7章-光り輝く終焉と光り輝く黎明-
7章
さっきまでの静かな町はどこへやら、町は賑やかになっていた。
先ほどの桜庭の言葉が矛盾している。
『貴方以外に人はいない。……無力に足掻く様をこの私に見せることね』
いるじゃないか。見渡せばほらこんなに……
「いや、違う。これはもう『人』じゃない」
人々のほとんどが俺と反対方向、つまり花の方へと進んでいる。
先ほどの雨を受けたのか、いったいどこに隠れていたのかと言わんばかりの量の人がなだれるように我が町を駆け抜けていく。
「さっきの雨で……か。もし俺もアレを受けてたら……」
ぞっとした。背中にドライアイスを放り込まれた気分だ。
あの花に呑みこまれる時は既に自我が崩壊していて風呂に入りたい欲望のみで生きているだろうが、今は違う。想像が容易にできる分恐怖が倍以上に感じられる。あの花が人を取り込んだ後、あれだけの人を姿かたちそのままに吸収することなぞできるはずがない。溶解したり噛み砕いたり……そうでもしないとあの種袋に収まらない。……ということは、だ。もしあの花に呑みこまれたら。おそらくあの花粉が含まれた粘液に体を蝕まれ、花が出す蜜で皮膚を溶かされ、焼き付くような痛みを感じながら(もっとも、呑まれる時点では苦痛ではなく快感に変換されていそうだが)体がなくなり、肉塊となり養分を吸われるのだろう。
「あんなふうにはなりたくない……なるもんか」
俺は花を、風呂を求めゾンビのごとくフラフラと歩く人々に触れないよう人と人の間を縫うように走り抜けた。
大学に着くと、そこに広がる死屍累々。人々が倒れている。
ここにも雨が降ったらしい。地面が濡れている。
「即効性と雨の拡散……あの花は確実に勢力を増している……」
最初は俺の町の周り。次は大学まで花粉を伸ばしてきた。
そうなるとその次は……考えたくもない。
「はやくあの花の『運命』を終わらせないと……!」
俺は目的の建物へ向かうため、大学構内を走った。
階段を駆け上がる。大学まで走っていたため息が上がっていたが、不思議と俺は平気だった。
後ろから風が吹いているかのような。そんな感じだった。
技術棟4号館4階の暗い廊下をずっと突き進んだ先の4404教室。
ドアを開けると、4日前と全く同じ光景が広がっていた。暗幕に覆われた窓、ホルマリン漬けの動物の標本、大きなスコップに鍬。そして掛けられた看板。
『墓穴掘りサークル』
「何用だ……」
暗闇の向こうから、低く唸るような声が聞こえる。
部屋の奥に布の山のようなところがある。そこから声が聞こえた。
「覚えていますか、山吹です」
俺がそういうと、布の山から黒縁メガネの修行僧のような恰好をした女性が現れた。
……確か名前はチエだったかな。
「……ああ。覚えている。私達のサークルを乗っ取ろうとした奴らだな」
「それは誤解です。マイって人も言ってたじゃないですか。手違いだったって」
チエは俺の言葉を聞いているのか聞いていないのかわからず、どこか遠くを見つめていた。
「そうだったな。で、何用だ」
「あの花についてご存知ですか?」
「あの花?どの花だ」
「俺達は運命の華と呼んでいますが……」
「ああ、川原で咲いている人食い花のことか」
チエは暗幕を押し上げ、外を見る。
差し込む光で俺はつい目を眩ませた。それはチエも同じだったようで、すぐに暗幕を下ろした。
「それで、その花を知っていると言ったらどうだというのだ」
「先日、俺達は墓穴掘りサークルのみなさんは穴を掘るエキスパートと聞きました。重機を使わず、人の手で精密な穴を掘ることができる……」
「無論、可能だ」
なんだそんなことかと言わんばかりにチエは腰に手を当て、ため息をつく。
「しかし……貴様は私にその穴を掘って養分を絶ち、花を枯らせろというのか?馬鹿らしい。あの政府の技術力を持ってしても穴を掘って枯らせようとして失敗しているというのに、私だけで出来るはずがない」
