13.消えた米
その日の料理房は、いつも通り――騒がしかった。
「火見ろ!」
「それ焦げる!」
「水足せ!!」
怒号が飛び交う中。
ユィは。
芋を洗っていた。
しゃり、しゃり。
水の音。
手は動いている。
だが――
意識はどこか遠くにあった。
(推し……)
脳内に再生される。
あの後ろ姿、あの歩き方、あの空気。
(本物だった……)
ため息が漏れる。
「はぁ……」
「おい」
後頭部に軽く衝撃。
「痛っ」
振り向くと、大藍がいた。
「手は動いてるが魂抜けてるぞ」
「すみません」
「芋に惚れてんのか」
「違います」
(推しに惚れてる)
とは言えない。
ユィは再び芋に向き直る。
しゃり、しゃり。
(はぁ……)
(尊かった……)
「またため息ついてる」
「ついてません」
「ついてる」
大藍はじっと見てから、ふっと鼻で笑った。
「まあいい」
「手だけ止めんな」
「はい」
そのときだった。
「……おかしい」
声がした。
ルールーだった。
帳面を見ている。
眉間にしわ。
「何が?」
別の女官が聞く。
「量が合わないのよ」
ルールーは言う。
「穀物庫の米の」
ユィの手が止まる。
「……米?」
「記録より減ってる」
「何回目?」
「三回目」
空気が、ぴんと張る。
米。
それは、ただの食材じゃない。
宮廷においては――
命そのものだ。
「……盗まれてる?」
誰かが小さく言う。
ルールーは首を振る。
「分からない」
「でも、この減り方はおかしいね」
ユィの手が止まる。
「……変?」
「記録より減ってる」
「何度目?」
「三回目」
空気が少し変わった。
「……盗まれてる?」
誰かが小さく言う。
ルールーは首を振る。
「分からない」
「でもこの量はおかしい」
そのとき――
別の女官が口を開いた。
「管理、あんたでしょ」
ぴたり、と空気が止まる。
ルールーは顔を上げた。
「……そうだけど」
「じゃああんたじゃないの?」
沈黙。
「違う」
ルールーは即答した。
「私はやってない」
だが――
疑いの目は消えない。
料理房は、物の管理が厳しい。
食材は命に直結する。
だからこそ――
ミスも、誤差も許されない。
とくに穀物は、厳密に管理される。
偶然では済まされるはずもなく、ましてや三回も誤差があるなど、あってはならぬことだ。
「報告する」
誰かが言った。
ルールーがわずかに眉をひそめる。
「待って」
「まだ確定じゃない」
「でも三回目でしょ」
返される。
ユィは二人を見た。
(……早い)
結論が出るのが。
(これ、まずい)
その予感は、当たった。
数刻後――
料理房の入口。
静かに、女官が二人現れた。
濃い色の衣。
無表情。
帯には印。
(処罰房……)
空気が一気に冷える。
「ルールー」
呼ばれる。
「穀物管理の不備について、調査のため同行してもらいます」
ルールーは黙った。
数秒。
それから言った。
「……私はやってない」
「言い分は後で聞きます」
淡々と返される。
手首を取られる。
強くはない。
だが、拒否はできない力。
ルールーは一瞬だけ、ユィを見た。
その目は――
いつもの生意気なものじゃなかった。
「……」
何か言いかけて。
結局、何も言わなかった。
そのまま連れていかれる。
足音が遠ざかる。
静寂。
誰も何も言わない。
やがて、大藍が低く言った。
「仕事戻れ」
その一言で、皆動き出す。
だが。
ユィは動けなかった。
(違う)
頭の中で、はっきりと響く。
(あの人はやらない)
理由はない。
証拠もない。
でも――
(やらない)
その瞬間。
ふっと、記憶がよぎった。
――初めて会った日。
「はぁ……見習いか」
腕を組んで、呆れたようにため息をついていた女。
「どこの房?」
口は悪い。
態度もぶっきらぼう。
でも――
「そっち立ち入り禁止だよ!!」
あのとき――
怒鳴った声の奥にあったのは――
苛立ちじゃない。
焦りだった。
心配だった。
自分の管轄に入る見習いが、いきなり問題を起こすかもしれないことへの。
責任と、思いやり。
そして、あの目。
ちらりと向けられた視線。
ほんの一瞬だけ揺れていた瞳。
厳しさの奥にある、優しさ。
(……知ってる)
ユィは思う。
(あの人は)
責任から逃げない。
任されたことを投げない。
誰かの期待を裏切るようなことはしない。
(やらない)
確信に変わる。
芋を見下ろす。
水の中で、転がっている。
手が止まっている。
(……どうする)
問いかける。
自分に――
そして……
もう一つ、引っかかることがある。
(三回)
(米)
(少しずつ減ってる)
もし――
一度に盗むなら……、もっとまとめて持っていくはずだ。
(なのに三回)
(しかも全部、誤差みたいな減り方)
ユィの思考が、ゆっくりと組み上がる。
(これ……)
(盗み方が変だ)
答えはすぐに出た。
ユィは顔を上げる。
(料理房の人間じゃない)
(ここにいる人なら、一回で持っていく)
(手間をかける意味がない)
じゃあ――
(外)
誰かが、少しずつ、持ち出している。
(……なんで?)
そこまで考えて。
ふと、胸の奥が引っかかる。
(米)
(少しずつ)
(何回も)
(……失敗?)
その言葉が、浮かんだ。
うまく作れない。
だから。
何度も。
(……誰かが)
(慣れてない手で)
(料理してる)
そして……もう一つ。
(米を、そんなふうに使う理由って……)
ユィはゆっくり息を吐いた。
(……食べさせたいんだ)
誰かに。
温かいものを――
小さく呟く。
「……看病かも」
ユィは袖をまくった。
(推しは見失ったけど、事件は見つけた)
その目に、いつもの光が戻る。
(犯人を見つけよう)
そして。
(……助ける)
静かに、一歩を踏み出した。
(決まってる)
小さく息を吐く。
「……探すか」
ぽつりと呟く。
(推しは見失ったけど、事件は見つけた)
ユィは袖をまくった。
(犯人、見つけてやる)
その目に、いつもの光が戻っていた。




