噂の転生者
大変な騒ぎになった。
どうやらこの世界では夢を夢として馬鹿にせず、信用する人が多いらしい。
信用されるのにも原因がある。
俺が聖樹の瞑想場で夢を見たことだ。
聖樹の瞑想場はもともと神託を授かる祭壇だったが、今では神託を授かるような巫女や賢者がほとんどいなくなり魔法を学ぶ瞑想場として利用されている。
その上、俺が見た夢の神様の姿形が賢者ロシピュール様とよばれている救世主にそっくりらしい。
長くて白い髭を生やしたみすぼらしい小柄な老人、って情報だけなんだけどもさ。
そんなこんなで転生から一ヶ月、俺の話をすっかり信用した人々が人が俺を訪ねに来て、脳みそがパンクしそうになる。
歩くこともままならない重病人や町のえらい役人など本当に様々だ。
もともと人間関係は苦手なのでどんな顔をしたらいいのかわからない。
しかも、俺が魔法を上手く扱えないと知ると怒る始末だ。
俺は夢で見たことの一部を話しただけなんだが・・・。
勝手に期待して、怒っていく人たちの怒鳴り声を聞くと気が滅入る。
俺が転生する前に修行していたは、回復魔法を扱う聖樹神殿。
高度な回復魔法に特化した神殿で、俺を訪ねてくる人たちは病に悩む人が多い。
期待して訪ねて、ただの神官見習い、それに回復魔法が低レベルのものしか使えないと分かって怒るのは理解できるが、俺の気持ちも分かってくれといいたい。
これでは転生する前と変わらないじゃないかと思いそうになるが、そうではない。
なぜなら魔法があるからだ。
これは非常に興味深い現象だ。
ファンタジーにありがちな魔力で奇跡を起こし、たちどころに傷を治す瞬間は科学者魂を刺激する。何が何でも習得したい、そう思って瞑想場に籠もるとストレスなんて感じない。
考えたり、研究することが三食よりも好きなのだ。
考えながら自分の魔力を使い、魔法を学ぶのは楽しい。
魔法が楽しいと思うのは、この世界の魔法が単純に呪文を唱えてすぐにできるものってわけじゃないこと。
そして、その魔法には俺の知識が役に立つということだ。
魔法を学ぶ基本則として、存在に耳を傾けることが必要になってくる。
自分以外の物と魔力をつなげ、その物がもつ強みみたいなものを魔法として取り込む。
たとえば俺が学んでいる回復魔法は、植物が持つ神秘的な再生力や長寿性を魔法の形にする。
言葉に表すのは非常に難しいのだが、要は自分が植物になったように感じることだ。その際に細胞がどのように再生していくかの知識があればより理解しやすい。一度植物の気持ちを理解できれば、その再生力を魔法として発揮することができる。
まぁ、伝説級の高レベルな治癒師は植物と一体化しすぎて、感情がなるという弊害はあるらしいが。
魔法を学び始め、聖樹とつながっているとストレスが感じないのはそういったことかもしれないが、まだ実感はないけど。
で、俺が科学の知識で魔法を学んでも、たいした魔法を使えないというのは魔力操作に原因がある。
どうやら俺の魔力操作はかなり下手くそらしく、疲労感で動けなくなるまで聖樹とつながってしまったり、適切な魔力で魔法を行使できない。
魔力がありすぎて、使える魔法の限界を超える、らしい。
魔力が多ければ多いほどいいというのは、幻想だった。
傷を治すには細胞を再生させる。
魔法では本来ゆっくりとした細胞の再生や復元を急速なタイムスパンで治してしまう。しかし、細胞を再生しすぎると今度は過度な再生で傷の周囲にある細胞まで壊してしまったり、老化させてしまったり、自己崩壊させたり、異常染色体の細胞を誘発させたりしてしまう危険な魔法となる。
魔法をちゃんと扱えるには、傷や病の再生にとって適切な魔力を見極め、どのように治すかが鍵となる。
あの神様が職人、といったことは本当だった。
魔力の操作は一朝一夕にできるものではない。
魔力を操作する感覚は、自分の肌の上に薄皮一枚ほどの気流を操作する。
これがまたまったく俺の意思の言うことを聞いてくれない。
左手だけで米粒に文字を書くぐらいに慣れない。
数多くの魔法の中で回復魔法は特に魔力操作が難しいが、そんなレベルを遙かに超えていると思う。
