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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
二章_首都学園編
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14_王宮 〜あふれる想い②〜


 貴族会議が長引いているようだと、軽食を運んできた従僕が申し訳なさそうに告げた。ジルは壁に据えられた時計と扉を交互に見て、ノアを待つべきか、それとも今日は自室に戻るべきかと思案する。だが、結局のところ答えは決まっていた。


 急ぎの用件があるわけではない。ただ、疲れて戻るであろうノアを少しでも癒やしたかった。

 最近、ジルは以前よりも自身の魔力を意識できるようになっていた。悲しいほどにその絶対量は貧弱ではあるが、ノアに対しては確実に、以前よりも高い浄化の効果を発揮できている実感がある。



(あの呪いから……いえ、呪いと呼んでもいいの?)



 ジルは、ノアの内に棲む「それ」のことをあまりにも知らなすぎた。ヘルナに尋ねても、のらりくらりと躱されて教えてはもらえない。


 学院の図書館、あるいはこの王宮の図書室、それ以外の場所……あらゆる知識が集約する場所に答えを求めるのも手かもしれない。エリアスの力を借りられれば百人力だろうが、理由を問われれば、ジルには答える術がなかった。



「毎日毎日、ご苦労なこったねえ」


 カバンの中からしわがれた声が響き、ジルは歩み寄った。中を覗き込むと、ヘルナがバルコニーへと出てくるところだった。


 珍しく、その手にワインボトルはない。封印の一件以来、ヘルナは酒を控えているようだった。頑なな彼女だが、何か思うところがあったのかもしれない。


「そのために、私はここにいるようなものですから」

「ふん、言い方が気に入らないね。まあ、確かにあの若造にはあんたの浄化が必要だが……」

 ヘルナがその後に続けた「それだけじゃあないだろうに」という呟きは、ジルの耳には届かなかった。


「ヘルナ様」

「なんだい。言っておくが、わたしゃ酒はやめないよ。この窮屈な場所じゃ、それくらいしか楽しみがないんだからね」


 ジルの言いたいことを察したのか、ヘルナは先手を打って予防線を張る。ジルは苦笑して首を振った。


「今は私やノアとお話しできるじゃないですか。お酒で泥酔していたら、それも叶いませんし」

「ふん。あんたはともかく、ノアの奴は自分が聞きたいことばかりぶつけてくるから、嫌になっちまうね」

「それはヘルナ様が秘密主義すぎるからですよ」

 冗談めかして返しながら、ジルは先ほど考えていたことを思い出した。


「あの……ノアの中にいる『それ』について知るには、どうすればいいんでしょうか」

「なんだい、藪から棒に」

「私、あまりにも知識がなくて。記録もほとんど残っていないようですし……もちろんヘルナ様のお口から話せない事情が何かあるのは分かっています。ですから、何かおすすめの書籍とか……心当たりはありませんか?」


 怒り出すか、あるいは沈黙されるか。そう身構えたジルだったが、返ってきたのは予想外の大笑いだった。


「ひーひっひっひ!」


 喉を鳴らすような、掠れた笑い声。それが収まるのを、ジルはじっと待った。この笑いが拒絶ではないことを、これまでの付き合いで理解していたからだ。一通り笑い、ようやく落ち着きを取り戻したヘルナは、依然として肩を震わせながら一つの名を口にした。



「……ジョルノ・ジェラトー、だよ」

「ジョルノ・ジェラトー?」

 どこか甘い菓子の名前のようで、ジルには聞き覚えがなかった。



「その昔、『それ』の研究をして、奴に関連する本を残した男さ。禁書に指定されたが、どこかに記録は残っているはずだ。研究者ってのは、何より自分の成果を後世に残したがる業の深い生き物だからね」


 聞けば、その人物は「それ」と大魔女オルガナがいた時代の研究者らしい。記録がどこに、どのような形で残されているのか。やはり、この探索にはエリアスの協力を仰いだ方がいいかもしれない。


「……あの時代の記録がほとんど残っていないのは、ヘルナ様が何も話せない理由と同じなのですか?」

「一部はね……」

 ヘルナは短く答えると、これ以上話すことはないとばかりに、そのまま館の中へと戻っていった。


 思わぬ収穫に、ジルの心は浮き足立った。ノア自身も体内の「それ」に関する情報の少なさに頭を悩ませていたはずだ。もし研究記録が見つかれば、ノアの身体から「それ」を安全に取り出す方法も見つかるかもしれない。


