六
その宣言には誰もがあっけにとられた。
宣戦布告された尸鬼も、天翔丸にとり憑いているかごめも。己を死に追いやろうとしている死霊と共に尸鬼を退治しようという。
尸鬼は腹を抱えて笑った。
「ふははははっ! 愚かなり鞍馬天狗! 助かる好機を自ら捨てるとは! 敵と味方の区別もついておらぬと見える!」
「ついてるさ。おまえはかごめの敵だ」
天翔丸は七星を手に踏み出し、尸鬼に挑んでいく。しかしいざ斬ろうとすると体内から抵抗する力が加わった。身に憑いているかごめが邪魔をする。
「かごめ、尸鬼に負けるな! 身体を渡しても心まで屈するな!」
《私はあなたの敵よ》
天翔丸の左手が動き、自分の首をつかんで絞めだした。
「ぐ……っ!」
《生き返るためだったら何だってするわ。あなたを殺して生き返れるなら喜んでそうする》
「なら……どうして、俺は泣きたいんだ?」
天翔丸の目から透き通った涙があふれ、頬を流れおちた。
「おまえにとり憑かれてからさ、悲しくてしょうがないんだ。胸が苦しくて……痛い。これはおまえの感情だろ?」
首を絞めていた手から力がぬけた。
天翔丸は尸鬼の爪牙と剣を交えながらかごめに語りかけた。
「泣くのは、これがおまえの本当の望みじゃないからだ」
《わ、私は……!》
「本当は、こんなことしたくないんだろ?」
《ーーやめて!》
かごめが悲鳴をあげるように叫んだ。
《私はあなたを騙したのよ!》
「騙したくて騙したんじゃない」
《本当に……本気で殺そうとしたの! 腹が立つでしょう? 怒りなさいよ!》
「怒れるわけないだろ。だって、おまえは俺を助けてくれようとしたじゃないか。血の酒を飲ませまいと、わざとこぼしてくれた」
《……!》
「尸鬼は『また酒をこぼした』って言ってた。おまえはいつもわざと酒をこぼし、獲物が逃げられるように隙を作ってた。そうだろ?」
かごめは激しく動揺しながら、懸命に言い返した。
《わ、私は……あなたを殺すわ! いま、これから殺すのよ! だからとり憑いてーー》
「とり憑いて、その気になればいつでも俺の息の根を止められるのにそうしない」
《……!》
「おまえは優しいんだよ。自分で思ってるよりずっと。いくら非情になろうとがんばっても、なりきれないんだよ」
尸鬼がからみつくようにささやいた。
「かごめ、生き直したいだろう? わしがおまえの身体を治してやる。ちょっと傷ついてしまったが大丈夫だ。そいつを喰らえば元通り治るぞ!」
返答できないでいるかごめに、天翔丸はいたわるように声をかけた。
「本当はわかってるんだろ? たとえ身体が治っても生き返ることはできないって」
《……ううぅ……》
「ずっと苦しんでたんだろ? 獲物を運びながら、心の中でいつも泣いてたんだろ?」
かごめがわっと声をあげて泣いた。
天翔丸は頬をつたう涙を流れるままにしながら、尸鬼をにらんだ。
「あいつはこれからも喰らうぞ。おまえが泣きながら連れてきた獲物を、おまえの姿で笑いながら喰らうんだ。そのたびにまたおまえは苦しむ」
尸鬼があざ笑った。
「それでも死にきれぬ! かごめ、おまえはわしに従うしか道はないのだ! 忘れるな、おまえの大事な身体はわしの手中にあるということをな!」
鞭打つような嘲笑に、かごめは泣くばかりだった。
天翔丸は体内で震える死霊を抱くように優しく語りかけた。
「かごめ、おまえの望みをかなえてやるよ」
《……私は生き返れない……もう望みなんて……》
「まだこの世にいたいなら、このまま俺にとり憑いていればいいさ。でも尸鬼を止めたいと思うなら、おまえがそう望むならーー」
天翔丸は両手で七星を握りしめ、その切っ先を尸鬼にむけた。
「この剣で尸鬼とおまえの屍を斬り、俺がおまえの臨終を見取る」
尸鬼が唾を飛ばしながらわめいた。
「かごめ、騙されるな! そいつは己が助かりたいがために、おまえを言いくるめようとしているのだ! 生き返りたければ鞍馬天狗をわしに献上しろ!」
その声にかごめは答えなかった。
尸鬼は忌々しげに舌打ちした。
「どこまでも役立たずな小娘よ。まあいい、若い娘ゆえ憑き心地は良かったが、おまえなどもはや用済みだ」
尸鬼はにやついた笑みを浮かべ、新たな野望を宣言した。
「鞍馬天狗を殺して、その屍に憑依する! そして滅ぼしの剣をもってこの世の支配者となろう!」
この世で最強と呼ばれる滅ぼしの剣七星を手にすれば、世の支配も可能だ。
野望をかなえんと襲いかかってくる尸鬼と、天翔丸は激しく剣を交えた。鋭い爪を七星で受けてはじくのが精一杯で反撃できなかった。手足に思うように力が入らず踏ん張りがきかない。
《恐い……》