火の玉を出して攻撃する火の魔法とかはそこまで難しくないとのことだが、その代わり魔力操作を誤ると自分を火の玉にしてしまうらしい。
俺は回復魔法で安心と思っても、全身をがん細胞にしてしまうリスクもあるのでおいそれと使えるものじゃない。
せっかく魔法を覚えても怖すぎて使えないよ・・・。
ちなみに、魔法には呪文が必要にならないと感じるが、魔法使う際には唱える。
呪文はイメージを象徴化し、魔法を世界に干渉しやすくする効果がある。
身体強化なら自己暗示、遠距離の攻撃魔法ならその声が届く範囲で干渉力を持続させ、回復魔法なら高度な魔力操作と魔法行使過程を補助する。
これも理にかなっている。
物事にはタスクというものがある。
大ざっぱにいうと医者が手術するとき、いきなりメスを入れない。
メスを入れる場所を特定して、麻酔をかけ、消毒して、メスを入れる。
呪文はこの工程を象徴化し、適切な魔法処理を行えるようにする一種の確認作業だ。
熟練になってくると無意識にしてしまうが、それでもミスがでる。
それを極限まで無くすのが呪文の役割。
一歩間違えれば大惨事になりかねない魔法をちゃんと行えるようにする先人の知恵。
面白い。実に面白い。
この魔法という現象を俺のライフワークであった研究にどのように生かすかを考えると夜も眠れない。眠れないのに興奮してまったく疲れない。ずっとハイになっている。
俺の研究ではそれをゾーンと呼んでいる。
脳科学的に言えば、ゾーンは意識を司る脳の一部が活性化することで、よくスポーツ選手などに言われる極度の集中状態だ。
あまり論理的に書かれていない魔法書を自分の理解しやすい形にまとめて、想像を膨らませながら夜に読み進め、次の早朝から雑用をこなし瞑想場に籠もる。だけど疲れは全く感じない。いや、嘘だ。聖樹とつながるときに魔力をごっそり失うのでたまに起き上がれないこともある。数時間休憩すれば立ち上がれるようになるが、疲労は疲労。でも、頭は冴えて、本は読める。
しかし、そんな疲労なんて嬉しいぐらいだ。
転生前の仕事では毎日毎日ストレスで青白い顔をしていた。
いまはどうだ?
もうウッキウキで朝起きる。今日は何が分かるだろうと思って、楽しみで楽しみで仕方がない。雑用も鼻歌交じりで楽しめる。効率的に雑用をこなせばこなすほど研究に割く時間が増えるからだ。
「あ、おはよう、エリス」
朝、俺が神殿の厨房に入ると今日も美しくて長い金髪を揺らした美人の先輩神官が調理の準備をしていた手を止めて振り向く。窓から差し込む朝の光で、キラキラと髪が光り、ものすごい美人に見える。これで笑ってくれたらたぶん俺は惚れていただろう。惚れない理由は、彼女がイラッとした顔をしているから。
「今日も朝からヘラヘラして気持ち悪い」
「ありがとう。褒められていると思っておくよ」
俺の返事にまた目つきを悪くさせてエリスは作業に戻った。
ずいぶん激しい挨拶だがこれがエリス流だ。
翻訳すれば、おはよう、今日も良い天気ね、ぐらいに思っておかないと胃に穴が開く。
エリス・シャートー。
転生してから一番最初に知り合った人。彼女は姓があるのでどこかのご令嬢らしいが、わけありと回復魔法の才能があるためこの聖樹神殿で働いている。
俺よりも一年先輩で、魔力操作が天才的。若きエースとして神殿では喜ばれている。
少々、生真面目な性格からくるキツさはあるものの、俺の面倒をみてくれる頼れる先輩だ。
転生前の俺は天涯孤独の孤児で、行き倒れになっていたところを神殿に拾われた。
魔法の才能があるから拾われただけ。もし才能がなければきっと俺はそのへんでのたれ死んでいたかもしれない。
想像するだけで怖いことだ。転生前の記憶がないために俺にはそんな実感はないけども。
もしかしたら、あの神様というか賢者様が整合性を作り都合良く転生させてくれた可能性がある。
だって俺の顔や体型は転生前とまったく同じ。黒髪に普通の顔立ち、自慢は人よりも身長が高いぐらいか。この地方の人間じゃないらしい。出身はどこか遠い南の方。この世界にも日本があるのだろうか?
