第四話 n回目の晩餐
「私の行きつけでいい?零」
「行きつけ?引きこもりの楓に行きつけなんてあるの?」
失礼な驚きかたをする零を連れて、私は夜の街へと足を踏み出した。
彼女のあの異様なハイテンションから気を逸らすためにも、手早くカロリーを補給しておきたい。
向かった先は、大通りから一本路地に入った場所にある、ピンク色の看板が目印のメイド喫茶だ。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
フリルのついたメイド服を着た店員たちが華やかに出迎えてくれる。
隣で「うわぁ……!」と、いかにもオタクらしい感嘆の声を漏らして固まる零をよそに、私は近くのメイドへ軽く手を振った。
「いつもの席、空いてるかい?」
「はいっ!楓お嬢様、こちらにどうぞ」
すっかり常連とかしてる私は、名前すら覚えられている。
「楓、手慣れてるね。こういうところ、よく来るの?」
物珍しそうにキョロキョロする零に、私は努めて平坦に答える。
「まあね。幼馴染がここで働いてるから、挨拶がてらに、カロリー補給したい時はよく来るんだ」
フロアの奥にあるボックス席に腰を下ろすと、ひときわ可愛らしい声を上げて『彼女』がやってきた。
「楓お嬢様、おかえりなさいませ♡ 本日もご帰宅ありがとうございます!」
ふわふわの髪に、ぱっちりとした大きな瞳。胸元のネームプレートには『三枚堂美香』とある。
「オムライス二つ。……あと、私はアイスコーヒーで。こいつにはメロンソーダでも頼むよ」
メニューも見ずに注文を済ませると、美香は完璧なウインクを残して厨房へ戻っていった。
彼女の姿が見えなくなるや否や、零が身を乗り出して小声で詰め寄ってくる。
「ねえねえ楓!どの娘!?どの娘が幼馴染なの!?」
「は?どの娘って……今、注文取ってくれたあいつだけど」
ストローで水を啜りながら答えると、零は「あんな超絶美少女が!?」と目を丸くして騒ぎ立てた。
「いつからって……君も知ってるはずだよ?昔、三人で一緒によく遊んでただろう?」
心底呆れてため息をつく。零は本当に、昔から肝心なところで鈍感だ。
必死に記憶を探る零の口から出た名前は、やはり『時坂彼方』という男の子の名前だった。
サウスポーのバスケ少年。
確かに彼はそこにいたが、零は目の前の美香と彼方が同一人物だとは夢にも思っていないらしい。
「うん、やっぱり楓の勘違いじゃないかな?私たちと遊んでくれた変わり者なんて、時坂くんぐらいでしょ?」
首を傾げる零に、私はふっと口元を緩めた。
「まあ、そうだね。……でも、あの頃引っ込み思案だった私を、零が外に連れ出してくれて。彼方も巻き込んで一緒に遊んでくれたこと、私、すごく嬉しかったんだよ」
あの狂気を帯びた零ではなく、昔と変わらない、少し抜けた彼女を前にすると、つい素直な言葉がこぼれてしまう。零は顔を赤くして照れていた。
「お待たせいたしましたっ♡」
気恥ずかしい空気を断ち切るように美香が戻ってきたタイミングで、私は意地悪く言い放った。
少しからかってやろうと思ったから。
「こいつ、私の幼馴染なんだ。でも、君のこと覚えてないってさ」
「ちょっと、楓!?」
慌てて立ち上がり「頭が悪くてごめんなさい!」と頓珍漢な謝罪をする零。帝都大生が何を言っているんだか。
「帝都大生が頭悪いなんて、いい嫌味だね」
「ちょっとっ!」
私は、この漫才じみた会話が心地よかった。
一方、零の名前を聞いた美香は、パチリと瞬きをして完全にフリーズした。
「零……?」
作られたメイドの声から、低く、かつてのトーンが漏れ出る。慌てて取り繕う姿が滑稽で、私は内心で少し笑った。
罪悪感で縮こまる零を見て、私はさらに追撃をかける。
「面白そうだし、零のオムライスにはケチャップでハートでも描いてあげたら?」
「……っ、も、もちろんですよっ♡」
頬を赤らめながらハートを描く美香。さらにチェキ撮影まで提案してやった。
並んで写真に収まる二人を眺めながら、私はアイスコーヒーを啜る。
背の高い美香を見上げて、零が少し落ち込んでいるのが分かった。
男なのだから骨格が違うのは当然なのだが、気づかない彼女には到底言えそうになかった。
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「お嬢様、もう閉店のお時間ですよ」
