病院
まどかからの急報を受けて三十分も経たず、弾丸とつくのは自宅から街の中央部にある病院に移動していた。
薫子が搬送されたこの総合病院は退魔関連の事件で出た傷病者の治療や人外の毒に対する研究も裏で行われている特殊な医療機関でもある。
弾丸も幼少期から世話になっているここの集中治療室の外のベンチに、二人の退魔関係者が並んで座っていた。
弾丸が合流するとその二人は彼に向けて顔を上げる。
流美鶴と弾丸をここに呼び出した榊まどかだ。
「ダンガンせんぱい」
「応、榊。電話、ありがとう」
「っ! はぃ、ルコも、…………ルコもきっと先輩に来てほしいって」
まどかの目には涙が溢れ、鼻は赤くなっている。
隣に座った美鶴は一見無表情だが、彼女の目に剣呑な色があるのを弾丸は見つけた。平時での彼女は怒りを爆発するまで溜め込む癖がある。この感じはもう限界に近いなと彼はこれまでの彼女との付き合いからそう判断した。そんな風に考えている自分自身も怒りで頭がどうにかなりそうだったが、ここで爆発しても無意味な事だと理解していた。
目の前の親友を案じて泣いている後輩の姿も弾丸の激情を抑えるブレーキにもなっている。
「美鶴先生、柳瀬の御家族は?」
「今は担当医のオフィスで説明を聴いている。勿論、裏の方でも仕事が出来る一流の医師だ。柳瀬の昏睡状態を表向き現代医学のそれらしく家族に伝えているだろう」
「じゃあ、裏向きには?」
弾丸はまどかの隣に座り、彼女を挟んで美鶴に問い掛けた。
「これまでに襲われた三十五人の女性達と同じで外傷はほぼ無し、首筋に紫色のキスマークと謎の紋様。精気が仮死状態の一歩手前まで吸われている。それも断続的にだ。
今、この状態でも何らかの力や術式で柳瀬の体から精気が漏れ、どこかに流れている。高いレベルの感知能力者が居れば手掛かりは掴めるかも知れないが。このまま流れが止まらなかったら、柳瀬も先に亡くなった犠牲者達に名を連ねると思われたんだが」
美鶴は一旦言葉を止めて目を伏せた。ほっと安堵した表情を浮かべた。
「不幸中の幸いと言うのは腹立たしいが、奪われる精気の量が柳瀬の場合、他に比べて明らかに少ないんだ。意識不明の重体に陥ってはいるが、短期的な見方では命に別状は無いそうだ。
長期的になると話は別らしいが、そうなる前に私の直弟子の親友をこんな目に合わせた屑野郎を探し出して潰せば、柳瀬はすぐに目覚める公算が高い」
「あの、ダンガン先輩。ルコがギリギリ助かったのって、これを持っていたおかげらしいんです」
美鶴の現状についての説明が終わるとまどかが右手を弾丸に差し出し、そっと何かを見せた。
それはボロボロになった『無病息災』の御守り。薫子が母から貰った御守りを無くした際に弾丸が彼女に贈った物だ。
「これに込められた何らかの力が働いて、襲われた柳瀬を守ったようだ。今は力を使い切ってこんな状態になっているが。まどかの話だとお前が用意した品だと聴いたが本当か?」
「はい」
「弾丸に頼まれて我がそれに取り憑いたのだ」
弾丸の肯定に続いて、彼の腰のベルトに繋げられたぬいぐるみが声を発した。つくのだ。
「つくの様が? 成る程。付喪神で在らせられるつくの様の神気が込められて御守りの『無病息災』の祈念が発現して柳瀬を守ったのか。精気を無理矢理奪うなんてのは健康を害す呪いに他ならない」
美鶴は得心した事で幾らか気が緩んだのか表情も多少緩んだ。しかし、生徒の容態を心配してかまだ晴れない。
「こう言うのは不謹慎だが、自分の生徒が他の犠牲者達の様に命を失う可能性が低くてほっとしている。人を守る立場の退魔士として失格だな」
