第四十話 成敗
泣き叫びながら駆け出したゴブ夫の声が、ぴたりとやんだ。
愚かな俺は、逃げ出した足を止め、よせばいいのに振り返ってしまった。
そして見た。
スレイの剣に、頭のてっぺんから真っ二つに一刀両断されたゴブ夫の姿を。
その瞬間、俺の中から、ゴブ夫の最期の望みを守る気持ちとか、仲間を失った悔しさとか、死への恐怖とか、
最強の生物を目指せと囁く本能とか、
そういった全てが消え去り、全身を焼き尽くすほどの怒りが真っ黒に塗り潰した。
「クソがあっ!!」
叫びながら駆け出した俺は、殺意の塊と化してスレイに襲いかかる。
必殺の一撃は、いとも簡単に受け止められた。
『ほう。たかがゴブリンの分際でボスを逃がそうとしたのも驚いたが、一度は逃げようとしたのを引き返して斬りかかってくるとはな』
死に物狂いの俺の攻撃を、スレイは子供の相手をするように軽く防ぐ。俺は大振りする度に生じる隙のせいで反撃を喰らい、身体にいくつもの傷を負った。明らかに実力が違う。これが冒険者というものか。
だが、まだだ。
俺の力はまだこんなものじゃない。
俺はボスゴブリンの脳を操作し、後先を考えない限界以上の脳内物質を分泌させた。みるみる痛みが消えて身体に力がみなぎり、威力も速度も倍以上になった。
『おや?』
俺の戦闘力は確かに倍加した。だがそれでもスレイには遠く及ばなかった。変化があったとすれば、奴が少しだけ「こいつやるな」みたいな舐めた表情になったくらいだ。
『さすがボスゴブリン。やるじゃないか。だが――』
足りない。ゴブリンという種における限界以上の能力を発揮しているというのに、俺の力はスレイに勝つには全く足りない。
そして限界以上の力を出し続けた代償は、すぐにやってきた。
ばつん、という音を立てて、踏み込もうとしていた俺の右足の腱が切れた。耐久性を無視した筋力に、身体が耐え切れなくなったのだ。
いきなり蹴り足の力が抜け、俺は前につんのめりそうになる身体を必死で左足で支える。そして最後の力を振り絞って、残った左足で地面を蹴り、身体ごとぶつかる勢いでスレイに斬りかかった。
俺の決死の一撃は、やはりスレイに防がれた。硬い音を立てて、俺の剣がスレイの盾にぶち当たる。
と同時に、攻撃を繰り出した俺の右腕の肘から先が千切れた。右腕は武器を持ったまま宙を舞い、どこかに消える。
右腕と右脚を失ったまま宙に留まる俺を、スレイが思い切り蹴り飛ばした。靴底に顔面を抉られ、きりもみしながら地面に平行に吹っ飛ぶ。
着地後も勢いは衰えず、豪快に地面を転がる。残った左腕で身体を起こそうとするが、身体中から体力がごっそり抜けたみたいに力が全く入らない。無様に地面に顔を擦り付ける俺の前に、ゆっくりとスレイが立った。
物凄い衝撃を後頭部に受け、顔面が地面に埋まる。
スレイに頭を踏みつけられたまま、俺は飛びそうになる意識を懸命に繋ぎ留めていた。今の俺を支えているのは、冒険者たちに対する怒りだけだ。絶対、必ず、どんな事をしても、この恨みは晴らす。その顔、しかと憶えたからな。
怨嗟の念が身体中から滲み出ていたのか、スレイはこれ以上俺をいたぶるのはやめて、さっさと息の根を止めるべく俺の頭から足を離した。
剣を振りかぶる気配。
『成敗』
そして俺の首は胴体から離れた。




