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 この世には多くのものがひしめきあって棲んでいる。獣、鳥、人間、妖怪、鬼、死霊、狂骨、魑魅魍魎。姿形も生態も多種多様なそれらは、大きく二つに分類することができる。

 分類基準は息絶えた経験があるか否か。

 生きているものを『生物(いきもの)』という。

 死んでいるものを『死物(しのもの)』という。

 生物の棲処(すみか)である『この世』に『あの世』の死物がいつからはびこるようになったのか。喰らい喰らわれる生物の生態系に死したものたちが加わり、この世における生存競争はより過酷なものとなっていた。

 今は昔、人間の暦で平安と呼ばれる時代。

 鞍馬山の天狗として生を受けた少年がいた。名を天翔丸(てんしょうまる)。これは彼と、彼と共に生きるものたちの物語。


 冬の冷えきった大気にうっすら敵の気配を感じる。

(どこだ)

 天翔丸は呼吸を整えながら、汗ばむ手で幅広の黒剣『七星(しちせい)』を握りしめ、敵の気配を探った。近くにいるのは確かだが、霧のようにとらえどころがない。敵はこの山の気に自分の気配を溶けこませ、ほとんど同化している。

 風が吹き、それを合図にするように頭上で何かが動いた。

「そこかぁ!」

 勢いよく見上げて、目にとびこんできたのはーー白い塊。

「雪ぃっ!?」

 意表を突かれつつも跳びのいて落雪をよけ、踏んばって転倒をふせぐ。瞬間、背後から、足をはらわれた。

「どわぁ!?」

 ひっくり返って倒れると、喉元に銀の錫杖が突きつきられた。その先にある輪がぶつかりあって甲高い音をたてる。

「今日、これであなたは二十九回命を落としました」

 闇色の衣をまとった長身の男が、天翔丸を見下ろしながら言った。

 敵ーー陽炎(かげろう)である。感情の欠如したその顔には炎のような銀模様が這い、氷のように冷ややかな蒼い瞳がある。

「鞍馬天狗たるものがそんなざまでは、山を護ることはできませんよ」

 鞍馬山を守護する天狗を『鞍馬天狗』という。ある満月の夜、都で人間として暮らしていた天翔丸は陽炎にさらわれ、鞍馬山へと連れてこられた。陽炎は天翔丸を鞍馬天狗と定め、以来、山の(ぬし)としてふさわしくするため武術の修行を強いている。

 天翔丸は鞍馬天狗になることを承諾してこの山にいるのだが、決して甘んじてそうしているわけではない。

「へん、誰が護るもんか! こんな山なんか滅ぼして、おまえに復讐するんだっ!」

 復讐相手から武術を習い、それをもって復讐を果たす。すなわち陽炎が護れという山を滅ぼし、なおかつ陽炎自身を討つことが天翔丸の目的なのだがーー。

「私を討ちたければ全力をもって修行なさい。落雪に気をとられること自体、注意散漫な証拠。隙だらけです」

 天翔丸はうなりながら口をとがらせた。復讐を決意したものの、その意気込みむなしく、陽炎にこてんぱんにやられる毎日である。

「今日もころころ転がってんなァ、莫迦天狗。ゲッゲッゲ!」

 頭上から濁った笑い声がふってきた。嘲笑する大鴉(おおがらす)を天翔丸はきっとにらんだ。

黒金(くろがね)! さっき雪を落としたの、おまえだろ! 邪魔すんなよ!」

「邪魔だと思うんなら追っ払えばいいだろォ。おめえにできればの話だけどなァ。ここまで来てみろ、ホレホレ」

 高い枝の上で挑発するように尾羽をふる大鴉に腹を立てても、翼のない天翔丸には手すら届かない。地団駄を踏んでいると、かわいい少女の声が聞こえた。

「天翔丸〜!」

 木立から駆けてきたのは二又の尾をもつ大きな白い獣。妖怪猫又である。

「おう、琥珀(こはく)!」

 天翔丸がそちらへ駆けだそうとすると、銀の錫杖に阻まれた。

「修行の途中ですよ」

「琥珀が来た。飯の時間だ」

 天翔丸は錫杖を押しのけて、琥珀のふわふわした白い身体にとびついた。

 陽炎は何かを言おうと口を開きかけたが、天翔丸の腹の虫が鳴いたのが聞こえ、錫杖を腰の鞘におさめた。

「では半刻、休憩とします。しっかり腹ごしらえをし、午後の修行に備えなさい」

 陽炎は黒金と共にそこから離れ、視界から消えない程度の距離をおいた。

「修行修行と小うるさい奴め」

 琥珀が「えいっ」と宙に跳んでくるっと回転し、童女の姿に変化(へんげ)した。猫又という妖怪は変化の術に長けているとかでいろんな物に化けるが、まだ未熟な琥珀は童女に化けても耳としっぽが出てしまう。

