階段
午前の授業が終わり、昼休みも半ばを過ぎた頃、弾丸の姿は校舎の屋上から各階と地上を繋ぐ非常階段にあった。
弾丸は階段に座って手製のサンドウィッチを独りもぐもぐと食べている。傍らに水筒と空になった弁当箱が置かれており、カップに注がれた紅茶からは湯気が立つ。
もう片方の手でスマートフォンを弄っていたが、飽きたのかズボンのベルトに付けてあるホルダーに仕舞って食事だけに集中する。
「まーた立ち入り禁止の階段にいる。一応、ここに入っていいのは非常時だけなんだから」
「来た時には非常時だったさ、俺の腹が減ってるっていう」
「もうっ。駄目でしょ、弾丸くん! それから人と話す時にはちゃんと話している人の顔を見なくちゃ駄目よ!」
弾丸の背中、上の踊り場からお叱りの言葉が飛んできた。
「そっちに目を向けると制服だったらスカートの中が見えるかも」
「運動着に着替えてあるので心配ありません!」
「知ってますよ、会長が既に着替えているのは。あー、残念。生で見るのも乙なんだけど」
弾丸は失われたブルマという古き良き日本文化への郷愁を覚えながら、先程見た幼馴染みのスタイルの良さを思い出す。ちなみに彼は女子生徒が体育の授業でブルマを着用していた時代を知らない筈なのだが。
「えっち。弾丸くんがこっちに向いてくれないならそっちに私が行くね」
言って命は上の踊り場から弾丸を避けて下の踊り場に、トントンと軽やかに下りる。
弾丸の目に映った命は彼女が言った通り登校時とは違い、ウエストポーチを着けた運動着姿だ。
手に残っていた最後の一口を飲み込み、カップの中の紅茶を飲み干す。
「弾丸くん、私のこと、会長って呼ばないで昔みたいに呼んで」
「会長も俺の事、庶務って呼んでくれて構わないよ?」
「絶対に嫌です。絶対に名前呼びに戻させるんだから! それで、弾丸くんは何でここに居るのかな?」
「昼飯」
「嘘。ここで隠れて午後の授業、特科の実技をサボるつもりだったんでしょう?」
「座学には全部出てる。実技は俺、術が使えないから出なくてもいいんじゃねぇかな?」
「今日、流先生の授業だよ。先生は実技の時でも座学の復習や高レベルの応用も教えてくれるよ。出席しなきゃ損だよ、弾丸くん」
「美鶴先生の授業だから余計に嫌なんだよ。あのバトル・フリーク、手本でも模擬戦でも相手にいつも俺を指しやがる。組む相手としてじゃなくて、自分の術をブチ当てるターゲットとしてだがな!」
「えーっと、ほら。それは先生が弾丸くんを崖っぷちに追い込めば、弾丸くんの中に眠る真の力が覚醒するかもっていう思いやりだよ、きっと! 弾丸くんに勧められた小説にそんな展開があったじゃない!」
「ねぇよ! 崖っぷち云々はガキの頃、宗主二代コンビに徹底的にやられたわ。美鶴先生より強いあの二人に半殺し以上にされて何も起きないんだから、俺には才能なんて無いんだよ。なので俺はサボる。…………ん?」
静かになった命が気に掛かったのか弾丸は彼女の顔を見上げる。
まだ泣いてはいないが泣きそうな顔になった命が目の前に居た。
「自分に才能が無いなんて、…………言わないで。私、弾丸くんと一緒に授業受けたい。弾丸くんとクラスが違うから、特科と生徒会活動しか一緒の時間が取れないんだもん。生徒会でもいつも弾丸くん一人だけ他の事をしてるから、生徒会室に昴君と二人っきりなんだよ。寂しいんだよ?」
「あー、泣くな! 泣くなって!」
「じゃあ、サボらない?」
「いや、それでも俺はサボりたい。で、会長は俺に出席して欲しい。じゃあ、賭けで決めよう。俺が勝ったら会長は俺のサボリを見逃し、俺が負けたら素直に出席しようじゃないか」
「いいよ。賭けはどうするの?」
右手の人差し指と中指を順に立たせ、弾丸はニンマリ笑顔を浮かべた。
「会長の下着の柄を上下当てて見せましょう。どうだ?」