「それで良いじゃないですか、美鶴先生。教鞭を振るっている学校の生徒が助かったんですから」
「ダンガン先輩の言う通りです、師匠! ルコのためにアタシとこうやってすぐ駆け付けてくれたじゃないですか! 立派な教師の退魔師です!」
自嘲する師の姿に驚き涙が引いたのか、まどかは大きな声で美鶴を励ました。
「おい、まどか。ここは病院だ。静かにしろ」
「あっ! すいません、師匠」
「よろしい。後、……ありがとう、まどか。おかげで元気が出た。お前を弟子にして本当に良かったと思う」
美鶴はそう言って、まどかに微笑んだ。大笑いする姿は何度も見ているけど、微笑む師の姿を見るのは彼女にとって初めてだ。
「ところでまどか。弾丸の前で喋りが素に戻っているぞ。良いのか?」
「あっ! しまった」
「榊、お前普通に喋れたんだな。あの変な発音、怪しいとは思っていたがやっぱりワザとか」
「あ、アハハ、そンなワザとナわけなイニ決まっテルじゃなイデスかー」
「諦めろ、馬鹿弟子」
「アハハ、…………はい」
誤魔化そうと必死だったまどかはしゅんとしてしまったが、重い空気が幾分か気持ち軽くなった。
明らかに弾丸と美鶴にからかわれたまどかであったが、これは親友が人外に襲われて落ち込んでいる彼女に対する二人の思いやりだった。沈んだ顔はまどかには似合わない。
「話を戻しましょう。美鶴先生、柳瀬はどこで発見されたんですか?」
「伏竜近くにある神社の境内、鳥居の下で倒れていた。見つけたのは裏にも通じている宮司だ」
「神社の鳥居の下、ですか。人を襲ったにしては目立ち過ぎますね」
「発見された時間もまだ日が沈んですぐだ」
「時間も発見してくれと言わんばかり。ん? そういや昴はどうしてたんだ?」
「陸奥? 陸奥がどうした、弾丸?」
「柳瀬が今日の放課後、昴に用があって会いたいってので俺が約束を取り次いだんです、帰る前に。昴が校門で待っていろというのを伝えて。実際、俺が校門を通る時には柳瀬が居ました。襲われたのは確実に昴との用が済んでからでしょう。昴は感知系じゃないですけど、退魔士の勘ってのは馬鹿に出来ないですし。何か気付いた事もあるかも知れない。
美鶴先生。今、俺が電話して訊きましょうか」
つくのの反対側に提げているホルダーからスマートフォンを取り出そうとした。
「いや、必要ない。二人が到着した」
「二人? あ、昴に会長。来たのか」
弾丸が顔を横に向けると廊下の向こう側から命と昴が早歩きでこちらに来た。
二人とも深刻な表情だ。特に命は真っ青と言ってもいいくらいだ。
「流先生! 薫子ちゃんの容態は!?」
「大丈夫だ、神前。命に別状は無い」
「そう、ですか。良かった、……薫子ちゃん。良かったね、まどかちゃん」
「命先輩、はい、本当に」
命は美鶴の答を聴き安心したのか、柔らかい声でまどかに声を掛けた。
昨日からとはいえ親しくなった友人が魔物に襲われたとの報を受けて、不安と憤りで胸が一杯で飛び出してきたのだ。
「命ちゃんの家にこの一連の襲撃事件について新しい情報が入ったって聞いて向かったら、真っ青な顔の命ちゃんが出て来てね。事情を聞いて、心配で僕もついて来たんだ」
昴が病院に二人で来た経緯を話した。聞いた弾丸が彼に放課後の事を尋ねる。
「昴、柳瀬と校門で会った時か後、何か感じなかったか? あいつが狙われている感じがあったとかさ」
「それが、柳瀬さん、僕が校門に着いた時にはもう居なかったんだ。僕がちょっと遅れちゃったから怒って帰られちゃったかなと思って、僕も帰ったんだけど。今思うと彼女を探しに行った方が良かったね。近くの神社ですぐだったのに。ごめん、弾丸」