体内でがたがたと震えるかごめの震えが、天翔丸の手足を震わせる。
《恐い……恐いの……終わるのが……消えるのが恐い……!》
かごめにとっては二度目の死だ。しかし死は慣れるものではないようで歯の根が合わないほどに震え、膝が折れそうになる。天翔丸は胸に充満する死への恐怖に耐えながらかごめに言った。
「俺が手を引く」
歯の根をぐっと噛みしめて力強く。
「おまえの手を引いて、俺がちゃんとあの世まで送ってやるよ」
《あの世……?》
「そう、死したものたちが逝く世だ」
《あの世へ逝ったらどうなるの?》
「え? えっと、それは……」
かごめの問いに、天翔丸は考えこんでしまった。知っているのはあの世が死物の棲むところだということだけで、どこにあるのか、どんなところなのか、そこへ逝くとどうなるのか、何も知らない。困っていると、雲外鏡が補うように言葉を次いだ。
「あの世へ逝ったら、ちょいと休憩するんじゃよ」
《休憩? 終わりじゃないの?》
「命に終わりはないぞい。おまえさんの魂はあの世で休んで疲れを癒し、力を蓄えながら生まれ変わるのを待つんじゃ」
かごめは噛みしめるようにつぶやいた。
《生まれ変わる……ーー》
天翔丸は息を切らしながら明るく励ます。
「目が見えなくても大丈夫だぞ。俺がちゃんと手を引いてから……あ、とり憑かれてちゃ手は引けないか。でもこれでもいいよな。おまえずっと寒そうだったし、こうしていれば俺が寒さから護ってやれるしさ。あ、でも俺、おまえより背が低いからちょっと窮屈かな?」
天翔丸はふと頬がゆるむのを感じた。
《天翔丸……》
「ん?」
《天翔丸の中にいるとね、寒くないの。とってもあったかい》
いつの間にかかごめの震えが止まっていた。
「そっか。そりゃ良かった」
かごめが微笑むのを感じて、天翔丸も笑った。二人の笑みが重なり、天翔丸の満面が笑みであふれる。
《天翔丸……手を、貸してくれる?》
「おう」
天翔丸は頬の涙をぬぐい剣に手をそえた。手の内側から手が添えられる確かな感覚があり、かごめと手を重ねあって七星を握りしめた。
「死ねぇ、鞍馬天狗!」
奇声をあげながら襲いかかってきた尸鬼の鉤爪をかわして、天翔丸は黒剣の切っ先をその胸にあてた。
「じゃあな、かごめ」
ーーどくんーー
天翔丸の鼓動が大きく鳴ったと同時に茶けた髪が紅蓮に染まり、瞳が金色に輝く。手から湧きでてきたのは天狗たる証ーー神通力。主の神通力を得た剣がまばゆい閃光を発した。
「死に還れ」
滅ぼしの剣という異名をもつ剣がその力を発揮した。生物も死物も瞬時に滅ぼす光輝がかごめの屍を塵とし、瞬時に消し滅ぼした。
天翔丸は喪失を身体で感じた。体内にいた少女の魂が蒸発するように消え失せた。
「があああぁ……!」
尸鬼が叫びながら、本来の姿をさらした。
頭には牛のような角、土気色をした筋骨隆々の腕や胸の下には、下半身がなかった。七星がかごめの屍を消し滅ぼす瞬間にとっさに脱出したものの、滅ぼしの力によってその半身を消されてしまった。
半身を失っても生きていられるのは鬼の強い生命力ゆえだが、それも屍に憑いていればこそ保てるもの。単身では長くはもたない。
「し、屍えぇ……!」
ここは墓場、代わりとなる屍は地中にいくらでもある……はずだった。だが屍はどこにも見当たらず、その匂いもしない。
「屍なら探しても無駄だぜェ」
言いながら、大鴉がくちばしを大きくひらいて呼気を吐いていた。それが地面に沁みこみ、墓場から死の気配が消えていく」
「ここらはわしが浄化しといてやったからよォ。埋まっている屍は全部きれいに土に還しといたぜェ」
尸鬼は悲鳴のような叫び声をあげながらもだえた。失った半身の傷を癒そうとするも、よりどころとなる屍がなければそれもかなわない。だがもだえるうちに気がついた。
一体だけ、屍は残っていた。
尸鬼は先ほど生き血を吸って捨てた野鼠の死骸にとびつき、とり憑いた。鼠の死骸は小さく、憑き心地も悪かったが贅沢は言っていられない。尸鬼は小さな四肢を猛然と動かして逃げだした。
「こら待て、尸鬼! かごめをさんざんいたぶりやがって!」
天翔丸は走って追いかけたが、思うように身体が動かなかった。神通力の使用には重い疲労がともない、疲れた身ではすばやい鼠を捕らえるのは困難だ。
ちょうどそのとき、地面に埋まったままだった琥珀があくびをしながら目を覚ました。
「ふにゃあ〜……あ〜よく寝た。あれ? うちなんで埋まってんの?」
きょときょとあたりを見回す琥珀の目の前を、鼠が走りぬける。
琥珀色の目がきらんと閃いた。
「ぅにゃんっ!」