「弾丸くん、それってセクハラだよ。相手が私だからいいけど、他の娘にしたら絶対に駄目なんだからね」
「はいはい。で、どうする?」
「いいよ、賭った。下着、透けないようにしてあるから大丈夫」
「グッド。では、むむむ…………見えたっ! 上も下も揃いで白地に青い花柄、可愛いやつ。運動にも支障が出ないタイプだな」
ビシッと銃のジェスチャーをした右手で命の心臓辺りをロックオン。
ロックオンされた命の頬がリンゴの様に赤く染まっていく。
「せ、正解」
「賭けは俺の勝ち―――」
「う、うん。じゃあ、私授業に」
「だが、今回は貸しにしとくよ」
そう言って弾丸は弁当箱や水筒をテキパキと片付けた。
「授業行くんだろ? 急がないと遅刻する」
「うんっ」
「あー、今なら遅刻はしないが着替える時間はねぇな。制服のまんまで行くか」
「特科生の運動着も制服もちゃんと実戦で使える仕様になっているからね。そのままでも大丈夫よ」
「バトル・フリークが俺を指しませんように。バトル・フリークが俺を指しませんように。制服を汚すとクリーニング代が掛かるからバトル・フリークが俺を指しませんように」
「ふふっ。あ、弾丸くん、何で私の、あの、その、わかったの?」
「千里眼」
「千里眼って、…………じゅ、術が使えるの!? 弾丸くん! これで皆、弾丸くんを落ちこぼれだなんて言わなくなる! やった、本当に良かったぁ」
普段は深窓のお嬢様といった体の命がはしゃいでいる。喜んでいる彼女を前に弾丸は、困った、そして、どことなくすまなそうな表情を浮かべた。
「嘘。術じゃないんだ。千里眼っぽいってだけで、種も仕掛けもあるんだ」
「え? あ、……そうなんだ。私こそごめんなさい。変に興奮しちゃって。あ、人に言われた事を確認せずに信じちゃダメなんだよね」
「ルール3を憶えていたのか、流石会長。でも、惜しいな。ルール6を忘れてる」
「えっと、ルール6はごめんなさいと言ってはいけないだよね。これは難しいよ。でも、弾丸くんだって、たまに言っているよ?」
「定められた掟に従おうと努力する事に意義があるんだ」
「そうだよね、ルールに従うのも努力するのも大事だよね。だから、弾丸くんも立派な退魔士になるのを諦めちゃ駄目だよ。召喚でもちゃんと神様を喚べたんだから。そういえば、つくの様はどこ? 昴君の夜叉丸は出てるけど、今日も授業には出ないの?」
「つくの? あいつ、特科の授業だと使えないから連れて行かない。基本学校では好きにさせているんだ。一応ノルマとして、生徒会での仕事がやり易い様に設備やら何やらに取り憑かせて、異常がないかどうかを調べさせている。今の処、サボったことはないみたいだけどな」
「流石付喪神、だね。式神もお仕事を頑張ってくれているんだから、弾丸くんも頑張ろ」
「学校が吹っ飛んだりすれば、授業も吹っ飛ぶかなぁ」
「お馬鹿なことを言ってないの。ふふっ」
二人は気持ち速歩で一階の特科関係者専用ドアに向かう。
校内で一番長い廊下の曲がり角に他では見ない鋼鉄製の扉が一つ設置されている。カード認証リーダー式で高いセキュリティが施されている、と見た者は思うだろう。好奇心旺盛な人間が特科生からIDカードを盗んでかざしても扉が開く事は無い。何故ならばこの扉はダミーだ。
真の特科関係者専用入り口は扉の斜向かいの壁だ。一見ただの壁だがその正体は結界術に長けた神前一族が張った視覚的と物理的なカモフラージュ、進入を術式的に許可された者以外立ち入り禁止の地下に続く階段が隠されている。特科生が入る場面を一般生徒が目撃しても、彼らには特科生がカードをリーダーにかざして入る幻しか見えない。
予鈴が既に鳴り、廊下を彷徨いている生徒の姿は無い。表向きの顔である進学校に相応しい規律ある生徒が多いのだ。
誰も居ない廊下を見た命と弾丸は急いで壁の中に入り、階段を下りていった。