12.憧れた場所
ユィは、洗濯かごを抱えたまま廊下の影を進んでいた。
前方には、例の男。
官服の背中、長い袖、すっとした背筋。
歩き方まで、見覚えがある。
(推し)
(推しが歩いてる)
(推しが歩いてる)
(推しが歩いてる)
大事なことなので三回確認した。
(落ち着け)
(落ち着け私)
(これはストーカーじゃない)
(観察)
(推し観察)
正当な行為である。たぶん。
ユィは柱の影に隠れながら、そろりそろりと後を追う。
洗濯かごが重い。
腕が震える。
(くっ……)
(こんな時に限って荷物が重い……)
だが、推しの背中は見失えない。
その背中が曲がり角を曲がる。
ユィも急いで追いかけた。
そして――
ふと、足を止める。
(……あれ?)
見覚えがある。
この廊下、この柱、この角度、この景色。
ユィの脳内で、ドラマの映像が再生された。
炎王記。
あの有名なシーン。
何度も見た、巻き戻して見た。
台詞も覚えている。
(待って)
(待って待って待って)
(ここって)
ユィはきょろきょろと辺りを見回す。
(この先って)
(まさか)
走り出した。
廊下を曲がる。
石段を下りる。
そして――
「……あった!」
思わず声が出た。
目の前には、広い池。
水面に広がる丸い葉。
そして、いくつもの花。
淡い桃色と白が、風に揺れている。
「蓮池……!」
間違いない。
ここだ。
炎王記で、カセツとエンが初めて出会った場所。
(聖地!!)
(聖地巡礼!!)
(転生最高!!)
ユィのテンションは、完全に振り切れていた。
(うわぁぁぁ)
(本当にあるんだ)
(ここでエンが――)
そのとき――
池の向こう側に、人影があった。
官吏服の若い男が蓮を見つめている。
そして、ぽつりと呟いた。
「……泥まみれの、汚い花だ」
その瞬間。
ユィの中で、何かが弾けた。
「汚くありません!!」
思わず叫んでいた。
官吏が驚いて振り向く。
ユィはずかずかと歩み寄った。
ユィはその男を見た。
(官吏)
服で分かる、淡い青の官服。
装飾は少ない、帯も簡素。
(下級官吏)
宮廷では、官服の色や装飾で階級が分かる。
上に行くほど濃く、重く、華やかになる。
逆にこれは――
(まだ下の方)
つまり、若手。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「蓮は泥の中でも凛と咲く立派な花です!」
「私の好きな花を侮辱しないでください!」
完全にドラマと同じ台詞だった。
言ってから、はっとする。
(あ)
(これ)
(カセツの台詞)
(私が言っちゃった)
官吏はぽかんとしている。
しばらく沈黙。
そして、ふっと笑った。
「……そうか」
それだけ言って、池を見た。
ユィは内心で叫ぶ。
(炎王記!!)
(最高!!)
(転生最高ーーー!!)
だが、ふと我に返る。
(……あれ?)
振り向く。
廊下を見る。
誰もいない。
ユィは瞬きをした。
(……あれ)
もう一度見る。
いない。
いない。
いない。
沈黙。
数秒。
「……あ」
ユィは呟いた。
「推し」
そして続けた。
「見失った」
完全に。
見事に。
綺麗に。
ユィはその場に崩れ落ちた。
「……うそでしょ」
蓮の花が、風に揺れていた。




