神様に殺された日
気がつくと真っ白な空間に老人が浮かんでいた。
浮浪者のようにみすぼらしい老人だ。ぷかぷかと浮かび、何もない場所に杖を突いている。
それを突っ立て俺は見ていた。
「―――?」
思考が追いつかない。
なぜ浮いている。というかどこだここ?
辺りを見渡してもぽつんと自分たち二人しかいない。
「成功じゃの。さて・・・ワシが干渉できる時間は少ない。ちゃっちゃと進めようかの」
老人は満足そうにいうと、よっこらせと小さく呟いて空中にあぐらをかく。
「え? 進める? え?」
まったく分からない。
ここまで訳の分からない状況というのは経験したことがなくて、どうしよう?
「ふむ。混乱しているようじゃの。無理もないと思うが、落ち着いて聞くのじゃ」
ホッホッホと長い髭をなでつけながら老人は言う。
落ち着くことは大切だ。
落ち着けば落ち着くほど色々と思い出して焦ってくる。
さっきまで、ほんの一分ほど前まで俺はたしか仕事中でクライアントの工事現場で色々と話をしていたはず。
営業の家業はストレスがたまって大嫌いだけど戻らないとやばい。
「あの早く帰らせてもらえませんか? 仕事の途中なんです」
怖々と得体の知れない老人に聞く。
老人は白い髭をなでつけていた手をぴたりと止めて、じっとこちらを見てくる。
なんかダメなこと言ったかな?
「お主、仕事は好きか?」
「仕事? 好きじゃないですけど・・・生活のためですから」
なぜ仕事のことを聞いてくる?
「ストレスは感じるかの?」
「はい・・・夜も寝られないぐらいには」
そりゃ・・・感じるかどうかと聞かれたらものすごく感じる。
真夜中でも電話は鳴りっぱなしだし、怒鳴られることもある。
これでストレスを感じないヤツがいたらその人間の頭の中を解析したい。
もともと俺は研究者肌で、営業の仕事は向いていない。
大学院に進んで研究職につくつもりが、父親が倒れて学費が払えず卒業して急遽家業を継いだ形になる。大学四年生で就活に手が付けられなかったのもあるが・・・。
しかし、それとこれが何か関係あるのだろうか?
話が見えなくて、急に怖さも吹き飛んできたぞ。
新手のカウンセリングか何かか?
「そうか・・・まぁ別にそれが悪いとはいわないのじゃが・・・」
「はぁ・・・」
なんだこれ?
相づちを一応打ったけど、よくわからないな。
老人は気遣うような目でこちらを見て何かを言いにくそうにしていた。
「とりあえずお主の因果律をちょっと変えて、死んで貰ったのじゃ」
「は?」
―――シンデモラッタノジャ?
え?
俺死んだの? てか、貰ったと言うことは殺されたということか?
ハハハ、馬鹿な。
冗談にしては質が悪いよ。
「その顔は信じておらんようじゃが、本当じゃ。お主はビルの工事現場の事故に巻き込まれて死んでおる。ほれ、よく思い出しみるのじゃ」
「ハハハ・・・そんなこ―――」
あ。
俺死んでいるわ。
ビルの工事現場にあったクレーンが運んでいた鉄筋。
あのでかい鉄の塊が頭に落ちてきて・・・潰されたんだった。
その光景を思い出して背筋に悪寒が走る。
あれは怖かった・・・。風を切るものすごい音がして上を見上げたら赤銅色の鉄筋が・・・。
「納得したか?」
「は、はい・・・」
嫌なことを思い出して冷や汗を掻きながら返事をする。
そうか・・・俺は死んだのか・・・。
つまりここは死後の世界?
老人と二人きりなんてえらく寂しい死後の世界だ。
生きていた頃は死後の世界を信じなかったけど今は信じてもいい。
というか、信じたい。
あんな人生なんて嫌だ・・・。できることなら研究に明け暮れる生活がしたいよ・・・。部屋に閉じこもっておけば好きなだけ研究できるし。
「正直に言おう。あれはの、完全な事故じゃが、本当は事故ではないのじゃ。あちらの世界にその事実を知るものはいないがの」
完全な事故なのに、本当は事故じゃないってよく分からないけど・・・。
死んで貰ったとこの老人が言うには俺は殺されたのだろうか?
