薫子
次の日の放課後、薫子の姿は独り伏竜高校の校庭にあった。
一緒に帰ろうと考えていた親友のまどかは最後の授業が終わるとすぐ、師匠の美鶴に何処かへ連れて行かれた。薫子は知らないが、美鶴に急な退魔の仕事が入ったのと直弟子に場数を踏ませる為でもある。
他の友達も部活や委員会だったり、そういった活動がない子は既に帰っている。
通学鞄も持っていて、薫子自身も帰ろうと思えばすぐにでも帰れるのだが、未だに残っている。理由があるのだ。
今日はまだ一度も顔を合わせていない弾丸に昨夜の事を謝りたい。そして、彼にお願いしたいことがある。
弾丸を校舎内ではもう探した。一向に見つからないので校庭に出たのだ。
一応弾丸の所在を確認する為に生徒会室も訪ねた。案の定そこに庶務の彼は居なかったが、生徒会長である命がデスクワークに取り組んでいた。ちなみに副会長の昴は委員会に生徒会代表で出席しているらしく、不在であった。
命は明らかに元気がない様子で薫子は胸にチクリとした痛みを覚えた。
命からは電話で弾丸を呼び戻そうかと提案されたが丁寧に断った。そうしたら、彼女は弾丸が今日は視聴覚室を見た後は外に出て、校庭の設備を見回っているだろうと教えてくれた。
「命先輩、ありがとうございます。昨日はすいませんでした」
「ううん、気にしないで。弾丸くんに自分で訊けてない私も悪いから。昨日は教えてくれてありがとう、薫子ちゃん。こんな風に落ち込んでいるのも良くないよね」
薫子はそんな命の言葉を聞いて、弾丸に会って話す決意を新たにした。
弾丸の姿を探して薫子は校庭を歩く。
部活に励む生徒達がいるグラウンドから離れ、校舎裏から始まる遊歩道を進んで林に向かう。林の中にも何かしらの設備が確かあったはずだ。
「この道を最後に歩いたのって入学してすぐのオリエンテーションだっけ。ここちょっと、……暗くて結構恐いかも。ん? あれ? 大きいカラス?」
薫子が怯えからか、視線をあちこちにやりながら木々の中の道を歩いていると黒い何かを視界に捉えた。
一本の木の枝に留まった一羽の大きな烏が薫子をじぃっと見つめていた。
「はぁ。なぁんだ、ただのカラスかぁ。驚かさないでよ、…………あれ、でも額の辺りに赤いのが」
もう一度、今の烏を見ようと目を向けたが、烏は羽音を立てて空に飛び去ってしまった。木々の枝葉ですぐに全く見えなくなってしまった。
「あ、飛んでちゃった。今のカラス、オカ研が話していた噂の三ツ目烏かな。三ツ目かどうかは見えなかったけど、額が赤いって話だし。見つけると呪われるとかじゃないよね。後でオカ研の子にメールできこう」
恐くて心細いのか、薫子は普段は滅多にしない独り言で恐怖を紛らわせようとしている。
それで気分も多少は紛れたのか、薫子が再び歩き出した瞬間。
パァンともタァーンとも聞こえる音が一つ、林の奥から響いた。
その音が聞こえたと同時に林の中にいた鳥達が一斉に逃げるように飛び立った。
薫子は先に聞こえた正体不明の音よりも突然飛んだ大量の鳥達にビビっていた。
「と、鳥が!? 何、何!? 今の音、何!? もうやだぁ! ダンガン先輩どこにいるのぉ!?」
ただでさえ普段来ない場所に独りでいて、知っている学校の怪談と思しきモノに遭遇したりで薫子に余裕はなく、蹲って泣き出す一歩手前だ。
「柳瀬、お前、こんな所で何やってんだ? 人の名前まで呼んで」
「ダ、ダンガン先輩?」
声に反応して薫子が顔を上げると探していたダンガン先輩こと六連院弾丸がいた。
恐怖でいっぱいいっぱいだった薫子の体は安定を求め、自然と弾丸の体に抱き付いた。彼女は顔を彼の胸にぐっと埋める。抱き付いて気付いたのだが、弾丸は思っていたよりもがっしりとした体格の持ち主だったらしい。それに気付いて顔が熱くなってしまったので、熱が引くまでそのままの態勢を彼女は維持した。彼も薫子の頭に左手をやり、ゆっくりと撫でていた。子供をあやす様に、安心させる様に。
数分後、落ち着いた薫子が弾丸から離れて向き合う。
「少しは落ち着いたか?」
「はい。すいませんでした。いきなり抱き付いたりなんかしちゃって」
「気にすんな。俺も役得はあったからな。お前、思っていたよりもスタイル良いのな」