「私……だけ?あの2人……マイって人とリョウって人は?」
……数十秒の沈黙。
それを破って出てきた言葉は、これまでの声とは想像もできないくらいとてもか弱く、幽かな響きだった。
「死んだよ」
「……えっ?」
「ついさっき花に取り込まれた。私達は一昨日まで外国に活動の為出ていて、昨日その花の存在を知った。今日3人で対策しようとしていた。私は普段早めに部室に集まるようにしてるから平気だったんだけど、2人は雨に濡れてやってきた。そうしたらその後10分もしないうちにお風呂に入りたい入りたいって言いだして……部室を飛び出して土手まで走った。私が追いかけたらもうそこにはマイやリョウのような人がたくさんいて……」
後の言葉はフェードアウトしていて聞こえなかった。
小さく鼻をすするような音が聞こえるが布の山に隠れて見えなかった。
「チエさん……」
「気安く呼ぶな」
チエが布の山から顔を出す。声色はさっきまでとは違い元通りになっていた。黒縁メガネの奥の瞳は相変わらず吸い込まれるような黒い瞳だったが、目の周りが少し赤かった。
「俺、知ってるんです。あの花を枯れさせる方法」
黒縁メガネの瞳が開く。
「なんだと?」
「はい」
俺は自分の聞いた話を、手まり歌を、知っていることをすべてチエに教えた。
チエは俺を真っ黒な瞳で見つめ続け、時折悲しそうな顔も見せた。
俺が話し終えると、チエは目を伏せ、ゆっくりと話し始めた。
「それ……本当か……?」
「ええ。もう花の勢力は町を超えるほど広がっています。それができるのは、俺が頼れるのはもう貴女しかいないんです」
「……確かに、どうにかしようと思うなら真偽を審議している場合ではないな」
そういうとチエは教室にある大きなスコップを2つ手に取り、1つを俺に手渡した。
「貴様が持っているそのスコップは小さすぎる。我がサークルの代々継がれるこれを使え」
「あ、はい」
「よし……行くぞ。もう時間がない」
「……はい!」
俺は身内以外で初めて、あの花についての俺の話をまともに聞いてくれる人が現れたことを実感した。
校舎から外へ出ると、先ほどまで倒れていた人々はフラフラと起き上がり、ぞろぞろと歩き出した。
「花に向かうのか……?」
チエが言う。おそらくそうだろう。雨に当たった人々の体を蝕む細菌のような花粉が、この人たちをそうさせているのだろう。
「急ぐぞ。ほら、これに乗れ」
チエが大学に乗ってきた原付の後ろに乗せてもらい、我が町船江町の1級河川、細田川へと向かった。
その道中。
「……マイやリョウは、いつも私の身を案じてくれていた」
チエが小さく話し始めた。
元々彼女の声が小さいというのにバイクの風が加わって余計に聞こえづらかった。
「大学に入り始めてできた友人だ。人見知りの私に声を掛けてくれて、マイはいつも私を笑わせようとしていた。リョウは私以上に無口なのに私よりも気が利くいい人だった……」
「チエさん……」
「山吹が『運命の華』にどういう思いを抱いているかは知らないけど、私はあの花を恨んでいる。私の恩人を殺した仇」
「チエさん、俺もそうです。これからの人生を生きて行こうとした、これからの大学生活を過ごそうとしたパートナーを失ったような……俺にとってもあの花は仇です」
「……そう」
チエはそれ以降、何も話さなくなった。
そういえば俺に対する話し方が変わったような気がする。呼び方も「貴様」から「山吹」に変わっている。
名前、覚えていたんだ……
細田川――――――――――――――――――――――
土手に原付を止める。
花は相変わらず(というと不謹慎かもしれないが)人々を喰らっていた。
人々は湯に浸かる快感を求め、身を清める快感を求めて、花に飛びついていく。
「種袋が……」