そんなことを考えつつも俺は軽く水鉢で手を洗い、エリスに並んで朝食の準備を手伝った。
聖樹神殿では食事は朝と夕方の二回。
朝が重めで、夕方は比較的あっさりしたものになる。
禁止されている食べ物は特になく、パン食中心の食事。
この世界に来て、パンというものを初めて作ったがかなり手間の掛かる料理だ。
まず、この世界にイースト菌はない。天然酵母だけで作るため非常に時間がかかる。
小麦粉と水、酵母、それに発酵を促すビールをちょびっと混ぜて、一次発酵から二次発酵させるのに半日。
前日の夕方に仕込んでおいて、火を消したかまどの近くなどの温かい場所で発酵させていたものを使う。気持ちの良い弾力でまんまるに膨らんだパン生地を決められた重さに切り分けるのけっこう楽しい。ふかふかで温かい生地を千切っていくのが気持ちいいのだ。 切り分けた生地を十分に熱したかまどで焼くのも見ていて飽きない。
が、じっくりと見ている暇はない。およそ25人前の調理。大量に下ごしらえした野菜を煮込んだり、ソーセージを焼いたり、卵を焼いたりして、朝は豪華。しかもだいたい神殿に勤めている人たちは朝が早いので手早く作る必要がある。
それがあるからパンとスープだけの簡単な夕食で、朝食の準備をすべてそのときにしておかなければならない。転生で目覚めた際にエリスが当番と言ったのはその下ごしらえ、芋やニンジン、タマネギなどの野菜を準備する係りのことだ。これがかなり大変。
ま、料理に加えて神殿の掃除もある。
全部し終わるのがだいたい正午過ぎ。そこから俺の魔法タイム。
おお、やる気が出てきた。
ささ、手早くパンを焼きつつ、ソーセージの群れをフライパンの上で踊らす作業をしたい。ぷりっぷりのソーセージたちはフライパンでも口の中でもダンスが美味いからなぁ。
さぁ頑張るか。
「・・・シン、あなたが町でなんて言われているのか知ってるの?」
俺が丹精込めて訓練したパン軍団を焼き板の上に整列させていると、ふいにエリスが聞いてくる。裸にされた野菜たちを水の張った地獄に突き落とす無慈悲な悪魔みたいだった。
「えー、たぶんあまり嬉しくないことだろうね。想像が付くよ」
最近、ようやく俺を訪ねてくる人たちも少なくなって魔法を落ち着いて研究できるようになっている。なぜ少なくなったかなんて、誰でも想像が付くだろう。
「嘘つき治癒師よ。悔しくないの? ヘラヘラ笑っているのが信じられないわ」
おお、隊列の編成中のパン軍団に奇襲をかけてくるエリスの嫌み。
しかし、我が指揮は乱れない。慎重に隊列を並べていく。
「そんなもんだろうね。でも悔しいと思ったところで魔法が上手くなるようなものじゃない。俺は俺でゆっくりと学んでいくさ」
「それよ、それ。あの日から妙に引っかかるのよ。その何でも分かってますみたいな顔は止めてくれない?」
雲行きが怪しくなってきた・・・。
俺は何かに没頭していると他の人の顔色を見ないことが多々ある。
誰かを不機嫌にさせてしまうようなことをしていたのだろうか?
途端に不安になってくる・・・。
どうしよ・・・。
待て落ち着け、俺。
こう言うときは深呼吸して瞑想だ。だてに瞑想場に籠もって魔法研究をしてきたわけじゃない。精神が不安定になると魔力操作が乱れて、魔法が使えなくなる。精神集中と平静さは魔法使いの必須事項。
ふー。
よし。瞬間瞑想完了。
俺はイライラと腕を組んでいるエリスに振り向く。
「イライラさせてしまったならごめん。俺も魔法を使えるように努力はしているつもりなんだ」
「それは・・・私も知っているわよ・・・。ただ、焦っているようには見えないから言っただけ。危機感がないの。ちゃんと回復魔法が使えないと神殿も面倒見切れないわよ?」
素直に謝る俺をバツが悪そうに目をそらして言うエリス。
ちょっとエリス翻訳機にかけてみよう。
翻訳「悪い噂が立っているから心配だわ」
ずいぶんと都合の良い翻訳機だ。まあそうでも思わないとストレスで押し潰されるからちょうどいいけど。
なんだ。エリスは心配してくれてたのか。
ついつい顔が綻んでしまう。
「ありがとう、エリス。心配してくれて」
「―――冗談じゃない。私は神殿の心配をしているだけよ!」
訂正。彼女は本気で怒っていた。
どうやら翻訳機は改良が必要そうである。
主人公のステータス(成績表)
シン・ウエムラ 25歳
見習い治癒師(聖樹神殿所属)
使用魔法
・逆ヒール・・・最低レベルの回復魔法。低度の火傷や擦り傷を治すが、魔力過多によって傷が酷くなる攻撃魔法(傷を受けていないと無効)に属する。
・逆キュア・・・最低レベルの解毒魔法。食あたりや低レベルの毒素を解毒するが、魔法過多によって毒の進行が早くなったり毒にかかりやすくなる。
魔法技術
★1で低級、★2で中級、★3で上級、★4で導師、★5で賢者
☆は半人前を意味する
★なしは素人(暴走を起こしやすい)
魔力量 ★★★★
魔力操作 なし
魔力制御 なし
魔法干渉強度 ★★
魔法習得度(感応率) ☆
※魔法技術項目については本編にて説明します。
※オール★2で中級魔法使いに認定されるわけではなくあくまで目安。認定には導師級の人の試験をクリアしなければならない。そのため無認定の魔法使いもたくさんいる。
基本的に主人公は上級以上の魔力で、魔法を暴走させている。
この世界の魔法使いにとって、魔力量の多さはアドバンテージになりにくい。努力によって技術が磨かれる魔力操作と魔力制御でカバーできるため。操作・制御できていない異常な魔力量をもつ治癒師はヤブ医者よりも質が悪いとみなされる。