雑談
放課後、薫子とまどかはカフェでガールズ・トークに興じる、というわけにはいかなかった。原因はまどかだ。
師匠である美鶴に出された特別課題で弾丸に一撃も当てられなかった為、二日分の修業ノルマが免除されなかったのだ。
窓際に設えられたカウンター席に並んで座る二人。片や本日分のノルマを必死にこなしているまどか、片や女子高生向けの雑誌を読む片手間に親友を手伝ってあげる薫子。手伝うと言ってもスマートフォンのストップウォッチでタイムを計測してるだけだが。
才能を見出された榊まどかが流美鶴に弟子入り以降課せられたノルマ、それは毎日片手ずつで同時に鶴を一定数折るというものだ。数は片手にそれぞれ五十羽ずつ、計百羽の鶴を一日に折らなくてはならない。
サボリは許されていない。毎日折り鶴の出来を師匠にチェックされるからだ。その上、逃走も不可能だ。まどかは現在実家を離れ美鶴の自宅に住み込み、そこから通学している。なので下校しようが週末だろうが祝日になろうが、師匠兼家主である美鶴と顔を合わせない日は無いのだ。教師の家での住み込みによる副産物として学力も上がっているのだが本人は嬉しくない。しかし、密かに美鶴と連絡を取り合っている両親は大喜びで、常に娘をよろしくお願いしますの言葉と共に彼女には感謝を伝えている。
毎晩行われるノルマの成果チェックはとても厳しく、美鶴から合格を得られるまどかの折り鶴は十羽中二羽以下。修業を始めた当時だったら三十羽に一羽あるかないかだったので、上達はしている模様だ。
「終わったぁ!」
「49分22秒97」
「ぃよしっ! 昨日よリも十五秒近く早い! 記録記録と」
まどかが最後の二羽をテーブルの上に放ると同時に薫子が画面をタップした。ノルマを始めてもうすぐ二ヶ月になる。手伝いする側も慣れたものだ。
薫子が計ったタイムをまどかは手帳に書き込んでいる。美鶴に弟子入りしてから買った可愛い品だ。他にも修業ノートが鞄の中に仕舞われているが、そちらには仮令親友でも見せられない内容が記されている。
まどかが本日の完遂タイムを記録し顔を上げると、目の前には折り鶴の山と自分が注文したコーヒー、そして覚えの無い大きめのチョコチップクッキーがあった。
「あれ? このクッキーは」
隣を見るとレーズン入りのオートミールクッキーをもむもむ囓る薫子。
「ありがと、ルコ」
「ん、苦しゅうない」
入学してからずっと放課後は疲れ気味のまどかなのだが、今日は特に顕著で疲労困憊な様子の彼女を薫子が見兼ねたのだ。
まどかは親友からの心遣いをありがたく頂戴する。クッキーを囓るとパキッといい音が聞こえ、噛むとかなり強めの甘さが口の中に広がった。この甘さが疲れた全身にゆっくりと行き渡る様な気持ちよさを覚える。
今、まどかは癒やされていた。
「今日は本当疲れた。師匠マジ鬼」
「鬼ってあんた……。流先生と今は一緒に暮らしてんでしょ」
「だいじょぶだいじょぶ。師匠はこんなのじゃ怒らない。更に鬼になるだけぇ」
「それ、怒ってるんじゃないの?」
呆れた声を出し、薫子はカフェラテが入ったマグに口をつけた。香りが良いと評判のコーヒーを使ったそれを飲みながら横目で折り鶴の山を見た。
「いんや。マジ切れさせたらマジヤバいって聞いた。にしても毎日これは手指が堪えるぅ」
「そんなにキツいの? それ以前に何でこんな大量に鶴折ってんのよ」
「前に言ったでしょ。特科ってエリートコースとはいうけど、エリートはエリートでも毛色が違うって。アタシも入ってびっくりしたんだから」
「入れたまどかが言ってもね。で、あたしの質問に答えてないけど」
「特科でやる内容ってある意味で日本の伝統みたいな物らしいよ。能とか歌舞伎とか。うちの特科、文部科学省管轄でしかもスポンサーだし」
「それじゃあ伝統芸能でしょうが」
「工芸系もあったよ」
「ふぅん。うちの、って言うくらいだから伏竜以外の学校にもあるんだ、特科。へー」
「あ、ヤバ」
「あたしが言うのもあれだけど、まどか、ダンガン先輩の言った通り情報漏洩し過ぎ」
「いやぁ、相手がルコだとつい」
「ついって、……あんたね。でも、流先生に弟子入りだの住み込みだのって聞くとまどかの言った通りなのかなって思っちゃう」
「そうそう」
「じゃあ何で特科はそんなに秘密主義なの? 芸能や工芸の育成だったら学校で成果を発表したりするよね?」