「ダンガン先輩、それセクハラですよ。あ、それとなんか体臭いですよ」
「いきなり人に抱き付いておいて、人の体臭を指摘すんのかよ」
「あの、まぁ、えーと、ダンガン先輩にくっついて安心したから余計に臭いが気になってですね。後、体臭じゃなくて別の、…………何か焦げ臭かったんですよ、先輩の胸元が」
言って薫子はまた弾丸の体に顔を近付け、遠慮無しにくんくんと臭いを嗅ぐ。そして、彼の左脇辺りで止まる。
臭いの元を探り当てると弾丸のブレザーのボタンをさっと外し、胸元をバッと開いた。
弾丸も薫子のこの行動は想定しておらず、全く対応出来なかった。
「焦げ臭いのってこれだったんですね、先輩。さっきの音の犯人もこれですか?」
「聞こえちゃってたか、さっきのやっぱり」
「はい。音に驚いた鳥がバサバサってみんな飛んで、あたしも恐かったんですから。それからダメですよー、こんなおもちゃを学校に持って来ちゃあ。こういうのが大好きなのは知ってますけど」
薫子は見つけたそれに手を伸ばす。
「気安く我に触れるな、小娘が」
指がそれに触れるか否かで聞いた憶えのない声が薫子の耳に届いた。
伸ばした手を止め、首を右左に振り、声の持ち主を探す。
「い、今の、先輩ですか?」
「あ、ああ。いや何、テンパって変な声が出ちまった」
「でも、われって」
「俺は俺って言ったぜ。聞き違いだろう」
「そ、そうですか。まぁ、いいです。これ、焦げ臭いですし、火薬式ですか」
「ああ。さっき変な鳥が居たから一発ぶっ放したんだよ」
「先輩、動物虐待はダメですよ。今回は黙っておいてあげますから、今度からは気を付けて下さいね。これを持ってくるなとは言いませんが、ダンガン先輩も生徒会役員で特科生なんですからね。エリートだって自覚を持って下さい。いいですね?」
「柳瀬、お前、俺に説教するだけの為にこんな所まで来たの?」
ブレザーのボタンを閉めながらジト目で後輩を見る弾丸。
「じゃないです、じゃないです! ダンガン先輩に謝りたいのとお願いしたいことがあって先輩を探していたんです!」
「何だ? 俺に謝りたいのとお願いしたいことって」
「謝りたいのは昨日、先輩と別れてからまどかと命先輩と遊びに行った時にちょっとありまして」
薫子は昨夜にあった事を簡潔に弾丸に話した。
命に弾丸がわざと伏竜高校の受験に落ちようとした事を教えてしまった事を。
その話を聞き終えると弾丸は両肩を竦めた。
「あー、だから会長、今日は様子がおかしかったのか」
「ごめんなさい。あたしのせいです」
「柳瀬、お前が謝る必要はないぞ。これは俺がやった不始末であって、会長に話してなかった俺が悪い。俺自身でけじめをつけなきゃいけないモノだったんだから。
お前と榊が気に病む必要もないんだ。まぁ、他人の個人情報を漏らすのはこれから気を付けろ、な」
「はい。でも、ごめんなさい」
「そう思うんなら、これからも会長の友達でいてやってくれ。気心の知れたな。彼女、昔から責任感が強くて息を吐ける時間が限られているんだ。それを手伝ってやってくれると幼馴染みの俺としては凄く嬉しい。柳瀬、会長をこれからもよろしく頼む」
謝罪を受けた弾丸は薫子の両肩に両手を載せ、真剣な表情で頼んだ。
頼みを受けた薫子は溜息を一つ吐いた。ダンガン先輩にこんなにも想われている命先輩への羨ましさを心に秘めて。
「ダンガン先輩、あたしが先輩にお願いする前にあたしにお願いしないで下さいよ。アメリカに憧れているんだったら、レディファーストでしょ」
「ああ。そうだな。柳瀬の俺へのお願いって何だ? 俺の相手をしてくれるレアな後輩女子は俺に何をして欲しい。一般的な高校生が出来る範囲のことだったら何でもやってやるぞ」
弾丸の言葉を聞き、薫子はにやりと笑った。
「言いましたね、先輩。あたしのお願いは、命先輩と仲直りして下さい。昔の、子供だった頃みたいに。
あたし、命先輩のこと、好きです。親しくなったのは昨日からだけど、命先輩の悲しそうな顔は見たくありません。ダンガン先輩もそうでしょ?」
「だがな、柳瀬、俺にはそんな資格が」