なんだか現実感がなさ過ぎて自分のことなのに人ごとに感じる。
「つまり、俺はあなたに殺されたということですか?」
「非常に遺憾じゃがそうじゃ」
はい、遺憾が出ました。
テレビの政治家みたいな言い方だわ。
「で、俺にどうしろと?」
老人はちょっと驚いた顔でこちらを見てくる。
「意外に切り替えが早いのじゃな・・・。まあ、時間がないので進めるが、お主が作っておったもの、それが原因でお主の因果律――つまり運命を変えておる」
作っていたものといえば・・・アレしかない。
大学時代に研究していたものを家のパソコンで進めていた。
そうかアレが原因なのか・・・。
いまは作りかけでまだまだだけど・・・アレの効果は革命を起こすだろう。
そう言われたら殺されたことも納得してしまう。
アルバート・アインシュタインだって相対性理論を構築して核爆弾を作って後悔したように、ある分野の研究成果が素晴らしければ素晴らしいほど、世界に与える影響は絶大だ。
俺の研究成果は世界ではなく人類に、だが。
「つまり・・・あなたは俺の研究が完成しないように殺したということですね?」
「そうじゃ。理解が早くて助かるの。アレは人の未来を変えてしまう。お主が生きていれば世界の均衡が崩れる。そこでワシはお主を殺し、世界の均衡を守った」
世界の均衡を守る・・・。
そんな大それたことができる存在はひとつぐらいだろう。
この空間。そして空中に浮いている時点でそんな感じもするし。
「あなたは神様なんですか?」
「神か・・・それに近いものとでもいうのかの。それはどうでもいいことじゃ。大事なことはワシがお主を殺した。この事実だけはワシらの規則に違反する」
神様・・・みたいな人でも色々と苦労がありそうだ。
なんとなく・・・他人事じゃない気がしてくる。
自分自身を殺した相手に同情するってのはなんだかお人好し過ぎる気がするけど、現実に戻ったとしてもあまり嬉しくないので、まぁいいかなぐらいにしか思わない。
気になるのは・・・植物状態の親父を介護するかあさんのことだ。
「もし・・・俺を殺したことを悪いと思っているなら・・・母の悲しみを消してください」
俺の言葉に神様は微笑んだ。
「優しいのぅ。それは心配せずともよい。お主の存在ははじめからなかったことになっておる。母親が心配することもないじゃろう」
「そ、そうですか・・・」
微妙だ。
存在を抹消されて喜ぶヤツがいるだろうか?
恥ずかしい過去とかがなくなるのは嬉しいけどもさ・・・。
「で、お主のことじゃが、ワシも悪いことをしたと思っておる。ゆえに、お主には違う世界にいってもらおうと思っておるのじゃ。元の世界の存在を消しても、魂までは消せぬ。輪廻の均衡を守るための処置じゃがな」
これは・・・あれか・・・。
小説のようなことになってきたな・・・。事実は小説よりも奇なりというが、事実が小説のようになってきたぞ。
「ちなみに・・・どんな世界なんですか?」
「お主が研究できないように、とうことで科学技術がまだ未発達の世界じゃ。そのかわり魔法がある。お主が研究していたアレも魔法でなら問題ないのじゃ」
俺の研究ができない科学レベル。だけど魔法でなら問題ない。
アレの特筆性は動画を見るだけで効果があるということだ。動画を再生できるパソコンがあれば、誰でもそれが使える。
神様がパソコンのない世界に飛ばしても、俺の研究を魔法でなら許可するということは、魔法が他人と共有できない個人の力みたいなものなのか?
魔法・・・魔法か・・・。
それは俄然・・・好奇心を刺激する魅惑の言葉だな。
研究を続けてもいいってのも嬉しい。
「面白そうですね」
「ホッホッホ。面白い人間じゃの。顔つきが変わっておるぞ。科学も魔法も確かに世界に耳を傾けるということでは同じじゃが、魔法は職人に近い。お主が上手く扱えるかどうかはわからぬぞ」
神様は顔をほころばせて言う。
なんか・・・科学が世界に耳を傾けるという言葉を聞いて、この神様ともっと話がしたいと思った。
いろいろな話を聞いて、世界のことが知りたい。
俺がそんな風に思っていると、神様がよっこらせと言いながら空中で立ち上がる。
とんとん、と腰を叩く姿は亡くなったお爺ちゃんを思い出す。
祖母は俺が生まれる前に亡くなったけど・・・大好きだったお爺ちゃんを俺は大好きだった。
自由気ままな小説家。
いろいろな話を何でも知っていて、自由に自分の世界を楽しんでいた。
だから・・・経営者の親父とは仲が悪かった。たぶん、俺が親父とそりが合わないのは俺がお爺ちゃんの血を色濃く引き継いでいるからだろう。
小説家としてはお爺ちゃんは名が売れていない。若い頃から親父の仕送りで生活したぐらいだから。
「話は終わりじゃ。お主が作っていたアレをお主の魂に入れておる。お主が魂を磨き、それを魔法としてなら取り出すこともできるじゃろう」
いなくなってしまうのが少し寂しい。
殺された相手がいなくなるを寂しいとはすごい感覚だが。
「もう・・・会えないんですか?」
その言葉に神様は意外なものを見る目でまじまじと俺の顔を見る。
「すまんが、お主の名はなんじゃったかな?」
「植村 進。殺した相手の名前ぐらいは覚えてくださいよ」
「歳ででの。シン・・・なるほど。良い名前じゃ。その名の通りに生きていけば、ワシに会う運命もあろう。勧めはせんがの」
しみじみと俺の名前を呼んで複雑な顔で微笑むと、神様は杖を掲げる。
掲げると神様は途端に真面目な顔になった。
「進み続ける者、シンに幸あれ。ワシが止めてしまった歩みをもう一度進むがよい」
じわじわと白い空間が崩れていき、閉じていく。
それにつられてすごい眠気が襲ってきた。
立っていられずにフラフラと倒れそうになる。
薄れゆく意識の中で視界に黒い影のようなものが映った。
「ぬっ!? こ、これは・・・っ!?」
神様が焦ったように声を上げる。
だ、だめだ・・・。意識が朦朧として頭が回らない。
「気をつけよシン! お主の魂はとく―――」
神様が必死で何か俺に声をかけるが、意識と空間が・・・真っ黒に塗りつぶされた。