後編
「先輩、どうしてここの三年生の制服を着てるんですか?初対面が先輩だったのでずっと先輩として接してますけど、ここの生徒じゃないんですよね?」
入学早々僕の前に現れた先輩は、僕が子供の頃に救うことができなかった猫だった。
ただし、人間の姿をした猫だった。
「ああ、違うよ。でも、何だかここの制服が気に入っちゃってね。最近のお召し物はもっぱらこれさ」
「そのお召し物のせいで先輩との距離感を測りかねているんですけど…。先輩は僕にどう接してほしいですか?」
「好きにして構わんさ。私は接し方一つで態度を変えるような器の小さい奴じゃないよ」
「銀子、スキップなんてしちゃって上機嫌だね」
「…先輩で頼む」
今日は変な日だ。彼女に会った時「この人は春の陽気で狂っているのか」と思っていたけれど、実は春の陽気にやられているのは僕の方なのかもしれない。
屋上から一階へと向かう階段の途中でそんなことを考える。ふと鼻をくすぐって出たくしゃみは案外花粉のせいなのかもしれない。
微かに耳を通る二時限目のチャイムで少し冷静になった僕は、うさぎの世話を依頼する猫の存在に今更クエスチョンマークを浮かべていた。
「ここがうさぎ小屋だよ!」
彼女が得意気に指をさした方に目をやると、そこには年季の入ったお世辞にも綺麗とは言えない素朴な小屋がポツンと建っていた。
うさぎ以外の動物はおらず、孤独が天敵だなんて説話を信じるのであれば、それはもう劣悪な環境と言ってもいいほどだろう。
「どうやらずっと唯一の飼育係だった子が新年度から不登校になっちゃったみたいでね。今は先生方がお世話をしているという状況だ。
そこで君にその代わりを頼んだというわけだ」
「先生がお世話してちゃマズいんですか?別に死にはしないでしょ」
「ダメだ若人!こういうのは生徒がすることに意義があるんだ。若い頃から自分たちとは違う命に触れておくことで倫理観や道徳観を鍛えないと」
「教育への熱がすごいな」
猫らしさの欠片も無いそのもっともらしい考えに何とも言えない気持ちになる。
でも裏を返せば、人間を客観的に見ることのできる存在だからこその考えなのかもしれない。
「ていうか先輩は、銀子はなんで人間になってるんですか?そこら辺何の説明も無いまま雰囲気で流されちゃった気がするんですけど」
「ぎくっ」
「何か隠そうとしてません?」
「ぎくっ」
隠そうとしているらしい。今ハッキリとわかった。
「は、話が脱線してしまった。生徒にうさぎ当番をやってもらいたい理由の一つに大人の先生ばかりだとうさぎちゃんが退屈しちゃうっていうのもあるね。やっぱり若い学生の話の方が面白いみたいだ」
「何だかまるでうさぎが人間の話を理解してるみたいな言い方ですね。ここのうさぎも先輩みたいに人間になれたりするんですか?」
「あぁ、なれるよ」
そんなあっさりと。おとぎの世界かここは。
「まぁ、とは言っても実際に人間の姿になるわけじゃない。私の力で人間の姿として見せるだけだ。幻術みたいなものだね」
そんなあっさりと。おとぎの世界かここは。
「ますます先輩が何者なのかわからなくなってきました。魔法使いか何かなんですか」
「ふふふ、気になるだろ。だが!気になったままでいるのも乙なものだと思わないかい…?」
「思いません」
「そうか…」
折れるのが早い。
「にゃんセンパイは猫又なんですよー」
「なっ…!」
突如自分の前から聞こえた聞き馴染みの無い優しい声の方に目を向けると、そこには白いワンピースを纏った少女が純朴な笑顔で座っていた。
「お前!勝手にその姿になった上にサラッと私が隠してたことを言いやがって!聞こえたらどうするんだ!」
流石にこの距離で聞こえてないわけは無い。
「あれ、にゃんセンパイ猫又だって隠してたんですねー」
「お前ずっと話聞こえてただろ!!」
「あの、先輩。この方は誰ですか?」
二人の会話の中に一つ気になる言葉はあったものの、まずは目の前のミステリーを解決することにした。
「あぁ、コイツが例のうさぎだよ。名前はメイ。いつもは私の力で人間の姿にするんだが、かけられ慣れたせいか自分の力だけで人間になりやがった」
「よろしくねー」と言いながら立ち上がる彼女。見た目年齢は自分と同じくらいで、髪も黒い。ただ自分と違うところを挙げるとするならば、頭にぴょこんと生えたシンボルとしては単純すぎる二つの耳くらいなものだろう。
「何だか日常風景の中にポツンとファンタジーが立っているみたいで少し不気味ですね」
「まぁ慣れないうちはそうだ。じきに慣れていくよ。」
彼女は続ける。
「飼育係の内容だが、餌の補充や小屋の中の掃除に加えて、何かコイツに毎日そこそこ面白い話をする必要になる」
「めちゃくちゃ難しいこと言いますね」
「コイツは人間の話を聞くのが好きらしくてな。いつも飼育係の子が何気なく話す悩みを聞いてるうちに病みつきになったらしい。
もちろんその子はうさぎが人間の言葉を理解してるなんて思ってないがね」
「たまに先生や用務員さんが話してくれることもあるんだけど、何だか軒並み面白くないんだよねー」
「結構無慈悲なこと言いますね」