「ダンガン先輩の罪悪感もわかります。でも、命先輩には関係ないんです。命先輩はただダンガン先輩と一緒にいたいだけなんです。罪悪感なんか知った事か! なんです! だから、とっととわかりやがれ、このバカ男! 先輩達が元通りにならないとあたしがスタートラインに立てないの! だ、か、ら!」
薫子は言い切った後、ふぅっと息を吐く。
「だから、まずは昔のあだ名で命先輩を呼びましょう、弾丸先輩」
「この後輩、マジで一般的な高校生が出来る範囲でお願いしやがった」
苦笑。
「わかった。努力はする」
「絶対にですよ」
「アイ、マム」
「よろしい」
薫子がにかっと笑った。彼女の笑顔を見て、弾丸は素直に可愛いと想った。しかし、この後輩に言うとひどく調子づくので黙っておくことにした。
「帰り、送るぞ」
「あ、今日はいいです。それよりも陸奥先輩、今どこにいるかわかりませんか?」
「昴? あいつに用があるのか?」
「はい、大事な」
「あいつの携帯に掛けてみるとかは」
「あたし、陸奥先輩の番号もメアドも知らないんですよー」
「マジかよ。お前、あいつにあんなに近付こうとしてたのにな。昴って意外とガード硬いのな。ちょっと待て。委員会はもう終わっているだろうから」
弾丸は腰のホルダーからスマートフォンを取り出し、電話を掛け始めた。
「命先輩と同じ機種だったんですねー。陸奥先輩も幼馴染み同士でお揃いなんですか?」
「高校入る前にお薦めを会長から訊かれてな、これって答えたんだ。昴は違って、機械系が苦手で今の携帯でも持て余しているくらいだ。あいつの数少ない弱点だな。あ、昴。今、話せるか? 委員会は終わった? 応、お疲れ。あのな、柳瀬がお前に用があるらしいんだが、これから時間あるか? ああ、…………ああ、応、わかった。サンキュー。じゃ、また明日」
画面をタップして通話を終了した。
「今すぐは無理だが、ちょっと待って貰えたら会えるそうだ。柳瀬、どうする?」
「待ちます」
「そうか。じゃあ、校門で待っていてくれってさ。なるべく急ぐから、ごめんねと昴が言っていたぞ」
「わかりました。ダンガン先輩、ありがとうございました」
「どういたしまして。で、用って告白でもする気か?」
「告白、なのかな。けじめを付けたくなったんです」
「頑張れよ」
「あたしがフラれたら、慰めてくれますか?」
「何か美味い物でも奢ってやるよ。上手く行っても行かなくても」
「約束ですよ、ダンガン先輩! それ、デートの約束なんですから!」
「了解、了解。じゃ、また明日な」
「はい、また明日」
薫子と別れて生徒会室に戻ると命は居なかった。机に書き置きが残されており、急用が入り先に帰宅したそうだ。
昴にメールでその旨を伝え、弾丸も下校を決めた。昴は生徒会室には戻らないと返信してきたので、弾丸が施錠して退室した。
自転車に跨がり進むと、校門では既に薫子が昴を待っていたので、軽く手を振ってから通り過ぎた。
それはいつもの、変わらぬ平和な下校風景だった。
夜。
夕飯のカレー用にみじん切りにしたタマネギを炒める弾丸にスマートフォンが着メロを流して着信を知らせる。曲は彼が一番好きなアメリカのドラマで流れるオープニングテーマだ。
「弾丸、電話」
パソコンで動画共有サイトに投稿されているアニメのMADムービーを見ていたつくのが弾丸にとっとと電話に出るようぞんざいに催促した。ぬいぐるみの体故にヘッドフォンが使えない。なので音声は基本スピーカー出力である為だ。つくのにとって電話とは至福の時間を邪魔する悪魔なのだ。
「はいはい。今出ますよー。榊か。珍しいな、こんな時間に? もしもし」
「ダンガン先輩っ! ルコがっ! ルコがぁっ!」
スマートフォンから聞こえてきたのは榊まどかの泣き叫ぶ声だった。
「榊!? どうした!? いいか! まずは落ち着け! いいな?」
「うぅっ! ぐすっ、…………はい」
「柳瀬がどうしたんだ?」
嫌な予感がした。
「ルコが、薫子が化け物に、襲われて病院に運ばれてっ! …………意識、不明の、重体だそうです」
それは、弾丸の後輩、柳瀬薫子が最近発生していた連続女性襲撃事件の三十六人目の犠牲者になった報せだった。
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