 琥珀は首に巻きつけていた風呂敷包みを開き、手作りおむすびをさしだした。

「はい天翔丸、めしあがれ」

「おう。いただきます!」

 朝から修行していたので空腹だ。天翔丸は琥珀が手渡すおむすびを次々と口に放りこんでいく。

「天翔丸、おいしい?」

「うまい!」

「よかったぁ。たーんと食べてね」

 にっこり笑う琥珀を見て、天翔丸はしみじと言った。

「おまえは本当にかわいいなぁ、琥珀」

「ほんま? わーい」

 人懐っこく頬をすり寄せてきた。あの黒ずくめの冷血漢といけすかない鴉には腹が立つことしきりだが、この愛嬌たっぷりの猫のおかげで、修行続きのこの山での生活にも(なご)みというものがある。

「おい、天翔丸。わしにもおむすびをくれ」

 天翔丸の胸元から声がわいた。声の主は首から下げている鏡で、鏡面には細いひびと口、数個の寝ぼけ(まなこ)がある。

「起きたか、雲外鏡(うんがいきょう)。おまえ五日も寝てたぞ」

「よう寝たから腹が減ったわい。ほれ、早う」

 天翔丸は溜息をつきつつも鏡を地面に起き、おむすびをその口に入れてやった。

 この雲外鏡はあらゆる妖怪の生態に精通し、その正体を見抜くという魔鏡だ。……と陽炎は言っていたが。

「ふう、喰った喰った。ではさらばじゃ」

 雲外鏡は食べるだけ食べると、目を閉じてまた眠ってしまった。いつもこうだ。自分の用がすむとさっさと寝てしまい、一度寝たらいくら呼びかけても叩いても起きない。

「寝ぼすけ鏡が」

 言いつつ、天翔丸は残りのおむすびをたいらげ、懐からいそいそと笛をとりだした。

「天翔丸、今日はどんな曲?」

「昨日作ったできたてほやほやの新曲だ」

 あぐらをかいた上に子猫の姿に化けた琥珀がちょこんとのる。天翔丸は目を閉じ、笛に息を吹きこんで音に変えた。

 その笛で奏でられる音色は繊細で美しい。鞍馬山に連れてこられる前は本気で楽師を目指していただけあって、腕前もなかなかのものだ。

「ーーふう……」

 一曲を吹き終え、余韻にひたりながら目を開けた瞬間、天翔丸はかすかに悪寒を感じた。なにやら気配を感じ、ふと横を見てぎょっとした。

「おわあっ!?」

 すぐ横に、被衣(かずき)をかぶった青白い顔をした少女がいた。歳は十四か五、ちょうど天翔丸と同じ歳の頃の少女がうつむいて雪の上に正座していた。

「おまえ、いつからそこにいた!?」

 少女はか細い声で言った。

「あの……先ほどからずっと」

 黒金がすかさず突っこむ。

「山の主なら、入山者の気配くらい感じとれよ。莫迦で弱い上に(にぶ)いときちゃ、救いようがねえなァ」

「うるさいな!」

 少女は天翔丸に一礼して言った。

「あなた様にお願いがあってまいりました」

「お願い?」

「はい。私はとある高貴な方に仕えております。その主人が山から聞こえてくるあなた様の美しい笛を耳にし、いたくお気に召されまして。ぜひ私共の邸にて笛を奏していただきたいのです」

 思いがけない申し出に天翔丸は驚いた。食後の笛を聴いている人がいたとは。笛は好きで吹いている。それをこのように褒められてうれしくないはずがない。いや、ものすごくうれしい。

「お越しいただけますでしょうか?」

「行く! 喜んで!」

 快諾した後でふとふりむくと、陽炎がこちらをじっと見ていた。なにせ鞍馬天狗の修行を最重要事項としている男だ。修行があるから駄目です、とか言って反対するに決まっている。そう思ったが、

「いいですよ。あなたがそうしたいのならば」

 どういう風の吹き回しだろうか。この男がすんなり許可するのは不気味だったが、まあ、堂々と修行をさぼれるにこしたことはない。

 天翔丸は少女に笑いかけた。

「じゃ、さっそく行こう。俺の名は天翔丸。おまえは?」

 少女は小さな声でぽつりと言った。

「かごめと申します」


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