、話す人によって内容に差異が出るようだが、概ね以下の通りだそうだ。
①姿は子どもみたいな、小柄な体形
②顔が見えないので、性別は分からない
③大抵、夜の病棟に現れる(特に雨の日が多い)
④現れる時は、黄色い雨合羽みたいな外套にフード、長靴であることが多い
そして…
⑤「きいろさん」と会話したら、捕まって、連れ去られてしまう
また「きいろさん」は見える人と見えない人がいるようで、一度見えると、以降は時々見えたり、視界の端をフッと横切ったりするらしい。
ありきたりな怪異譚ではあるが、見ただけなら別段何も起こらず、薄気味悪い以外は特に被害は無いとされた。
そして、実際に連れ去られたという被害者の話も無かったという。
ある時。
新しく入院していた患者の一人が、稀に見る問題児だった。
まだ若く、やんちゃだったその男性患者は、他の患者や見舞客とトラブルを起こしたり、禁止されているのに喫煙・飲酒を繰り返したり、看護師達にちょっかいを出したり、まさにやりたい放題。
A子さんも手を握られたり、身体を触られたり、散々だったそうで、担当になった看護師達は、常に警戒していた。
その日も、病室での使用を禁止されている携帯電話での通話を行い、A子さんや先輩の看護師達が注意した。
が、その場は「はいはい」と聞き入れるものの、しばらくすると他の患者さんから通報が入り、その度にしらばっくれたり、開き直ったりしていたそうだ。
そんな感じだったので、看護師達の業務にも支障が出始め、遂に婦長が動いた。
婦長は、上層部にも報告した上で、男性が禁止事項を繰り返すことを指摘し、あまり酷いようなら転院や退去してもらうことを直接告げた。
男性は表面上は神妙にしていたが、それを見抜いた婦長は、おもむろに言ったという。
「これ以上、注意を聞き入れられないなら、考えがあります」
そう言うと、何を思ったのか、婦長さんは「きいろさん」の話をし始めた。
傍にいた看護師達は、みなびっくり。
現実的に考えれば当然だ。
最先端科学を取り扱う医療の現場で、言うに事欠いて、怪異譚を話し始めたのだから。
呆気にとられている男性や一同に、婦長は最後にこう告げた。
「どうやら、貴方は怖いもの知らずのようだけど『きいろさん』を見ても、平気でいられるかしらね?」
そう言い残し、婦長は男性患者を尻目に退室。
A子さん達も後に続いた。
ナースステーションに帰ると、皆が不安そうに婦長に聞く。
だが、婦長はニコニコ笑うだけで「心配ないわ」と言うだけだった。
そうして数日が経った。
婦長の通告ですら聞き入れなかった男性患者は、やはり周囲への迷惑行為を繰り返していた。
が、ある日を境に、その傍若無人ぶりがピタリと止んだ。
それどころか、以前とは別人のように大人しくなってしまったという。
私がその理由をA子さんに聞くと、
「何でも、その男性『きいろさん』に会ったらしいよ。それも真昼間に」
と答えた。
ここからは、A子さん自身も同僚の看護師から聞いた話だという。
男性患者…仮にBとしよう…は、婦長から聞いた「きいろさん」の話にいたく興味を持ったらしい。
とはいえ、よくある「お調子者が目立ちたいだけで、馬鹿をやる」的なノリだったらしく、無謀にも「きいろさん」の正体を確かめてやろうと、深夜、こっそり病室を抜け出し、木刀を手に病棟をうろつきまわったそうである。
しかし、一向に「きいろさん」は現れない。
いい加減、人目を忍んでの深夜徘徊も飽きてきたBは、普段足も運ばないような場所にも忍んで行ったらしい。
そんなある日。
その日は、朝から薄暗く、雨が降っていたそうだ。
いつもより見舞客や急患も少なく、病院全体が落ち着いている中、Bは昼寝をしていた。
深夜徘徊を行っているから、昼間眠くなるのは当然だろう。
おかげで、看護師達も他の患者も、安心して仕事や治療に専念できた。
そんな中、突然…
「ぎゃああああああああああああああああっ!」
物凄い悲鳴が、Bの病室から聞こえて来た。
それは静かだった院内に響き渡り、異常を察した医師や看護婦、野次馬の患者も集まり、Bの病室に踏み込んだ。
すると、ベッドはもぬけの殻。
室内を探すと、窓際の部屋の端っこで震えるBが見つかった。
見た感じ、怪我などは無く、失禁している他は五体満足だった。
助け起こし、一部の人間だけで聞き取りを行うと、Bは震えながら語り出した。
昼寝中だったBは、尿意を感じて目を覚ました。
そこで、トイレに行こうと身を起こすと、薄暗い室内に誰かがいる。
見ると、黄色い雨合羽に長靴、フードで顔を隠した子供だった。
無論、知り合いにそんな心当たりはないし、誰かが子連れで見舞いにくるという知らせもない。
なので、Bはてっきり他所の子供が迷い込んだのだろうと声を掛けた。
だが、黄色い合羽の子は答えない。
雨の中を歩いてきたように、全身から水を滴らせ、ただじっと立っていた。
いぶかしんだBが声を掛けるが無反応。
Bはイラつき、子供を追い出そうとベッドから降りようとして、ハッとなった。
こいつが「きいろさん」だ
Bは枕元に隠してあった木刀へ手を伸ばした。
探し回っていた相手が目の前にいる。
怪異だろうと、構うものか。
気付いていない振りをしつつ、声を掛けながら、Bは遂に木刀を掴んだ。
そして、一気に「きいろさん」に詰め寄り、木刀を打ち下ろした(よく考えれば、物騒な話だ)。
しかし。
手ごたえが全く無い。
見れば「きいろさん」は消えていた。
慌てて見回すも、室内は無人だ。
さては逃げたか。
やっぱ、俺強ぇ!…と、一人笑っていたその時。
突然、窓ガラスが「バン!」と音を立てた。
ビクッとなって振り向くと…
何と、窓の外に「きいろさん」がヤモリのように張り付いている。
呆気にとられるB。
そのBに向かって、窓ガラス全体を揺らしながら「きいろさん」が喋ったという。
それを聞いたBは絶叫を上げた。
木刀を放り出し、逃げ出すが、何故か部屋から出られない。
そうしていると、鍵がかかっていたはずの窓が徐々に開きだす。
そのわずかな隙間から「きいろさん」が、大きなナメクジのように身体を変形させ、部屋の中へやって来た。
その異様な姿を見た瞬間、Bはなりふり構わず悲鳴を上げて室内を逃げ回ったが、遂には部屋の隅へ追い詰められた。
そこで部屋の外が騒がしくなり、皆が入って来たという。
その時には「きいろさん」の姿は、かき消すようにいなくなってしまったらしい。
その後、大人しくなったBは、程なくして転院した。
その時には、婦長をはじめ、現場のスタッフに平伏せんばかりに謝罪したという。
婦長は、そんなBに特に何も言わなかったが、A子さんは「『きいろさん』について、婦長は何か知っていたのかも知れない」と感じたと言っていた。
最後に、私はA子さんに聞いた。
「きいろさん」は、窓越しにBへ何て言ったのか?と。
すると、彼女は言った。
「『きいろさん』はこう言ったそうよ」
いっしょにいこうよ
Bがその後どうなったのか、A子さんも知らないそうだ。