 早くノアに伝えたい。その一心で待ち続けたが、置き時計の短針が真上を指しても、彼は帰宅しなかった。重くのしかかる眠気に、もう自室へ戻らねばと思いつつ、ここまで待ったのだからという思いが勝る。結局、ジルは心地よいソファに深く身を沈めたまま、意識を微睡みの中へと手放した。






 不意に名前を呼ばれ、重い瞼を持ち上げる。


「……ノア?」

 寝ぼけ眼でその名を呼び、目の前にある漆黒の瞳を見つめた瞬間、胸の奥から温かな感情が込み上げてきた。ジルは自然と微笑みを浮かべる。


 頭はまだ半分眠りに支配されていたが、それでも、いつもと何かが違うことに気づいた。理性的で冷静な彼ではない。そこに揺らめいているのは、何かを切望するような、剥き出しの何かだった。


 けれど、怖さは微塵も感じなかった。

 それはノアがジルの頬にそっと手を添え、滑り込むように顔を近づけてきたときも、同じだった。


 唇が塞がれ、華奢な身体に力強い腕が回される。ジルは抗わなかった。温かな感触が唇の端へと移動し、そのまま首筋へと降りていく。肌の上をチリチリとした刺激が走り、ジルは反射的に身体をキュッとよじった。


「ジル……」

 耳元で囁かれた掠れた声に、ジルはゆっくりと意識を浮上させる。彼の腕に包まれたまま、その熱に溶かされて力が抜けていく。以前、初めて泥人形に襲われた夜、寄り添って眠った時にも感じた温もり。だが今は、それよりもずっと強く、信じられないほどの「熱」を感じていた。



「わたし……」

 自分の声が酷く掠れていることに気づき、急激に羞恥がこみ上げる。鏡を見ずとも、頬が燃えるように熱いのが分かった。いったい、何をしてしまったのか。混乱する一方で、この心地よい熱を失いたくないという思いが胸を締め付ける。


 だが、ノアの腕はするりと解かれ、二人の間にわずかな隙間が生まれた。ジルは、目の前にある端正な顔をじっと見つめ返した。



(この人が、好き)


 かつてノアが一度去った時、まだ恋を知らなかったジルの感情は、淡い初恋のようなものだった。けれど今、この胸を焦がしている想いは、あの頃よりもずっと深く、重い。執着、あるいは独占欲。そんな、綺麗事だけではない感情が自分の中に根を張っていることを認めるしかなかった。



「お前は特別だ、ジル」


 ノアの言葉が鼓膜を震わせる。そう、私は特別だ。この浄化の力があったからこそ、近づくことすら許されないような高貴な彼の傍に居場所を得られた。そんなジルの卑下するような思いを読み取ったのか、ノアは小さく首を振り、自身の額をジルの額にそっと預けた。


「浄化の力がなくても、お前は特別なんだ」

 その響きには、一点の曇りもなかった。彼は時折ジルをからかって愉しむことはあっても、嘘で人を傷つけるような真似はしない。


 この期に及んで、自分の恋心などとっくに彼に見透かされていたのだと気づき、ジルはさらに顔を赤らめた。


 そして「特別」という言葉が、ジルの背中を強く押した。


 結局のところ、自分が浄化の魔女であり、ノアが闇を抱えているという事実は変わらない。


(でも、それが何だっていうの?)


 こうして彼の熱を感じること以上の喜びが、これまでの人生にあっただろうか。彼と刻を共有しているとき以上に、自分の存在価値を強く実感できる瞬間があっただろうか。

 

 それならば、この想いを否定する必要などどこにもない。この夜一つで、自分は変わってしまったのだろう。



「ジル?」


 名を呼ばれ、顔を上げたジルの瞳を見て、ノアは思わず息を呑んだ。そこには、迷いを振り切った強い決意が宿っていたからだ。



 ジルの指がノアの頬を撫で、それに誘われるようにして、二人は静かに瞳を閉じた。


更新情報はxにて。@sharineko01

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