16_幻影と虚飾の世界へようこそ
雲一つない快晴の土曜日だった。首都郊外に広がる広大な緑地で開催されたその祭典は、近年稀に見る最大規模を誇っている。貴族階級はもちろん、労働者階級の活気も混ざり合い、身分の垣根を越えて開かれて、初日から凄まじい熱気が溢れていた。
馬車の窓からその賑わいを眺めながら、ジルは「複数台に分かれて正解だった」と安堵した。一人一台だったら、会場に着く頃には日が傾いていただろう。せっかく早朝に出発したのだから、今日は存分に遊び尽くすつもりだった。
牛歩の如く進む馬車の列に揺られていると、不意に窓がコンコンと叩かれた。向かいに座るエリアスが視線を向けると、そこには彼と同じ年頃の少女が立っていた。腕に抱えたカゴには、甘い香りを漂わせる焼き菓子がぎっしりと詰められている。
エリアスは興味なげな表情を浮かべていたが、隣のジルをチラリと見ると、窓を少しだけ開けた。彼は無造作に1ギニーを差し出し、引き換えに受け取った菓子の袋を無言でジルに手渡した。
「わあ、ありがとう!」
ジルが礼を言って袋を開けると、香ばしいナッツの香りが広がった。エリアスが「フロランタンだよ」と、クッキー生地にキャラメルがけのナッツを乗せた菓子の名を教えてくれる。一口頬張れば、カリッとした食感とともに濃厚な甘みが広がり、ジルは至福の吐息を漏らした。
隣に座る護衛の騎士にも「いかがですか?」と差し出してみたが、彼は鉄面皮を崩さず「職務中ですので」と生真面目な顔で断った。
今朝、ノアから紹介されたこの騎士の名はマーク。ロズリー公爵が信頼を寄せる部下の一人だという。これほどの実力者を祭の付き添いなどに回すべきではないのでは、とジルは恐縮しきりだったが、正式な護衛が決まるまでは彼が担当するとノアに言い渡されたのだ。
ようやく馬車留めに辿り着き、外へ出ると、ジルは思わず驚嘆の声を上げた。
「へぇ……なかなかだね」
隣に立つエリアスも、流石にこの光景には感嘆したようだ。正門には魔導で光り輝く巨大な看板が鎮座し、遙か上空ではドラゴン――もちろん精巧な作り物だろうが――が、火を吹きながら悠々と空を舞っている。白昼だというのに、空には無数の光る球体が星のようにきらめき、人で埋め尽くされた大通りには、世界中の料理や菓子の屋台が所狭しと軒を連ねていた。
しかし、あまりの人の多さに、全員でまとまって行動するのは早々に不可能だと判断された。
ジルはエリアス、そして他の生徒二人と一緒に回ることに決めた。そっと背後を振り返れば、マークが他の騎士と共に一定の距離を保ってついてきている。彼は他の騎士よりも頭一つ分背が高いため、この混雑の中でもすぐに見つけることができる。
一行はまず、朝食代わりに各々好みの屋台で食事を調達することにした。ジルが選んだのは、香辛料がたっぷりと効いたナジャの伝統料理だ。薄切りの牛肉にピリリと辛い特製ソースが絡み、それを薄焼きのパンで包み込んだ一品は、歩きながら食べるには最高のご馳走だった。
賑やかな祭の空気を楽しみながら最初に目指したのは、前評判の高い「ゴーストハウス」だったが、ここで思わぬ問題が発生した。
「申し訳ございません。お客様の魔法が建物全体にかけた魔法に干渉しますので、入場できません」
入り口の係員に、エリアスが自身にかけている魔法を理由に拒否されてしまったのだ。解除すれば入れると言われたが、エリアスは首を縦に振らなかった。結局、ジルはエリアスに付き合うことを決め、他の生徒たちとはそこで別れることにした。
「よかったの? 僕に付き添ってたら、まともに楽しめないよ」
「いいのいいの。雰囲気だけでも十分楽しいし、これだけ広いんだから、エリでも遊べるところはあるよ。……あ、あそこなんて乗れるんじゃない?」
ジルが指差した先を見た瞬間、エリアスが息を呑んだ。
