第百四話 敗走
数日後。
領地に戻った俺を待っていたのは、敵来襲の報だった。
俺は王都から帰った疲れを癒やすどころか、センキとの話を自分の中で整理する間もなく戦支度をする。まったくいくらこっちは雪が積もってないからって、冬に攻めて来るこたないだろう。軍隊ってのはそんなに仕事熱心なのか?
敵のやる気を上げたのが自分だというのは棚に上げ、俺は領民たちを指揮して槍隊を編成する。前回の戦で大活躍した布陣だ。
今回も領地の外に陣を敷き、敵が現れるのを待つ。隊列の中央から敵が来ないか前を見ていると、領民たちの吐く白い息が雲のように見える。
「来た!」
飛び抜けて眼のいい猟師の男が、遥か彼方からこちらに向かってくる敵陣の姿を捉えた。
「な、何だあれは……?」
猟師の驚愕の声に俺たちは懸命に目を凝らす。やがて前方に大勢の人間が見えたその時、
「何だありゃ」
俺も同じ声を上げた。
「まるで建物が動いてるみたいだ」
領民の一人が言った通り、敵軍の後方から巨大な建造物が現れた。目測にして高さは二階建ての家ほどで、足元には巨大な車輪がついている。前面には太い鎖が数本繋がっており、何頭もの馬と屈強な男たちが懸命に引いている。
呆然としているうちにそれはさらに近づき、とうとう正体が判然とするほどになった。そしてそれが稼働しているのを見た瞬間、この戦の負けが決まった。
「逃げろ! 投石機だ!」
俺の叫びが合図だったかのように、向こうでひゅんっと空気を切る音がした。それから間を置かずに何か巨大なものが空を飛んでくる飛行音。
不吉さを音にしたものが空から俺たちの陣に近づき、わずか数秒後に小屋の如き巨大な岩が目の前に落下した。
衝撃と土砂と悲鳴が同時に湧き起こり、勢い余った岩が隊列を組んだ領民たちに襲いかかる。
岩に轢かれた者はもちろん、土砂を浴びただけでも人が人形のように吹っ飛んだ。
「クソ! こんな小競り合いに攻城兵器なんか持ち出しやがって……!」
密集隊形を組んでいたのが災いし、たった一発の投石で俺たちは壊滅的な打撃を受けた。圧倒的な破壊力を前に、俺が出せる指示はたった一つしかない。
「撤退だ! 村の中に逃げろ!」
投石機のあまりの威力に恐怖した領民たちの足は動きが鈍く、負傷者多数も相まって逃げ出すのに致命的な遅滞が生まれた。
そして再び投石機が稼働する絶望的な音が聞こえる。
大空を切り裂く岩の飛行音が刻一刻と近づいてくる。今度こそ全滅する。これを防ぐ手段は俺たちには――
「みんなどけええええええええっ!」
雄叫びを上げてコングが投石の落下地点で盾を構える。そこにはまだ逃げ遅れた人がいる。けど無茶だ。そう叫ぶより早く、コングが構えた大盾に岩が直撃した。
「おわあああっ!」
岩の勢いに負け、コングの巨体が吹っ飛ぶ。そして鋼鉄の盾にぶち当たった岩も粉々に砕けた。嘘だろ防いだ。たった一発で盾が原型を留めなくなったが、それでも人間が投石機の岩を防いだ。
コングが身体を張って稼いだ時間だ。一秒だって無駄にしてはならない。俺はあらん限りの声を張り上げ、領民たちに撤退を告げる。次の岩が来る前に、一人でも多く村の中に逃さなくては。
俺たちに今できる事は、ただ投石機の岩が届かない距離まで逃げる事だけだった。