1回目の時と比べ成長が著しい。リサと見た時点ではまだ3メートル程度だった。なのに3時間くらいしか経っていない今、俺が初めて運命の華をニュースで見た時と同じ……いやそれ以上の大きさになっている。
「まだ大きくなるのか」
「そのようね。……それで、貴方が言っていた方法を実行するには?」
俺は床に1本の棒を引いた。
「花の大きさは現時点で約10メートル。種袋の重さに負けると根本から折れる訳じゃなく、ある程度の位置から折れて倒れこみます。その位置に種袋と同じ大きさの穴を掘る……できますか?」
「出来ますか?じゃない。『やる』と言ったら『やる』んだ」
チエはそういうとスコップを手に取り、思いっきり川原に突き刺した。
「力を借りるぞ、元乗っ取りの山吹!」
「だから違いますってば!」
感染した人々が次から次へと飲まれていく中、俺とチエは一心不乱に地に穴を掘り続けた。
チエが持ってきたスコップは大きいため重い。しかしその分多くの土を掘りだせるため効率はいい。
「あの花が枯れるまであとどれくらいなんだ……」
「あら、教えて差し上げましょうか?」
聞き覚えのある声が背後から響く。振り向かずとも俺は分かる。
俺は掘り進む手を止めずに聞いた。
「何の用だ、桜庭」
ヒールの音は聞こえないが背後で砂利が音を上げた。
俺の背後で立ち止まっているのだろう。
「うふふっ、私のこと覚えてくれていたのね。嬉しい」
「当たり前だ、つい30分前に全く同じ口上で話しかけてきたからな」
「あら、そうだったかしら?」
「山吹、コイツは誰だ?」
「お初にお目にかかりますわ。私桜庭と申します」
「……で、何の用だ。邪魔をする気か」
俺はコイツにかまっている暇はない。
早く穴を掘らないと花が、種が、花粉が……また繰り返してしまう。
「そうねぇ。それも面白そうだけど、邪魔はしないわ。見守るだけ」
「見守る……?あんたが作った花を枯らすんだぞ、邪魔しないのか」
「あらなぁに?邪魔してほしいの?」
「そういう訳じゃないが……少し拍子抜けしたかな」
「わ……じゃ……でもない……」
かすれかすれ聞こえた声は土を掘り返す音でかき消された。
「なんだって?」
振り向くとそこにはもう桜庭はいなかった。
そんなに早く移動した訳でもなさそうなのに姿も何もなかった。
「山吹!何をしている、早く掘れ!」
チエの声ではっとして慌てて土を掘る作業に戻った。
それから一心不乱に掘り続ける事20分。
手にできた血豆は既に潰れ、手のひらは真っ赤に染まっている。しかし俺はその手を止めようと思わない。
「これで……この町の人が助かるなら……!」
「山吹、なんだかおかしいと思わないか?」
「な、何がですか……?」
チエに言われ顔を上げる。確かに、体に走る違和感。
周りを見ると、川原に誰もいない。俺と、チエと、運命の華。
「人がいなくなった……!?」
「全てを喰らいつくしたということか。山吹、あれを」
チエが指差す先は運命の華の葉。
先端がゆっくりと褐色に染まっている。
「枯れ始めている!」
花が萎む。萎むというより種袋の中に取り込まれているような感じだ……
種袋を見る。俺達が掘った穴はそれよりもだいぶ大きく、深いものだった。
運命の華の茎がゆっくりと傾き始めた。俺達の方に。ゆっくり、ゆっくりと。
これなら上手くハマりさえすれば大丈夫、そう思った矢先……
「いや、倒れる角度が悪い。山吹、どうやら1メートルほどずれていたようだ」
チエが言う。確かに目を凝らすと穴よりも少しずれている。
ゆっくり、ゆっくりと花は倒れてくる。
「山吹……」
「なんですか」
チエの顔を見る。黒縁メガネの向こうの瞳はどこか悲しげだった。
しかし俺の心の裏まで見透かすかのような黒い黒い瞳だった。
「後は任せた」
そういうとチエは血まみれの手でまたスコップを掴み、倒れゆく花に向かって歩き出した。
「ち、チエさん!?何を!?」
「私はあの花の軌道を修正する。直接花に触れて」