「あ、いや、…………その。あっ! ほら、折り鶴! アタシが折った折り鶴が成果! ルコにいつも見せているので発表じゃダメかな?」
動揺しているのが丸分かりな親友を可愛らしいと思う薫子だった。
「もうしょうがないなぁ、で許す薫子さんとお思いか!」
「ルコ鬼!」
「何とでも呼ぶがいい! …………はぁ。冗談はここまでにして。ね、まどか。これだけは訊かせて。特科ってまどかが昔教えてくれた幽霊が見えるって話と関係、ある?」
「何でそんな風に思ったのよ?」
「えっと、最近まどかの髪、伸びるのが速くない? 特科に入ってからさ。よくある怪談で髪の伸びる市松人形ってあるけど、そんな感じで何かオカルトチックで気になって」
「人の髪を怪奇現象扱いすんな! 成長期よ、成長期! 全く失礼だな。
それは別として、あったとしてルコの考えでは特科はアタシ達特科生徒をどうしたいのよ?」
「い、いきなりあたしに特科がどうしたいって言われても。うーん、……超能力で戦うスーパーヒーローを育成するってのはどう!? ほらっ! ハリウッド映画みたいな!」
逆にしどろもどろになった薫子が出した答にまどかは唖然。
補足だが、まどかの髪が急速に伸びているのは美鶴から贈られた立葵のヘアピンが原因である。これには髪の成長を促す術式が込められており、伏竜高校入学当時は本人の好みでショートカットにしていた彼女の髪は急激ではないにしろ、かなりの速度で伸びている。修業している御繰屍にはロングヘアーが最適なのだ。つまり成長期では断じてない。十分怪奇現象の類であった。
「イマイチ。何なの、そのテンプレラノベ系の設定。そういうのは防衛省でしょ。もっと言うと米国防総省。スーパーソルジャー計画とかあんた知っているでしょ、この隠れオタめ。ハリウッドって言って迷彩掛けてんじゃねー。後、特科は文科省傘下のプログラム! 国防とか関係ないし!」
最後のは嘘だけど、とまどかは思った。人外や悪の術士らの攻撃から日本を護れる様に特科生を教育しているのが特科である。だが同時に薫子の勘の良さを内心で賞賛した。
「隠れオタ言うな。あたしが薦めたの、ほとんど全部好きになっているくせに!」
店内の他の客に迷惑が掛からない程度の音量できゃあきゃあと騒ぐ女子高生二人。
言い合いで劣勢だったまどかがふと黙り、ニヤァと笑みを浮かべる。彼女のこの表情、鬼な師匠にそっくりである。
「ところでさー、ルコ」
「何よ、恐い笑顔で」
「ルコって特科の事をやけに知りたがるけど」
「そりゃあたしだって特科に入りたかったし、伏竜に受験した人達皆そうだと思うけど」
「他の一般生ならねー。ルコが本当に知りたいのはあの二人のことでしょ」
「二人って、陸奥先輩と、もう一人誰よ?」
「ダンガン先輩こと六連院弾丸先輩」
「んなっ!?」
薫子が狼狽える。
「どっちが本命よー? ハンサムエリートな副会長? それとも面倒見のいい変人な庶務?」
「…………てない」
「ハイ?」
「き、決めてないって言ってんの! 決められるわけないでしょ!」
「イやイや、そレを巷デはビッチと呼ブんデスよ。ダンガン先輩はまぁイイとしテ、陸奥先輩ト天秤に掛けルなんテ、他ノ女共が黙っちャイなイよ?」
まどかが声のトーンを変え、奇妙な発音で親友を詰問した。まどかは薫子と二人きりでこの喋り方は滅多にしない。
「ビッチ言うな。あたしだってそういうつもりはなかったわよ。まどかだってあたしが入学前から陸奥先輩いいなって思っていたの、知ってたじゃない。あんたも陸奥先輩の彼女になってみたいーとか言ってたの忘れてないでしょうね?」
「ま、ね。でも特科にいるとさ、陸奥先輩の凄さだけじゃなくて、先輩が属しているところの凄さも解っちゃって」
「属しているって、六連院? あっ。朝、ダンガン先輩が話していた伏竜が六連院に配慮してとか話してたっけ」
「そうそう。今時時代錯誤もいいところなんだけど、名家の格式だの重んじられている感じ。とても彼女になれそうな雰囲気にならないって。まあ、一般でも特科でも陸奥先輩を諦めている女はいないけどね。アタシはレアケース。
ねぇ、六連院に学校が配慮したって何の話?」
薫子が朝に弾丸が話した内容をまどかに伝える。
「はあ、今の話聞いて改めて思うわ、六連院トンデモ過ぎ」
「あたしも同じ事思った。でも家の事情でダンガン先輩も大変で、ああなっちゃったんだろうな」
