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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
二章_首都学園編
29/39

09_学院 〜封印〜



「ジル!」


 静寂を切り裂くような悲鳴とともに、肩で息を切らしたエリアスが駆け寄ってきた。彼は地面に伏したジルの顔を必死に覗き込む。ノアは彼がサルダーノ家の長男であることを瞬時に察したのは、彼が父親と非常によく似ていたからだ。


 エリアスはジルの両手をより深く組み合わせ、彼女の首筋や額に次々と手を当てていく。


「大丈夫だ、封印は形を保ってる。よかった……本当によかった……」

 安堵の声が漏れた瞬間、ノアの鋭い手がエリアスの襟首をひっつかんだ。抗う間もなく、少年の細い足が宙を彷徨う。


「何をした」

 低く、地這うような声。練り上げられた濃密な魔力がエリアスを包囲し、物理的な圧力となって彼を締め上げる。それは獲物の喉笛を食いちぎらんとする獣の唸りそのものだった。


 だが驚くべきことに、エリアスは屈することなく果敢に抵抗を試みた。宙に浮いたままノアの腕を掴み返し、自らの魔力を流し込んで拘束を解こうとする。しかし、ノアの圧倒的な魔力量を前には、その抵抗も砂の城のように容易くねじ伏せられた。


「答えろ。何をした」

「ふ……封印が、解けかけたんだ!」

 息も絶え絶えになりながらエリアスが叫ぶ。ノアは容赦なくさらに襟首を絞り上げた。


「なぜだ。理由を言え」

「授業で……彼女の魔力回路を、開くのを手伝った。それが、引き金に……なって……」

「……」

 ノアはわずかに腕の力を緩めると、ゴミを捨てるような無造作さでエリアスを草地へと放り投げた。地面に転がり、首を押さえて激しく咳き込む少年を、ノアは氷のような眼差しで見下ろす。


 封印、魔力回路、そして暴走――。


「つまりお前は、あえてジルの封印を解こうと画策し、魔力を暴走させたわけか」

「知らなかったんだよ!」


 エリアスが顔を跳ね上げ、鋭い視線でノアを睨みつけた。鼻梁にそばかすを散らした幼い少年は、震える膝を叱咤して挑むように立ち上がる。


「彼女に封印が施されているなんて、僕は知らなかったんだ! さっき、クラスメイトが封印のことを叫んでいるのを聞いて初めて知った。ジリアン・ノウルズなんて名前、今日教師が口にするまで存在すら知らなかったんだから! ただ、昨日は色々あって……彼女の助けになればと思っただけで……」


 言葉の勢いがふと弱まり、エリアスは傍らに横たわるジルを盗み見た。その瞳には隠しようのない後悔の色が滲んでいる。


「……まさか、こんなことになるなんて」

 その消え入りそうな呟きを聞き、ノアはわずかに毒気を抜かれた。少なくとも、この少年自身に悪意はなかったということか。エリアス・サルダーノが学業以外には極端に無関心な子供だという噂はノアの耳にも届いていた。彼は本当に「知らなかった」のかもしれない。


 だが、現場にいた教師はどうだ。

 そもそも、先ほどジルから溢れ出したあの異様な魔力は何だったのか。湧き上がる疑問を一時棚上げし、ノアは周囲に集まり始めた野次馬たちに目を向けた。目立つ真似はこれ以上避けたかったが、背に腹は代えられない。


「手荒な真似をして悪かった。彼女を医務室へ運ぶ」

「……僕もついていく」


 ノアの女性らしからぬ口調を、エリアスは気にする余裕もないのか、あるいは興味がないのか、特に咎める様子もなく頷いた。ノアは手際よくジルを腕の中に抱き上げると、遠巻きに眺める生徒たちの人混みを割り、その場を後にした。





        ※





 気絶した少女を抱えた二人組がいきなり飛び込んできたことに、医務室の医療魔法士はひどく狼狽した。だがノアはそれを無視し、ジルの体を個室のベッドへと静かに横たえた。彼女の頬は冷たく、生気を欠いている。それでも、微かな呼吸の音が救いだった。


 容態を確認しようと魔法士が部屋に入ろうとするが、ノアは無言で締め出した。魔法士が諦めずに扉を開けようとするのを見て、エリアスが短く指を振る。次の瞬間、扉を含む壁一面が鈍い光を放ち、重厚な鉄製へと変貌を遂げた。


