第九十六話 ゼンと善悪論
この虫は血を好む。
当然虫に乗っ取られた奴は、虫の意のままに血を求め続ける。それを止められるのは同じ虫を持つ自分しかいない。ゼンはそう思ってここまでやって来た。
では、俺はどうなのか。
ゼンの目を見る。
刃の如き鋭さを持つ目が俺を推し量っている。彼が俺を悪だと判断すれば、今すぐにでも殺しにかかってくるだろう。
祭の後という事で、俺は鎧も剣も装備してない完全な丸腰だ。対してゼンは素手でコングを倒せる徒手空拳の専門家。今戦えば、いかにスレイがドラゴン殺しといえどどうなるか。
「とり憑いた者を意のままに操り血を求める凶悪な虫は、拙僧がこの手で駆逐する。それがきっと、拙僧が神より給わった試練」
冷たい夜風が俺とゼンの間を通り抜ける。
やるしかないか、と俺が覚悟を決めた時、これまでにない緊張の中、ふとゼンが目元を緩めた。
「――と思っていたのですが、どうもその考えが正しいのかどうか拙僧にもわからなくなりました」
「はあ……?」
「いや、傭兵としてしばらくこの村にいてスレイ殿を見ておりましたが、どうにも拙僧の思っていた虫の印象と違うと言うか、無闇やたらに血を求めるような凶悪性が見えないと言うか、何にせよ一概に悪と断ずるに値する決定的な要因が無いと言うか」
「つまり、単に虫に寄生されてるからというだけで悪と判断できなくなったというわけか」
「そうなんですよ。そこでスレイ殿にお尋ねしたい。貴方は、いえ、貴方たちの目的は? 仲間の数は? そもそも貴方たちは何なのか? どういう――」
「待て待て……そう一度に質問するな」
目を血走らせて詰め寄ってくるゼンの迫力に、俺は数歩後退る。
彼の気持ちもわからなくはない。なにせ自分の頭の中に正体不明の虫がいるのだ。まずは正体を知りたくなるのが当たり前の反応だろう。
俺は自分が知る限りの事をゼンに話した。目的や他に兄弟がいて既に各地に散っている事。だが自分自身が何なのかという問いには答えられなかった。むしろ誰であろうと、それに答えられる者はいないであろう。それが答えられるのは、恐らく神とかいう奴ぐらいのものだ。
「なるほど、最強の生物に……。だから闘争本能が旺盛で、強者を求めて争いの中に飛び込もうとするのですな」
そこでゼンはふと俺を見る。
「しかしスレイ殿はそうは見えませんな」
「恐らく個体差があるんだろう。生まれた場所は同じでも育った環境によってその後の性質が変わるというのは珍しくもない」
「となると、やはり個体によっては凶暴性に磨きがかかっている者もいるというわけですな」
「何に寄生しているかでも変わるだろうな。俺もスレイに寄生する前はドラゴンだったから、ヒト以外に寄生してる奴もいるだろう」
「は~……」
ゼンはひとしきり感心すると、再び悩み始めた。何しろ情報が増えたようで、その実何もわかっていないのだ。ただ一つわかったのは、よくわからないという事だけだ。
やがてゼンが決然とした顔で言った。
「わかりました」
「わかったのか」
「とりあえず、考えてもわからない事がわかりました」
……まあそうだろうな。