「気にするな、昴。責めているわけじゃない。にしても柳瀬が居なかった、だと?」
昴の返答を基に弾丸は考え込む。現状に至ってしまった経緯とどこかで回避出来た可能性について真剣に無意味と理解しながらも思考を巡らせた。
そんな弾丸の普段らしからぬ雰囲気に命が気付いた。
「弾丸くん、大丈夫? 薫子ちゃんが大切な後輩だからって、弾丸くんが思い詰めすぎるのは駄目だよ」
「ん、あ、ああ。そうだな、会長。あ、そういや昴が神前に襲撃事件の新しい情報が入ったって」
「そうだ、情報だ。昨日、弾丸くん経由で貰った刈間さんの情報を神前で精査して、考察したの。そうしたら襲撃者の正体についておおよその見当がついたの」
「マジか、会長」
「うん、やっとだけどね。でも、後手後手だった退魔士側もついに動き出せるよ」
「神前。その話し方だとこの件、神前家が主導する事に決まったのか?」
「正確にはまだですけど、明日の午後か遅くても明後日には。私が担当するつもりです」
「神前と六連院の地元で多くの犠牲者が出たからな。致し方ないだろう。私は六連院分家が主導して、神前一族はバックアップに回るだろうと予想していたが」
美鶴は組んでいた両腕を解き、両手を膝につき命に頭を下げた。
「本来ならば退魔師であり特科講師でもある私も動くべきなんだが、別件で私個人に依頼が来ているのと、この件で私が動けばまどかが柳瀬の仇を取る為、意地でも私についてくるだろう。不肖の弟子だが、御両親からお預かりしている娘だ。無茶はさせられん。神前、今回の件、よろしく頼む」
「はい、謹んで承ります」
「え、師匠。私も命先輩に」
「却下だ。お前は私と今日受けた依頼の解決だ。神前が出張ろうとしている相手に未熟者のお前が敵うものか。犯人を倒せば柳瀬は起きるんだ。安心して神前に全て任せとけ」
「で、でもっ」
「悔しいだろうけど私に任せて、まどかちゃん。絶対に薫子ちゃんの仇は討つから」
「…………はい、お願いします。絶対に、絶対にですよっ」
「はい、お願いされました。辛かったね、まどかちゃん。もう大丈夫だから」
「はいっ」
まどかは立ち上がって命にお辞儀してお願いした。された命はにっこりと微笑んで彼女を抱き締めた。
まどかは胸に迫るものを感じて目頭が熱くなった。だが、彼女は涙を零さなかった。涙は十分流した。これから自分は強くならなくてはこの温かい人達に顔向けが出来ない。エリートだの特科だの関係ない。守りたい人達の為に強くなるんだ。
「命ちゃん、襲撃者の見当がついたって話を聴きたいんだけど良いかな」
「す、昴君? そ、そうだよね。
今回発生している女性襲撃事件は人外が無差別に起こしていると考えられてきました。被害に遭われた方達に共通した精気を奪う術式の起点であろうキスマークと紋様。過去に類似した事例がないので未確認、もしくは新種の魔物が発現したと考えられてきましたが、事件の裏で高レベルの術者が糸を引いていると情報が入り事件を洗い直したところ、この術式に似た特徴を持った存在が浮かび上がってきました。この事実から神前が自ら討滅に打って出ると判断したのです」
「流石だな、神前は。仕事が早い。で、正体は何だ?」
「日本国内では見られない、ヨーロッパ、遠く西洋を起源とする術式で召喚された悪魔と召喚者である西洋式の術者。今回、私達退魔に関わる者が討つべき相手です。残念ながらどの宗派や流派かまでは特定出来ませんでした」
「十分だ。しかし、西洋式か。外国人の可能性が高いと考えられるが、日本人である可能性も否定出来ないな」