それはワンダビ団が誇る悪名高いコースターだった。レールが有象無象に形を変え、乗客を振り回しながら猛スピードで暴れ回る、超弩級の絶叫アトラクションだ。
「いや……あれは……」
エリアスがゾッとした声を漏らす。一方、ジルはこれまでに見たことのない煌びやかな遊具に目を輝かせていた。だが次の瞬間、先に乗っていた乗客たちの悲鳴――それを通り越した「断末魔」のような絶叫が響き渡り、二人は揃って口を開いた。
「「無理」」
※
あんな恐ろしいものによく乗れるものだ、と二人は顔を見合わせて苦笑いした。それでもエリアスは、コースターの動きを制御する魔法構造には興味があるらしく、感心した様子でその仕組みを分析していた。
その後、エリアスに誘われて射的に挑戦したが、ここで意外な事実が発覚した。ジルには驚くべき射撃の才能があったのだ。構えれば当たり、片っ端から景品を撃ち落としていくジルの姿に、店主は顔を引き攣らせた。
「この一番の目玉商品をやる。その代わり、もううちは出入り禁止だ!」
そう言われ、ジルの背丈ほどもある黒豹のぬいぐるみを差し出された。これも含めて祭の醍醐味だと、二人は声を立てて笑い合った。
気づけば遊園地の端に辿り着いていた。時計を確認すると、集合の時間まであと二時間ほどある。今度は外周に沿って歩こう、とエリアスが提案したその時だった。
ふわり、とジルの目の前に風船が差し出された。
見れば、そこにはシルクハットを被った白ウサギの着ぐるみが立っていた。ウサギは無言で、少し先にあるテントを指し示している。
テントには『シチジュウオウコクモノガタリ』という看板が掲げられていた。演劇のようだが、今はあまり長い時間は取れない。ジルが申し訳なさそうに断ろうとすると、白ウサギは激しく首を振り、指を三本立ててみせた。
「……三十分? 寸劇には興味ないよ」
興味なさげなエリアスを、白ウサギは必死の形相(着ぐるみだが)で引き留める。手を揉み合わせ、わざとらしく泣く真似までしてみせると、最後には首をぐっと曲げてジルの顔を覗き込み、無言で訴えかけてきた。
「しつこいな……」
エリアスが苛立ちを露わにするが、それでも白ウサギは諦めない。
ジルはその必死さを、可哀想というよりはどこか奇妙に感じていた。だが、初めての祭への高揚感も手伝ってか、つい警戒を緩めてしまった。突如、テントから溢れてきた白黒のウサギの集団が、まるで高波のような勢いでジルを囲い込み、あれよあれよという間にテントの中へと連れ去っていった。
唖然として立ち尽くしていたエリアスも、はっと我に返ると急いで中へ飛び込む。その後を、マークたち護衛も素早く追った。
テントの中はひんやりと薄暗かった。中央に舞台が据えられ、それを取り囲むように客席が設置されている。舞台に一番近い席で、ジルが「こっち!」と手を振っていたため、エリアスは渋々その隣に腰を下ろした。
「まったく、信じられない連中だな……。強引すぎる」
「ふふ、びっくりしたね。でも、確かにこの客数じゃ必死にもなるかも」
ジルたちが座ったことで、客席はようやく埋まったと言っていい。自分たち四人を除けば、観客は三人ほどしかいなかった。エリアスが背後を見ると、護衛達も席に座ったようだが、その表情は険しい。特にマークは護衛対象を見失ったので尚更だ。
「それにしても――」
エリアスがさらに不満を漏らそうとした瞬間、すっと全ての照明が落ちた。
暗転の静寂が降りる。
次の瞬間、パッと舞台に一筋のスポットライトが当てられ、そこには最初に声をかけてきた、あのシルクハットの白ウサギが立っていた。
「レディース・アンド・ジェントルメン」
ウサギは、じっと、射抜くような視線をジルとエリアスに向けると、シルクハットを手に取って優雅に一礼した。
「幻影という虚飾の世界へようこそ」
更新情報はXにて(@sharineko01)