しばらくして、耳元に響いたその声に反応し、私はゆっくりと目を開けた。
頭がひどく重い。お酒でも間違えて飲んだのだろうか。いや、そもそも私はアイスコーヒーしか口にしていないはずだ。
視界がぼやける中、状況を把握しようと周囲を見渡す。
そこは先ほどまでいた華やかなメイド喫茶ではなく、コンクリートが丸出しになった殺風景なビルの一室だった。
窓の外に見える景色から、秋葉原のどこかだということはわかる。
そして目の前には、フリルだらけのメイド服を着たまま、冷たい目で見下ろしてくる『彼女』が立っていた。
「どういう冗談だい?時坂。ここは閉店時間を迎えると送られる牢獄か何かかい?」
私は努めて冷静を装い、いつもの調子で声をかけた。
だが、時坂は私の軽口に一切反応せず、無言のまま私の顔に向けてスマートフォンを放り投げてきた。
「零はどこにいる」
反射的に受け取った私を見下ろし、かつての幼なじみは、作られたメイドの甲高い声とは別人の、低い声で言い放った。
状況が全く飲み込めない。だが、一つだけ確かなのは、この意味不明な状況に零本人は巻き込まれていないらしいということだ。
その事実に、私は心の奥底でわずかに安堵した。
「時坂、本当に何の冗談?」
私は語気を強めて彼を睨みつけた。
「零はどこだ」
さらに鋭く言葉を返し、時坂は私に詰め寄ると、そのスマホを私の手に強引に握り込ませた。
画面には見慣れないシステムが開かれている。これで探れということだろう。
「これ以上ふざけるなら警察に通報するが、どうするんだい?」
ブラフを交えて凄んでみせたが、時坂の表情はピクリとも動かなかった。
「依頼は公安からだ。あきらめろ」
その言葉に、私の思考は完全に凍りついた。
公安。つまり、こいつはただのメイド喫茶の店員ではなく、国の裏側で動いている人間だというのか。
私たちの退屈な日常は、とっくの昔に崩壊していたらしい。
「私の命の保証は?」
「零を確保したら解放する」
その安っぽい誘導に乗ってしまえば、どちらも助かる見込みはないことくらい、火を見るより明らかだった。
私は手渡されたスマホのメールアプリを開き、素早く数字を打ち込んでいく。
『13091101…………』
『ミカは危険公安にマーク逃げろ』
その警告を、01から順にアルファベットへ割り振る単純な数字の羅列に変換する。
あの文字化けの惨状を見た後なら、絶対にバグらない数字の羅列の意味に、零ならきっと気付いてくれる。
私のPCは解析進行中、もし零が無事に戻ってくれたならその画面を退屈そうに見ているはずだ。
私はそのメッセージを、ドクター永冨のUSB宛てに送信した。
「何をした?」
訝しげに目を細める時坂に、私は平然とスマホを突き返す。
「零がいつも持ち歩いているUSBに向けて送っただけだ。公安のお友達なら、簡単に電波をたどれるだろう?」
諸刃の剣、時間との勝負だ、公安に突入される前に、こいつを倒して、零と合流する必要がある。
――やるしかない。
「ふん」
時坂が鼻を鳴らし、無防備にスマホを受け取ろうとした、その刹那。
私は全身のバネを弾き、時坂の首めがけて両手を伸ばした。
ハッカーの細腕だろうが、気道を絞め上げれば人間は確実に落ちる。
だが、指先がその喉元に深く食い込んだ瞬間、決定的な『違和感』が私の脳髄を貫いた。
男性であれば絶対に隠せないはずの骨の隆起――喉仏が、ない。
「……っ!?」
私と時坂、いや、時坂の皮を被った『何か』の視線が交錯した。
その直後。
パァンッ!と、鼓膜を劈くような乾いた破裂音が背後から響いた。
「うあっ!」
……熱い!背中から胸を貫くように、焼け焦げるような鉛の熱塊が突き抜ける。
それが背後からの『銃撃』だと脳が理解するより早く、私の身体は崩れ落ちていた。
もう一人……、いたのか。
ゴフッ、と肺から込み上げた赤い血が、冷たいコンクリートを汚していく。
「時坂……お前、誰、だ……!」
薄れゆく視界の中、血に染まったメイド服を見下ろす『それ』は、哀れみすら浮かべず、ただ無言で暗闇へと消えていった。
……逃げて、零。私たちの青春は、こんなところで終わらせちゃダメだ。
声にならない祈りだけを残し、私の意識は深い闇へと沈んでいった。
プロローグ・n回目の終わり 了