「流先生、日本人の可能性は限りなく低いと思います。日本国内の高い素質を持った人達は国に把握されています。私達は基本退魔に関わる家で縛られますし、突然変異で一般家庭に生まれたとしても伏竜の様な教育機関で発掘されます。そこから漏れたとしても一般人として一生を過ごせますし、顕著な力を持っているならば弟子を求める退魔師のスカウトが行きます。
一応、西洋式も宗教によってぽつぽつと国内にあります。主流はキリスト教由来の祓魔師ですね。古来から日本にある東洋式に比べれば数は少ないですが、教会に所属する彼らも国内で退魔に勤めています」
「確かにな。疑問なんだが、神前が今回わざわざ前に出る必要はあったのか? 武闘派の六連院一族に任せても問題無いと私は思うんだが」
「今回、六連院から来て頂くとなると宗家の方々になってしまうんです。確実に、尚且つ安全に討滅するには斬丸おじい様か神楽おば様をお呼びすることに。おば様は今アメリカにいらっしゃいますし、おじい様だと神前の方が難色を示してまして。斬丸おじい様なら快諾して下さると思うんですが」
命の口から飛び出た名前に美鶴の顔が強張った。
「その悪魔、そこまでレベルが高いのか」
「確証はありませんが恐らく。この人選も正しくは戦いを終えた時に退魔士が無傷で勝てるという基準だそうです。失礼を承知で申しますと倒すだけならば流先生も可能かと私は思います」
「お前が担当すると言ったが、神前、そんな悪魔相手で無事に切り抜けられるのか?」
「単独で戦うわけじゃないですし、悪魔なら私の体に流れる神族の血は天敵ですから。ある程度戦局はこちらが有利に展開するかなと。勿論、色々な準備は必要ですけどね」
美鶴の真剣な問いに真剣な、そして、自信が込められた声で答えた命。彼女の声は自信、読んで字の如く『自らを信じる』力をこの場に居た全員に感じさせた。
先程まで命に抱き締められていたまどかは師と語る先輩の姿に強い憧れを抱いた。いつか自分も彼女のように格好良くて強い女の子になりたい。師匠みたいに? あんなバトル・フリークは冗談でもご勘弁を。
「安心して下さい、流先生。僕も命ちゃんと戦います。命ちゃんを守るのは僕の役目です。傷一つ負わせません」
「うん。一緒に頑張ろうね、昴君」
「伏竜が誇る特科生主席次席タッグか。期待してるぞ。ただ生き残る事だけは絶対に忘れるな。例え負けても生き残れば私達の勝ちなんだ。いいな」
「はい」
「良い返事だ。では、もう時間も遅い。柳瀬の御両親は私が対応するので、お前達は全員家に帰れ。神前、悪いがまどかを車で家に送ってやってくれ。後、夕飯もどこかで食べさせてやってくれるとありがたい」
「まどかちゃんは私の家で泊まらせるのでも構わないんですが」
「命先輩イイです、その提案。師匠アタシ泊まっても」
「却下だ。家でちゃんとノルマをこなしておけ」
「うぅ、…………はーイ」
親しい人間が事件に巻き込まれた大変な夜であってもノルマの免除はしない。全く流美鶴は正しく一流退魔師の鏡だ。
「弾丸、お前は?」
「自分で帰るんで大丈夫です。マンション、ここから近いんで」
「そうか。陸奥は?」
「僕はここに来た時と同じ、命ちゃんの車でお願いするので」
「わかった。全員、気を付けて帰れよ。まどか、なるべく早めに帰るからな」
最後に集中治療室に居る薫子を窓から覗いて、美鶴以外は病院を出て帰路についた。各々の胸にそれぞれの思いを抱えて、長い夜は静かに深けていく。
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