業務
放課後。
廊下の片隅にて弾丸が養生用クロースまで敷いて、側に工具箱を置き何やら作業に勤しんでいる。
肩にはぬいぐるみに宿ったつくのがしがみ付いて、弾丸の耳元で囁いている。弾丸も小声で応え、時折楽しそうに笑ったりする。
開けていた壁の蓋を閉め、使った道具や出たゴミをさっと片付けていく。作業が終わり、体をんーっと伸ばした。
軽くストレッチをしている弾丸の後を三人組の男子生徒が通りかかった。
「あ、ダンガン先輩、整備お疲れーっス! 今日も精が出てるっスね!」
「応、庶務の仕事だからな」
「どもッス」
「お疲れです」
「もう部活終わったのか? 早いな」
「先輩達がふけたみたいなんで俺達も」
弾丸が片付ける手を止めて、後輩達と話していると今度は一年女子のグループが通り過ぎた。
「あれ何で肩にぬいぐるみ載っけてんの?」
「オタク向け萌えキャラだよ、あれ。うわ、マジキモッ」
「つかあの人って噂のダンガン先輩じゃない? ほら、薫子ちゃんや榊がそう呼んでる特科の変人」
「あー、陸奥先輩に何でかくっついている巨人じゃん」
「それを言うなら金魚の糞でしょ」
「でも巨人ってそれ何かウケるし!」
くすくすと笑う声は弾丸達から遠ざかっていった。
「ダ、大丈夫っスか?」
「気にすんな。殴られたわけじゃない」
「でも、何でそんなぬいぐるみ背負ってんスか? 邪魔ッスよね」
「こいつがいると仕事が捗んだよ」
「へー。じゃ、俺達も行くっス。ダンガン先輩、お疲れーっス」
「応、気を付けて帰れよ。それからダンガンって呼ぶんじゃねー!」
「そんなん無理っス! 女連中にでも言って下さい! じゃ、お疲れっス!」
後輩三人は弾丸に別れの挨拶をして、ここを後にした。彼らが廊下から消えると弾丸は柔らかな声でここに残っているもう一人を褒めた。
「罵倒するのをよく我慢したな。えらいぞ、つくの」
「ああ、罵倒どころか祟ってやろうかと。このぷりちぃな姿をよくも、あの餓鬼共め」
「そんな力は無いだろうが、お前。さて、今日の分だったここの奴のメンテは終わったし、仕事の方が終わったら別のもやるかな?」
「必要ないと思うぞ、弾丸。普段からしっかり手入れをしとるしな。それよりも視聴覚室のすぴぃかぁの調子が良くない。今から直せ」
「また視聴覚室を映画館代わりにしてアニメを見ていたな。やるなとは言わんがリスキー過ぎるぞ」
「家のてれびには無い迫力があるのだ。神がどう無聊を慰めようと人にとやかく言われとうない」
「よく言うよ、現世を全力で満喫しているくせに。じゃ、視聴覚室に向かうか。ん?」
弾丸が片付けを終えて立ち上がると、腰のスマートフォンが震えた。校内では基本マナーモードにしてある。
振動した時間が短かったのでメールであろう。弾丸は手に取り、画面を見る。やはりメールであった。
From: 刈間豪四朗
『来い。』
たった二文字、句点を入れてやっと三文字の命令形のメール。
何処に来いとも書かれていないが、メールを受け取った当人にとってはいつもの事だ。
「スピーカーを見るのはまた明日だ。行くぞ、つくの」
「しょうがないのぉ」
工具箱を片手に弾丸はつくのと共に急ぐが、しかし、廊下は走らない。生徒会役員としての意識が廊下を走ってしまいそうな彼をしっかりと抑制している。
だが、弾丸の顔が楽しそうなのは端から見ても明らかだった。
「というわけで授業に連れて来たの。もう本当に弾丸くんったら、私を困らせて楽しいのかしら? そう思うでしょ、昴君も」
「まあ、弾丸だからね。でも命ちゃんを困らせようとやっているんじゃないと思うよ」
生徒会室。
命は生徒会の仕事の傍ら、昼休みにあった幼馴染みとの一幕をもう一人の幼馴染みである昴に話していた。
違ったとはいえ弾丸が術を使えたと思って、まるで我が事のように喜びはしゃいでしまったのはちょっと恥ずかしいので、昴には秘密にしておいた。
しかし、命が弾丸の言葉に過剰な反応を見せたのは致し方がない事ではあるのだ。
命と弾丸、幼馴染み同士であると同時に日本屈指の退魔の名家同士、二人の関係は彼ら子供達の間だけでは完結しないのだ。幼い頃は良かった。まだ退魔の修業が本格的に始まっていない頃はただの子供達でいられた。
命は知っている。神前の中で後継者である命が六連院の無能と親交が未だにある事を不快に感じている者が大勢いるのを。さらにもう一人の幼馴染みである昴が分家の生まれとはいえ天賦の才を開花させ、神前の中でも弾丸と昴への応対が比べるまでもなかった。二人が命の家に遊びに来ても、誰も言葉には出さずとも家中に流れる空気は明らかに弾丸を歓迎するものではなかった。
