第百二十四話 わざとじゃない
陽はとっくに沈んでいる。
このまま何もしなければ、コングたちは朝までには死ぬ。
残されたわずかな時間で俺にできるのは、もうこれしかない。
俺は大きく息を吸い込むと、寝台の縁に両腕をつく。そしてそこで眠るホーリーの顔に自分の顔を近づける。
ゆっくりと顔を近づけ、彼女の苦しそうな息遣いを感じられるほどの距離で顔を止めると、
「んうぇっ」
俺自身がスレイの口から出て来た。
俺はホーリーの顔に着地すると、急いで彼女の鼻の穴から体内に侵入する。そこから先は慣れたものだった。鼻腔内から脳に到達し、素早く触手を接続する。
だが彼女の意識は奪わない。余計な接続をするとそれだけ俺の注意が他に割かれるからだ。今はただ深い眠りに入ってもらうだけに留める。目的は彼女の身体を乗っ取るわけではないのだ。
俺は自分の身体をホーリーの脳に固定すると、宿主の免疫機能を向上させる体液を分泌した。体液は血液によって体内の隅々まで巡り、すぐに効果が現れるはずだ。
俺が体液を分泌してしばらくすると、ホーリーの呼吸が目に見えて落ち着いてきた。体温もゆっくりではあるが下がり始めているので、どうやら峠は超えたようだ。
良かった。何とか上手くいったようだ。
俺は彼女の脳にわずかも傷をつけないように慎重に触手を外すと、静かに身体の外に出た。
入ってきた時と同じく鼻の穴から外に出ると、スレイの身体がとんでもない体勢になっていた。
なんとホーリーの胸に顔面をうずめている。病気を何とかする事ばかりに気が向いていたため、スレイの身体を固定するのを忘れていたのだ。
危なかった。念のためにホーリーの眠りを深くしといて良かった。もしスレイの顔が胸に落ちた衝撃で目を覚ましていたら、その後どんな事になるか想像するだけでも恐ろしい。
俺は急いでスレイの脳に戻る。一度体外に出たせいか触手を接続した時に違和感があったが、すぐに元の感覚に戻った。
身体の指揮権を取り戻した俺の耳に、ホーリーの心音が届く。彼女の心臓は今は安定して鼓動を刻んでいる。呼吸も楽になったようで、胸の上下が一定に保たれている。っと、いつまでも胸に顔をくっつけている場合じゃない……。俺はゆっくりとホーリーの胸から顔を離し、静かに彼女の部屋を後にした。
それから俺はルーンとコングに同じ事をした。
二人とも俺の分泌した体液が効いてきたのか、症状も改善してずいぶんと楽になったように見えた。
けど同じ体液を体内に注入したはずなのだが、三人とも俺ほど劇的に症状は改善しなかったのが気になった。
まあこれはきっと虫との相性というか、慣れみたいなものもあるのだろう。いきなり虫の体液を注入されて、身体がどう反応していいか困っているのかもしれない。
何にせよ三人とも危機は脱した。このまま安静にしていれば、明日には目を覚ますだろう。
俺はふと思いついてにやりとする。
その時こそ、爺さんにもらったあの苦そうな薬を飲ませてやろう。