「大したものだな」

 エリアス・サルダーノの実力は中々のものだ。幼い身でありながら、これほど鮮やかに物質変換の魔法を操るとは。しかし、当のエリアスは称賛を贈ったノアを不機嫌そうに睨み返した。先ほどの暴力的な扱いに、相当に根に持っているらしい。エリアスはジルの頬に触れ、魔力の残滓を確認するように小さく頷く。


「魔力は安定したみたいだ」

「わかるのか?」

 疑うような問いかけに、エリアスの視線がいっそう険しくなる。


「当然だ。さっきから何なんだよ、君は。偉そうに」

 ノアは軽く肩をすくめて受け流した。


「もう一度、何があったか詳しく教えてくれ」

 エリアスは鼻の頭をこれ以上ないほど顰めて口を閉ざしたが、ノアが静かに、しかし有無を言わせぬ威圧感を持って魔力を練り上げると、渋々と口を開いた。


 魔法構成学の授業で魔力回路を辿る実習があったこと。うまくできないジルを手助けしたこと。そして突如、彼女が苦しみ出し、体内の魔力が制御不能に陥ったこと。


「封印の存在を知ってさえいれば、中断させていたのに」

 だが、事実は「知らなかった」のだ。それはジル自身も、そしてノアも同じである。ノアはこれまで、大魔女ヘルナの代行としての体面を保つための「建前」として封印の話を広めていたが、まさか実態を伴うことになるとは考えていなかった。


「ジルに封印が施されているのは、間違いないのか」

 エリアスはもう一度ジルの額に手を当て、次いで自らの額を彼女に密着させた。


「……間違いない。恐ろしく頑強で、それに複雑だ。何重にも、執拗にかけられている」

「彼女が魔力回路を辿ったことで、それが解けかけたというのか?」

 顔を上げたエリアスは、判然としない様子で首を振った。


「どうかな。あのまま続けていたら封印が解除されていたかもしれないし、あるいは彼女の体が負荷に耐えきれず爆ぜていたかもしれない。どちらにせよ、あの強大な魔力が完全に暴走していたら、彼女どころか周り中に死人が出ていただろうね。……ふーん、面白いな」


 今度はノアが冷たく睨む番だった。だがエリアスは、殺気すら孕んだその視線を柳に風と受け流していたが、ふと決まり悪そうに口元を押さえた。


「昨日、彼女に助けられたんだ。……たぶん、だけど。だから今日はそのお返しができればと思って。余計なお世話だったみたいだけどね」

「そんなことはないさ」

 少なくとも、彼がジルに感謝の念を抱いている事実は、悪いことではない。


「だが、教師は封印を知っていたはずだ」

 不穏な気配を察したのか、エリアスは「それは仕方ないのでは」と教師を庇うような口ぶりを見せた。


「封印の種類は星の数ほどあって、解除の鍵も千差万別だ。何が引き金になるかなんて、術をかけた本人にしかわからないことだよ」

 その理屈に完全に納得したわけではなかったが、ノアは一旦矛を収めることにした。そろそろ、鉄の壁に阻まれた外の連中が強引に踏み込んでくる頃合いだ。


「ジルは落ち着いたんだろう」

「封印は元の位置に収まったみたいだ。しばらく休ませれば意識も戻ると思うよ」

「では、あとはお前に任せる」

「えっ、ちょっと!」


 驚くエリアスをよそに、ノアは先ほどまで窓があった場所へと歩み寄り、壁に手をかざした。低く空気を震わせる音とともに、鉄壁の一部が再び窓の形に戻る。


「また会おう」

「いや、君はいったい誰なんだよ!」


 背後で上がる困惑の叫びに、ノアはひらひらと手を振るだけで応え、一人残される少年を置いて窓の外へと飛び出した。



 意識を失った少女と二人きりになったエリアスは、苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くした。最初から最後まで、自分の都合だけで嵐のように去っていった正体不明の人物。エリアス自身も周囲から「自己中心的だ」と評されることは多いが、あの女は自分以上にその性質が煮詰まっている。いや、本当に女なのか?


 呆然と窓を眺めていると、背後の鉄壁が激しい振動を始めた。誰かが魔法で突破を図ろうとしているらしい。


 滅多に他者と深く関わろうとしない自分が、まさかこのような騒動の当事者になるとは。エリアス・サルダーノは深く、深い溜息をついた。そして、すべての元凶である眠りの姫を、恨みがましく見つめたのだった。




更新情報はXにて(@sharineko01)

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