その内、弾丸は家に遊びに来なくなった。本人は小学校高学年の男が女の家にいつも遊びに行くのはかっこ悪いと言っていたが、昴はいつも来ていたし、弾丸の妹もよく来ていた。家同士の繋がりで仲良くしていた男の子達も来ていた。だけど、弾丸だけが来なくなった。
命は悩んだ。大切な男の子が自分から離れていくのは彼に才能が無い故か、それとも無能を許容しない名家の厳しさ故なのか。彼女は人々を守護する使命を背負った退魔の一族である生家を誇りに思っているし、家族も一族の人達も従者達みんなも大好きだ。故に彼女は現在まで悩み続けている。
「そろそろお茶でも淹れようか」
「あ、うん、そうだね。じゃあ電話で弾丸くん呼び戻すね」
昴が立ち上がり、命がスマートフォンで電話を掛けようとした時、シックな造りの木製ドアが開いた。
開けたのはつくのを肩に載せた弾丸だ。
いきなり現れた弾丸に室内の二人は驚いたものの、すぐ笑顔を浮かべる。
「おかえり、弾丸くん。ちょうど今呼び戻そうと思っていたの」
「お茶でも淹れようかってね」
入室した弾丸はただいまと返すとそのまま自分の荷物を持って、踵を返す。
「急用が出来たから今すぐ帰る」
「え、もう帰っちゃうの?」
「仕事の方はつくのの下調べで視聴覚室のスピーカー以外問題は無かったそうだから」
「お仕事は大丈夫よ。あの、帰るのはお茶を飲んでからでも」
「知り合いからの呼び出しで急ぐんだ」
「う、ううん、いいよ。あ、これを持って行って。弾丸くん用にマフィン焼いてきたの。帰る時に渡すつもりだったから」
命は花柄の手提げ袋から綺麗に包まれたマフィンを出し、弾丸に手渡した。
「弾丸くん、好きでしょ。食べてね」
「サンキュー、腹減ってたんだ。いただきます。いつも御馳走になってんのに悪いな」
「私が好きでしているだけだから」
「じゃあな、会長、昴」
「バイバイ、弾丸くん、つくの様」
「また明日」
「さらばだ」
扉が閉められると部屋の外にあった人の気配がすぐ消えた。
「弾丸くん、…………帰っちゃったね」
「先週もだったね。弾丸が突然帰るのは中学に入学してからかな」
「前に一度尋ねたけど、趣味と実益を兼ねた用事だからって。これ、答をはぐらかされたと思うんだけど、それ以上は話してくれなさそうで」
「弾丸のことだから嘘は言っていないと思うよ、命ちゃん。いつか話してくれるさ。だから、僕達も待ってあげよう、ね? じゃあ、残された二人でお茶にしようか」
弾丸が去って暫く経つと生徒会室に紅茶の香りが漂う。中央のテーブルの上には命が生徒会のおやつ用に作ってきたキウイ・ババロアが置かれている。
本来は生徒会の仕事が一段落したら三人で食べる予定だったが、命と昴の二人だけで食べている。
「昴君」
「うん、命ちゃん、どうしたの? ババロア、とても美味しいよ」
「あのね、私は弾丸くんが教えてくれなくてもいいんだ。でも、私はただ弾丸くんが私の知らない所で傷付いたり、酷い目に遭ったりするのが嫌なの」
「ん、よく知ってるよ。だから、僕達で頑張らないと、ね」
瞬間、命は違和感を覚えた。結界使いとして一流の彼女は世界の不自然な変化、歪みに対して敏感だ。今、その感覚が微かな何かを捉えた。それは微か過ぎて正体が掴めないが、彼女にはとても不快なモノに感じられた。
「昴君、今、何か感じなかった?」
「僕は特に何も。敵?」
「解らない。…………だけど、あまり良くない感じがした」
「命ちゃんは感知系の術者じゃないから、何かまで特定するのは苦手だしね。戦闘系一辺倒の僕が言えた口じゃないけど。
でも、この伏竜は神前が張った強力な結界で護られている。外からじゃ並の人外や術者が侵入するのは不可能だよ。結界を破れる力を持ち、破ったのなら、流石に僕でもその力の奔流で気付く。
命ちゃんが感じたのはそんなんじゃないんでしょ?」
「…………うん」
「気のせいだよ、きっと。命ちゃんは普段から忙しいから。たまには思いっ切り息抜きをした方が良い。街に繰り出して遊んでみるとか、普通の高校生みたいにさ」
笑顔で諭す昴。命は彼の言葉に頷き、微笑んだ。
「そうするわ。ありがとう、昴君」
「どういたしまして。じゃあ、今日の分は早めに終わらせよう。この美味しいおやつを食べ終わったら、だけどね」
「ふふふ、そうね。遠慮しないでたくさん食べてね」
「はは、そう言われたら弾丸の分まで食べちゃうよ」
食べ終わると二人はすぐ仕事に取り掛かったのだ。
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