プロローグ
目を覚ました瞬間、鼻に突き刺さる匂いがした。
……カビ臭ぁ。
思わず顔をしかめる。
湿った木の匂いと、古い布の匂い。
こんな匂いの部屋、大学の資料室以来なんだけど。
……いや、ちょっと待って。
私、国家試験終わったばっかりなんだけど。
就職先、大学病院なんだけど。
なんで私、こんなカビ臭い部屋で目覚めてるの?
ぼんやりした頭で天井を見上げる。
視界に入ったのは、見覚えのない木の梁だった。
古い。
かなり古い。
というか、これどう見ても日本の建物じゃない。
梁の色は黒くくすんでいて、ところどころに染みのようなものが浮いている。
湿気のせいか、木材が少し膨らんでいる気もする。
(うわぁ……)
看護学生として培った観察癖が、無意識に働く。
この部屋、絶対換気してない。
というか、掃除もあんまりされてない気がする。
カビの匂いがかなり強い。
長時間ここにいたら普通に体調崩すレベルだと思う。
……いや、待って。
そもそも私、なんでここにいるの?
昨日の記憶を辿る。
国家試験は終わった。
結果はまだだけど、自己採点的には問題ない。
そして春からは大学病院に就職予定。
つまり私は、
「やっと学生終わったー!」
って解放感に浸っていたはずだ。
それなのに。
なんでこんなカビ臭い部屋で寝てるの?
私はゆっくり身体を起こそうとして――
「あれ?」
違和感に気づいた。
身体が軽い。
いや、軽いというより、小さい。
掛け布の下から出した手を見て、思わず固まる。
細い。
びっくりするほど細い。
それに、短い。
手のひらも小さい。
指も短い。
どう見ても、大人の手じゃない。
「……え?」
声を出した瞬間、また違和感。
声が高い。
子供みたいな声だ。
恐る恐る自分の腕を見る。
やっぱり細い。
そして短い。
どう考えても、成人女性の身体じゃない。
というか。
これ。
「……子供?」
呆然と呟く。
ゆっくりと周囲を見回す。
部屋は狭い。
壁は白い漆喰みたいな質感で、ところどころひびが入っている。
家具はほとんどなく、あるのは粗末な寝台と、小さな棚くらい。
棚の上には布と、木の器。
そして部屋の隅には――
箒。
(……箒?)
その瞬間。
頭の奥で、何かが引っかかった。
ざわり、と記憶が揺れる。
古い宮殿。
長い廊下。
煌びやかな衣装。
そして。
悲劇の物語。
恋愛歴史ドラマ。
全五十巻。
私はそのドラマが大好きだった。
何度も見た。
泣いた。
推しもいた。
忠臣、柳烈。
そして彼が仕える皇子。
後に「暴君」と呼ばれる男。
炎。
胸の奥がざわざわする。
そして、ある名前が浮かんだ。
「……ウーユエ」
思わず呟く。
そうだ。
五月。
この世界の皇女。
暴君、炎の姉。
そして。
物語の中で、最初に死ぬ人。
私はもう一度、自分の小さな手を見る。
細い指。
幼い身体。
そして、この古い部屋。
ゆっくりと息を吐いた。
どうやら私は……
そのウーユエに――
転生してしまったらしい。




