第百十四話 開戦
それからすぐに同盟の調印を始めた。
具体的な事は今後詰めていくとして、取り急ぎ両領地の相互援助関係を確固たるものにした。これにより、晴れて北の領地と俺たちの領地は同盟関係が成立した。
これから埋まっていくはずの余白だらけの調印書にサインをしながら、ふとバロンが言う。
「それにしても投石機まで持ち出すとは少し腑に落ちませんな」
投石機は攻城兵器だ。こんな国境の小競り合いに持ち出すようなものじゃない。それに関しては俺もおかしいとは思っていた。
「まったくだ。ずいぶんと恨まれたもんだぜ」
「いや、果たして恨みだけでしょうか」
「他に何かあるのか?」
「そこまではまだ何とも。しかし調べてみる価値はあります」
「調べられるの?」
ルーンの問いにバロンは「無論」と自信ありげに答える。
「我が家に――と言っても私の生家のほうですが――出入りしている者に、その手の間諜紛いを得意とする者がおります。それに調べさせれば何かわかるかもしれません」
「おお、出入りの者が間者とか、なんだか貴族っぽい」
「……いや、スレイも一応貴族なんだけど」
ルーンに指摘され、今さらながら思い出す。そういやそうだった。
「じゃあ悪いが頼まれてくれるか」
「何を水臭い。もはや我らは運命共同体。遠慮は無用ですぞ」
そういやそうだった。それじゃあよろしく頼もう。
それから何事も無く調印を終えると、ようやくバロンは自分の領地へと引き上げた。彼らが戻るまで北の領地に敵が来ない事を祈るばかりである。
俺たちの祈りは結果的に叶えられた。だがそれは決してカミサマとかいうよくわからない存在のおかげではない。
国境での片隅で俺たちが小競り合いをしていたその頃、隣国とこの国で本格的な戦争が勃発していたからだ。
戦争勃発の報せは、すぐに俺たちの耳にも届いた。
開戦の火ぶたを切ったのはこちらからだった。センキ将軍が指揮を取り、開戦には誰も反対しなかったという。
愚鈍だが保守派だと言われる国王さえも。
俺はこの話を聞いて確信した。
とうとうこの国は完全に虫に乗っ取られてしまったと。
だが皮肉な事に、これで当分敵国との小競り合いに悩まされる心配はなくなったというわけか。
何故なら本格的な戦争になれば、もうこんな小さな領地にかかずらわっている暇などなくなってしまうのだから。
開戦の報は誤りではないかという微かな期待は裏切られ、残念な事ながら本当に戦争が起こってしまった。その分こちらは一時的に平和になったのだが、いつ戦火が飛び火してくるとも限らないので油断はならない。
こうして表面上は平和だが内面では戦時と変わらぬ緊迫した日々が続いた。領民たちはいつまた戦が始まるかという精神的重圧に心身を蝕まれ、村の雰囲気は目に見えて重苦しい。
こういう時、気晴らしに祭でも開ければ良いのだが、さすがにこの状況ではそれもできない。今は物資を節約する時期なのだ。
ゼンならどうするだろう。
俺はふと、今どこかの戦場で戦っているかもしれない男の事を思い出した。