「えー、それはどうだか。師匠曰く弾丸は気負わず気侭に生きる、六連院宗主殿によく似ているんだって。あ、ルコの本命はどっちて話に戻すんだけどさ。何でダンガン先輩にも?」
「何でって、…………陸奥先輩のお近付きになるのに有利になるかなと思って、最初ダンガン先輩には近付いたんだけど」
「陸奥先輩の親戚で親友っぽいからね」
「うん。ダンガン先輩、陸奥先輩抜きで一緒にいても悪くないんだ。気楽なんだよね。こう取っ付きやすい感じ。まどかもわかるでしょ?」
「オッケー、確かに。でも、それだけじゃあ陸奥先輩とで迷う決定打にならない。何があった?」
「教えなきゃだめ?」
「言え」
溜息を一つして、薫子が取り出したのは『無病息災』の御守り。しかし、何故か同じ物が二つもある。
まどかも見覚えがあるそれは薫子の母親が娘の受験前、伏竜高校に一番近い神社で購入し渡した物だ。何故か『合格祈願』ではない親友の御守りに笑ってしまった記憶がまどかの脳内を過ぎった。でも、薫子が持っていたのは一つだけだった筈だ。
「何で二つ?」
「まどかが五月のゴールデンウィーク明けに休んだ日にあたし、ママがくれた御守りを無くしちゃったんだ。放課後にあちこち探していたら、いつも通り庶務の仕事で校内を回っていたダンガン先輩が来て」
「一緒に探してくれたわけ」
「うん。二人で下校時間ギリギリまで探したんだけど結局見つからなかったんだ。先輩に遅くなるから帰れって促されて、その日は諦めた。
問題はここからよ。翌朝、御守りが見つかったのよ、あたしの部屋で」
「見つけてどうしたの? 先輩に連絡した?」
「しなかった。学校で会ったら言えばいいかなって。も、もちろん謝るのとお礼はするつもりだったわよっ。それで登校したら校門の所で先輩が待ってたの。声を掛けられて、あたしが家で見つかりましたって言おうとしたらこれを渡されたの」
「同じ『無病息災』の御守りを、ねー」
「前に笑い話で話した事を憶えていて、朝一番に神社で買ってきてくれたんだって。あたし自分の見つけたからいいですって断ったんだけど、持っておけって。先輩はママの代わりにはなれないけど、御守りはなるからって。二つ持ってれば御利益も二倍になるだろうから貰っとけって言われて」
「へー、それでコロッとねー。ルコって意外ぃ。ちょっとそれ見せて。こっちがダンガン先輩がくれた方?」
「そうよ」
薫子の御守りをまどかが手に取ると奇妙な力を感じた。霊力ではない。たまに師匠が自分を伴って退魔の現場に行った時に感じる妖気とも違う。
だが知らない感じじゃない。自分はこういうのをどこかで感じた経験がある。
そうだ。古く由緒正しい寺社に行くと微かに感じる雰囲気に似ているんだ。それを今、手で直に触れている。
「どうしたの?」
「あ、うん、大丈夫。ちょっとまじまじと見ちゃってた。あれ、紐に何か付いてる。金属製の小さなプレート? 刻印も彫られてる?」
二センチ四方のステンレス製の薄いプレートには端に紐を通す為の穴と中心に『Ⅵ』と読める刻印が彫られていた。
「ブイアイ?」
「まどか。それ、多分ローマ数字で六だと思うよ」
「ろ、六よ。六よねっ。六だって知ってたよ、アタシ! 知ってたんだから!」
「あー、はいはい。にしても何だろうね、これ? 六連院だから?」
「まっさかぁ」
二人で考えても答は出ない。
薫子がふと顔を上げると窓ガラスの向こうにとある人物が彼女の視界に入った。
「ねぇ、まどか。神前先輩がそこ歩いているよ。制服だし帰りかな? 先輩って登下校は車だし、珍しいもの見ちゃった」
「ルコ、こっちにも噂をすれば何とやらだ。こっち見てみ、ほら」
まどかの言葉に従いそちらにも目を向けると、いた。さっきまで女子高生二人の話題に上っていた六連院弾丸が大人の男と二人で親しげに喋っている。
命も弾丸の存在に気付いたらしい。彼女は小走りで彼の元へ向かう。とても嬉しそうだ。
そんな命の様子に面白くないものを薫子が内心感じているんじゃないかと憶測したまどかが親友に打診する。
「あそこ行って介入でもする?」
「介入ってあんた、ダンガン先輩達の邪魔をする気?」
「邪魔をするかどうかはルコ次第。一つ確かなのは、アタシはいつでもルコの味方」
「ぷっ。さっきはビッチとか言ってたくせに。でも、…………ありがとう」
数分後、二人の姿はテーブル上にあった百羽の折り鶴と共に消えていた。
明日の更新は22時を予定しています。




