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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
一章_邂逅編
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06_『it』①



 窓外に広がる王都の喧騒とは対照的に、王宮にあるノアの執務室は静まり返っていた。

 カサリ、と上質な紙が擦れる音だけが室内に響く。ノアの手にあるのは、隣国セーブルの王家から届けられた親書だった。読み進めるうちに、ノアの眉間に深い皺が刻まれていく。



「……オルガナの聖廟が、落ちたか」



 その呟きを拾ったのは、傍らに控えていた秘書官のモーガンだった。



「聖廟が? あそこは確か、大陸でも指折りの結界に守られていたはずですが」

「ああ。だが、結果は壊滅だ。聖廟を守護していた七人の高名な魔法使いも、全員が命を落としたそうだ」



 ノアは手紙を机に置いた。

 この世界の誰もが知る、三百年前に封じられたはずの「災厄」。

 

 

 かつて魔法がこの世に産声を上げた黎明期、その強大な力を振るって人間を支配しようとした存在――。

 歴史書にすら名が残らず、ただ『itそれ』とだけ呼称される呪いの根源。



 大魔女オルガナが自らの命を楔として封印したはずのその呪いが、今、再び目を覚まそうとしているのか。



「『it』との戦い……。古い記録によれば、地獄を具現化したような凄惨極まるものだったと聞き及んでおりますが」

「事実だろう」

ノアは重く頷いた。



「もっとも、セーブルの『狼王』の推測によれば、三百年の幽閉で『it』の力そのものは衰えている可能性があるとのことだ」

 

「だが問題はそこじゃない。問題は、『誰が聖廟を破壊したのか』だ」



 その集団が現在の世界の破壊を目論んでいるのだとしたら、事態は厄介だ。『it』が力を蓄えれば、再び混乱の世が訪れる。



 モーガンは静かに頷き、手際よく紅茶を用意しながら口を開いた。

「失礼ながら……先代の豹王であれば、この状況に対処はできなかったかもしれませんね」



 ノアは否定しなかった。奢侈に傾倒し、国庫を湯水のように使った先代は、国民のことなど微塵も考えていなかった。ノアが国王に即位して三年。国力はようやく回復の兆しを見せていたが、まだ道半ばだ。隣国の狼王の協力がなければ、この速度での復興は難しかっただろう。



 狼王の手紙には、近いうちに「七獣国」に招集をかけると記されていた。


 この三百年で、世界では魔法が体系化され、各国に一人ずつ「大魔女」が存在していたが、彼女たちの協力が不可欠だとも記されていた。ノアは頭が痛くなった。なぜならノアが統治するこの国、セラフィスを守護する大魔女へルナは、ノアが即位して以降何度要請しても、ただの一度もその居城とする森からでることはなかったからだ。



 大魔女の協力もだが、何よりの問題は、封印の鍵となった大魔女オルタナと同じ『浄化の力』を持つ魔女は、彼女を最後に三百年もの間、一人も現れていないことだった。



 ノアは差し出された紅茶を一口飲んだ。

 ……苦い。いつもより、どこか刺すような苦味を感じた。



「この平和な世が変わってしまうのですね。残念です」

 モーガンはそう言って、寂しげに目を伏せた。少し年上の、色白で端正な青年。子爵家の三男坊として生まれ、爵位継承の望みが薄い中で、彼は持ち前の頭脳だけで王の側近にまで上り詰めた。アカデミーを優秀な成績で卒業したその才知は、ノアも高く評価していた。



 だが、その唇が次に刻んだのは、凍り付くような嘲笑だった。

「……もっとも、先代であれば、我々の計画ももっと簡単に進んだでしょうに」

 


 その言葉が鼓膜を打った瞬間、ノアは手にしていたカップを投げ捨てた。



 瞬時に練り上げられた魔力が圧となり、モーガンの身体を背後の壁まで弾き飛ばす。凄まじい衝撃音が響き、壁が蜘蛛の巣状にひび割れた。だが、めり込んだままのモーガンは、口角を歪めて笑っていた。


 こきり、と不自然な角度に曲がった首を戻し、モーガンが立ち上がる。その表情に苦痛の色はない。



「……ひどいですね」



 吹き飛ばした衝撃で舞い上がった埃や、自身の魔力の残滓が視界を遮り、ノアは部屋の影から這い出した「それ」に気づくことができなかった。実体を持たない黒い粘液が床を滑り、目にも留まらぬ速さで、ノアへと肉薄した。



 次の瞬間、影が意志を持った触手のように跳ね上がる。


「……ッ?!」

 『それ』は衣服の隙間からするりと滑り込み、血管を逆流するように肌の下を這い進む。

 皮膚の下で、ありえない形状の「何か」が蠢き、首筋へと吸い上げられていく。



 毒ではない。血管の中を、冷たくておぞましい「何か」が這い回る感覚。魔力回路が内側から蝕んでいく。



「どうやら無事に入れたようですね」

 近づくモーガンに向け、ノアは渾身の攻撃魔法を放った。


 視界を焼き切るほどの閃光が執務室を白く染め、モーガンの半身を無慈悲に消し飛ばした。

しかし、右半身を失い、内臓すら露わになった状態で、モーガンはなおもニヤリと笑った。



「さすがですね……。やはり、あなたこそが『器』に相応しい」



 その言葉を最後に、モーガンはどろりと泥のように崩れ去った。



「……っ、が……あ、ああああ!!」




 独り残された執務室で、ノアは自身の胸を掻きむしった。

皮膚の下で、黒い紋様が脈動しながら全身へと広がっていく。意識が遠のく中、ノアの中に何かが入り込んだことがわかった。



『it』ーー。


次話は明日アップします

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