その後先輩から小屋の掃除の仕方や餌の与え方など様々なことを教わった。まだ一度も「やります」とは答えていないことに彼女は気付いていないのだろうか。
しかし、飼育係の子が不登校になったという話をした途端メイが「何が原因だ」「いじめですか?犯人を食み殺します」とキャラを変え殺気立っていたので、それを抑えるためにしぶしぶうさぎ当番を引き受けることになった。
「以上で当番の仕事内容はおしまいだ。何か質問はあるか?」
「先輩猫又なんですか?」
「終わった…」
零コンマ数秒、彼女は膝から崩れ落ちた。まるでアンゴルモアを目の当たりにしたかのような表情だった。
「メイさん、先輩が猫又って知られたくない理由でもあるんですか?」
放心状態の彼女を横目に、こそこそと小屋に近づいてメイにそう尋ねた。
「あーそれはねー、多分軽い女だって思われたくないからだと思うよー」
「軽い女?」
猫又って“猫股”って書くこともあるけど別にそういう意味じゃないと思うんだけど。
「猫又がどうやって生まれるかは知ってる?」
「確か人間に飼われている猫が長生きしてるとしっぽが分かれてきて猫又になる…みたいな話ですよね」
銀子の世話をしていた頃、猫に興味をもって色々と調べたことがある。その時に猫又や金華猫みたいな猫の妖怪についての文献も色々読んだ。
「そうそう。でね、にゃんセンパイ、何で猫又になったかっていうと、野良猫だった時にキミたちにお世話されたことがキッカケなんだよ」
「僕達にお世話された…。確かに餌をあげたりはしましたけど、僕達別に銀子のことを飼ってはいないですよ?」
「そこがミソなんだよ!別に人に飼われてもない、なんならその時6歳だったらしいから長生きもしていない。それなのに…」
「それなのに…」
「ちょーっとお世話されただけで猫又になってしまったんだよ!」
「ああああああああああああああああああああ!!!!」
耳を塞ぎながらサイレンのように喚き散らす様子から察するによっぽど恥ずかしいのだろう。その感覚は人間百パーセントの僕にはよくわからないけど。
「先輩、猫又なんですか?」
僕が改めてそう彼女に問いかけると、数秒の間を挟んだ後、ゆっくりとこちらを向いて口を開いた。
「…あぁ、そうだ。私は猫又だ。君達にちょっーと優しくされただけで尻尾を開いてしまう軽い猫だよ」
「言い方が悪いな」
彼女は不貞腐れた顔をしながら両の腕で長い髪を掴み、猫又特有の二つの尻尾を表現して見せる。
「にゃんセンパイ、よくあなた達のことを話してたから、私のお世話に来ると色々話が聞けちゃうかもよー」
「だーーー!!やめろーーーー!!」
彼女はメイを囲む檻をドンドンと叩き、恐らく恥ずかしさだと思われる感情を鉄のサンドバッグにぶつけている。猫っぽい。
「今日はもう解散だ解散!傘宮くん!伝えることは伝えただろ!君はもう帰っていいよ!」
「僕を半ば誘拐みたいな形でここに連れてきておいてそれは酷くないですか。それに今日は…というより、明日からも僕教室に入りづらいんですけど…」
彼女が最悪な場所で僕に声をかけてきたせいで、入学早々僕にイマジナリーフレンドがいるイメージがついてしまった。
なるべく早急にそんなイメージは払拭したいけれど、どうしたものか一向に見当がつかない。
「…仕方ないね。私のねこねこパワーでどうにかしておくよ。明日あたりにご期待さ」
「そんな適当な…」
ふわふわとしたニュアンスの羅列に底知れぬ不安を覚える。ねこねこパワーって何なんだ。
「傘宮…クン?は明日も来てくれるんだよね?」
疲れてしまったのか檻の中であぐらを掻き始めたメイは上目遣いでこちらを見つめそう言った。
「まぁ当番になっちゃいましたし来ると思いますよ」
「じゃあ明日もにゃんセンパイの楽しいお話聞かせちゃおうかなー。もちろん、傘宮クンのお話と交換ね」
「…一人で人間になれるみたいだし明日は来なくてもいいかと思っていたが…どうやら私も顔を出さないとダメみたいだな…」
怒りなのか憂いなのか。複雑な面持ちのまま彼女は天を仰いだ。
「傘宮くんに会えばそろそろ成仏的な何かが来るかと思ったが、この様子じゃあ当分はこのままみたいだね」
「…銀子、成仏とかするのか」
「正直私もよくわかっていないんだ。死んでいるのかもわからない。君達には私はこうやって見えている、でも、この世に私の実体は無い。形あるものに終わりが来るのは自然の摂理だけど、形があるのかさえも不確かなんだ」
そうやって彼女は僕の背中を叩いた。しかし、叩いた手は僕の背中をするりとすり抜け、その柔らかそうな掌は僕の腹部から顔を見せる。
酷い咳をしながら銀子を撫でていた頃を思い出す。銀子の温もりは人間のそれとはまた違う、猫特有の温かさだった。
「いつか…」
ふと口を突いて出た言葉は。
「いつかまた銀子を撫でられたらいいな」
「…そうだね。私も君達に撫でられるのは嫌いじゃなかったからね」
彼女は続ける。
「…もっとも、君は猫アレルギーだからどちらにせよ無理かもしれないね」
「確かに…」
意地悪にそうからかう銀子の笑顔はまるで桜の花びらを散らすあたたかい春の風のようだった。