「だ、だめですよ!そんなことしたらチエさんにあの花粉が……!」
修行僧のような服を脱ぎ捨て、スコップに巻き付けた。
花はもう俺達の身長とほぼ同じ位置まで倒れてきている。
「真偽を審議する時間や手段を選ぶ時間は無い。そう言ったのは私だ」
チエはスコップを振りかぶり、茎に向けて思いっきりスイングした。
茎から飛び散る粘液。それは返り血のような色をしていた。
全身に粘液を浴びたチエ。ゆっくりと膝をつき、倒れた。
「チエさん!!」
……俺はチエの元へ走りたい気持ちを抑え、花が完全に地面に着くのを見届けた。
種袋は破裂しない。
掘った穴にすっぽりと覆われ、ゆっくりと枯れ始めていた。
「やった……!運命の華の運命を……断ち切った……!」
手まり歌の通りに行ったら花を枯らすことができた。
俺の曾祖父が言っていたことは正しかったのだ。
「これで……これでこの町は救われる……っ!」
俺が喜びに声を挙げようと空を見た直後。
一筋の飛行機雲が見え、暮れゆく太陽の光を凌駕する閃光が迸った。
「ん……ここは……」
目が覚める。
目を開けるとそこに広がる真っ白な世界。しかし目に入る建物などは俺の見慣れた船江町だ。
しかし、建物が真っ白だ。川のある場所も水がない。体を動かしたくても、動かない。動くのは上半身のみ。
腕を用いて起き上がると、俺の下半身があるはずの場所に何もなかった。
「はっ……!?」
「あら、お目覚めのようね」
声がする方を腕を用いて振り向く。
そこにはパイプ椅子に腰かけ、足を組んでいる桜庭がいた。
「お久しぶり。あれから丸1日眠っていたのよ?」
「……桜庭」
「よくやったじゃない、花を枯らせるなんて」
「人類は日々進化するんだ。俺がその証拠なんだ!100年前と同じ失敗は繰り返さない!」
「……ふぅん。素敵ね」
「なんだその言いぐさは……ところで、これはどういうことだ。どうして真っ白なんだ」
俺の問いかけに桜庭は足元の白をすくい取り、パラパラと舞い散らせた。
「死の灰、よ」
「死の灰……?」
「そう。核爆弾が爆発した後に舞い散る放射性物質の総称。総理大臣が崩染花に飲み込まれてからこの国は感染症の緊急対策として船江町の爆破と消滅を計画したのよ。核ミサイルを使ってね」
俺は何も返せなかった。というより、返す言葉が見当たらなかった。
「だから、あなたに歌を教えたひいおじいちゃんも、命を捨ててまで花の軌道をずらしたお姉さん……チエっていったっけ。その子の努力も全部無駄になったという訳」
「なん……だと……!?だけど花は枯らせることはできた。俺も生きている。人類が勝ったんだ!」
「ふふ、あなたさっきこう言ったわね……『人類は日々進化する』って。植物も同じよ。植物も日々進化する。100年前と同じ失敗は繰り返さないの」
ボコッ
そんな音と共に俺の足元から何かが噴き出した。
「な、なんだ」
噴き出したそれは……双葉。
小学校で植えたことのある、よく見たことのある……ホウセンカの双葉。
「それはインパチェンス……運命の華よ」
「まさか!?核ミサイルが落ちたというのに!?」
「インパチェンスは100年前……いいえ、フェイズ3の段階で核の炎には耐えることができるの。そしてあのパンパンに詰まった子種を、あのドロドロしてくさぁい液と共に吐き出すの」
話しながらも身をくねらせる桜庭。
「お前は狂っている……人の命をなんだと思っていやがる」
「んふ、それはひ・み・つ。……ところで、どうして核の炎に焼かれたというのにあなたが生きているか疑問に思わないのかしら?」
「そういえばそうだ。半身だけは死んでいるのに」
「あなたが『運命の華』だからよ」
「えっ」
「インパチェンスは人に寄生して子孫を残す。これがフェイズ3からの『進化』よ」
桜庭はそれだけ言うと、立ち上がりパイプ椅子を畳んだ。
「山吹ススム……貴方をフェイズ4へとご招待いたします」