土からとび出した猫又は敏捷に鼠を捕らえると、尸鬼ごと一口でぱくっと飲みこんでしまった。
天翔丸はぜえぜえ息を切らしながら、事の決着をつけてしまった猫又をあぜんと見る。
「琥珀……鼠、食べちゃったのか?」
「うん。ちっちゃいから物足りなかったけど」
琥珀は口回りを舌で舐めてきれいにしながら笑ったが、途方に暮れるような顔をしている天翔丸に気づき、首をかしげた。
「もしかして天翔丸も食べたかった? もう一匹捕まえてこようか?」
「いや、そうじゃなくて……」
天翔丸は頭をかきながらしばし考えたが、やがて息をついた。
「……ま、いっか」
食べてしまったものはしょうがない。
この世の支配を宣言したばかりだというのに、その成れの果てが猫の餌というのは哀れな気がしたが、最後に喰われるものの気持ちを思い知ったことだろう。これも自業自得、因果応報というやつだ。
天翔丸は七星を鞘におさめた。この滅ぼしの剣で斬られたものは、確実にあの世へ送られるという。
「雲外鏡、かごめはあの世で休んだら、またこの世に生まれてくるんだよな?」
「うむ。いつ再生するかはわからぬが、必ずな」
天翔丸は空を見上げた。疲労は重く身体はだるかったが、心は晴れている。かごめが消える瞬間、頭に彼女の遺言が聞こえた。
ーーありがとう。
力になれたのなら、疲れた甲斐もあったというものだ。
「また会えるといいなぁ」
いつか、この空の下のどこかで生まれ変わったかごめと出会う……そんな想像をしたら、自然と笑みがこぼれた。
「よし、笛を吹こうっ」
天翔丸は懐から笛をとりだし、天高らかに音を奏でた。あの世へ逝ったかごめの安らかな休息のために、その再生を祈りながら。
黒金は陽炎の傍らで首をすくめた。
「『また会えるといいなぁ』だってよォ。のんきなもんだぜ、危うく憑き殺されかけたのがわかってんのかねェ。甘っちょろいにもほどがあるぜ」
辛口な評価に、陽炎は主には届かない小さな声で異議を唱えた。
「慈悲深いと言え」
笛の演奏が終わると陽炎は天翔丸の前に立ち、その顎をつかんだ。
「な、なんだよ!?」
「じっとしていなさい」
陽炎は天翔丸の顔を上向かせ、土下座をした際についた土をはらい落とし、懐あらとりだした薬を頬の傷にぬった。
天翔丸は抵抗を感じつつも、おとなしく薬をぬられた。ぬる男は憎たらしいが、今まで何度もぬられたことのあるこの薬の効き目はよく知っていたし、ひんやりして傷に気持ちいい。痛みはみるみる引いていき、やがてすっかり消え失せた。
手当てが終わると、陽炎は薬をぬったその手で、いきなり天翔丸の頬をひっぱたいた。
「い……いってえな! 何すんだよ!?」
「自分の命を何だと思っているのですか?」
陽炎は厳しい口調で言う。
「主たるものが、死霊に『とり憑いていていい』などと許可するような、無謀な発言をするものではありません。死霊に憑かれつづければ寿命が削られ、最悪命を落とします。あなたの命はあなただけのものではなく、鞍馬山を護るためにあるのですから、もっと大切になさい」
「俺の命は俺のもんだ! それに俺は山を護るなんて一言もーー」
「それから」
鋭い声で反論をさえぎって、陽炎は説教をつづける。
「今回のあなたの反省点は、初対面の相手に疑いをもたず、少し笛を褒められただけで気を良くしてのこのことついていったこと。見知らぬ場所に不用意に足を踏み入れ、相手のなわばりに入ったこと。総じて、軽率です。今後は初対面の相手には警戒心をもち、熟慮した上で行動するよう心がけなさい。いいですね?」
天翔丸は眉をひそめた。陽炎の言いようが引っかかる。まるですべての事象を予想していたような口ぶりだ。
「ちょっと待て……ひょっとしておまえ、全部知ってたのか?」
「何がですか?」
「かごめが実は死霊だったこととか、ここが墓場だったこととか、わかってたのか?」
「はい。あの娘からはまったく生気が感じとれませんでしたし、ここははじめから墓場にしか見えませんでした」
「なんでそれを、そのときに言わなかったんだよ!?」
唾を飛ばしながら食ってかかる天翔丸に、陽炎はさらりと告げた。
「いい修行になったでしょう」
天翔丸はふるふると震えた。そうなのだ、この男はこういう奴なのだ。修行第一。鞍馬天狗を鍛えるためならどんな手段だって使うし、わざと窮地に突き落とすこともする。そしてこっちが必死にあがき戦うさまを、高みから無表情な顔で眺めるのだ。
天翔丸は鞘におさめた剣を再び抜きはらい、思いを丈を一言にこめて叫んだ。
「たたっ斬る!!」
嘆く死霊に笑みを与えてあの世へ還し、鞍馬天狗は今日も元気にその声を山にこだまさせた。
(終)