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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
二章_首都学園編
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08_学院 〜暴走〜



 翌日、いつも通りに学院へ通ったジルは、朝から気分が沈んで呻いた。

 

 原因は昨日の図書室での一件だ。あろうことか教師がクラスメイトの前でその話題を披露し、ジルの失態を揶揄したのである。


「基本的なルールさえ守れないようでは、先が思いやられますね」

 そんな嫌味を投げつけられ、ジルは顔が熱くなった。実際、自分でも驚くほど大きな声を出したのは事実であり、否定する余地はない。だが、明らかに自分を貶めようとする教師の悪意に満ちた言葉に、ジルはすっかり辟易した。


 ふと視線を転じると、エリアスも今日は普段通りに登校していた。ただ、彼は彼でいつもと様子が違い、珍しく本を開くこともなく、ただ静かに席に座っていた。しかし、ジルの方から声をかけることはなかった。エリアスの動向は気にかかったが、この件をわざわざ蒸し返して彼の領域を侵すつもりはなかった。彼は本質的に、一人でいることを好むタイプなのは明らかだった。




 だが、運命は思いも寄らない形で二人を接触させた。

 その日の授業は「魔力構成学」の実践。霊水を通し、自身の魔力回路を把握するという内容だった。研究者志望や魔法を苦手とする生徒が集まるクラスとはいえ、ジルにとってこの実習は高い壁だった。彼女の魔力量は、その中でもさらに破格と言っていいほど少なかったからだ。


 周囲の生徒たちが目の前の盆に手を浸すと、霊水は赤や黄色といった鮮やかな色彩に変化していく。ジルはそれを横目に、祈るような心地で両手を霊水に沈めた。


 ほのかに温かく、ぬるりと滑るような水の感触。けれど、水面には何の変化も訪れない。ジル自身の内側にも、何の予兆もなかった。教師が確認に回る中、一人、また一人と実験を終えていく。ついには、教室中でジル一人だけが苦戦していた。周囲からの呆れたような、あるいは憐れむような視線が刺さる。それでもジルは必死に抗っていた。


(指先に集中して……筆で線を描くように……)


 教科書の記述を何度も反芻し、意識を尖らせる。だが、いよいよ何の手応えも得られない現実に、ジルの心が折れかけた、その時だった。


「指先じゃなくて、手のひらに集中させて」


 静かな声が響き、教室が一斉にざわついた。ジルが顔を上げると、いつの間にかエリアスが傍らに立っていた。呆然とするジルに向け、彼はもう一度、念を押すように言った。


「手のひらだよ。あと、両手で同時にやらずに、片手から始めた方がいい」

 アドバイスを受けてもなお、ジルはエリアスの丸みを帯びた頬を凝視して固まっていた。すると、エリアスはわずかに苛立ったように眉を寄せた。


「……何をぼうっとしてるの。早くやって」

「あっ、はいっ!」


 凛とした声に弾かれたように、ジルは頷いた。エリアスの表情は真剣そのもので、ジルの手元をじっと見据えている。


(手のひら。手のひらに集中……)


 右手だけを霊水に浸したまま、教えられた通りに意識を向ける。すると、先ほどよりもわずかに水の粘度が増したような気がした。しかし、決定的な変化には至らない。


 業を煮やしたのか、エリアスがいきなり右手を盆に突っ込み、水中でジルの手をぎゅっと握り締めた。まだ十歳ほどの小柄な少年のはずなのに、その手はジルと同じか、あるいは少し大きいくらいに感じられた。


「サルダーノ! 生徒同士の協力は禁止ですよ!」

 教師の鋭い制止が飛ぶが、彼はそれを完全に無視した。


「僕の指の動きを追って」


 エリアスは親指を使い、ジルの小指の付け根から手首にかけて、ゆっくりと外周をなぞり始めた。親指の付け根、人差し指、中指、薬指……。描かれる円が徐々に小さくなっていくのと同期して、ジルは呼吸の苦しさを感じ始めた。


 背筋を駆け巡る、痛みに似た鋭い感覚。それが腕を通り、水に浸した手に集約されていく。水面がパチパチと弾けるような音を立て始めた。


「あ、っ……! いっ……!」

 全身を絞り上げられるような激痛が走り、ジルは呻いた。


「落ち着いて。魔力が自分の回路を探してるんだ」

 エリアスの声が遠くで聞こえる。誰もが初めての時に、これほどの苦痛を味わうのだろうか。まるで全身の神経を弦にされ、デタラメに掻き鳴らされているような感覚だった。


 体内で滞留していた「得体の知れない何か」が暴れ狂い、もはや制御不能に陥る。

 刹那、凄まじい衝撃と共に水盆が粉砕し、破片が飛び散った。エリアスが手を離したのが分かった。


(だめ……!)

 本能が警鐘を鳴らす。膨大で、凶暴で、底知れない力が、自分だけでなく周囲の生徒たちをも飲み込もうとしている。


(痛い……っ!)


 胸を焼かれるような熱。周囲の空気が圧縮され、景色がぐにゃりと歪む。

 生徒たちの悲鳴が遠くに聞こえた。霞む視界の中、ジルは弾かれたように教室を飛び出した。遠くへ行かなければ。誰もいないところへ。早く、もっと遠くへ――。


 足は動いた。だが、急速に暗転していく視界の先はもう何も見えない。突き出した手が冷たいガラスに触れた。ジルはそれにすがるように、前のめりになって体重を預けた。次の瞬間、ふわリとした浮遊感が全身を包み、それを最後に意識は深い闇へと沈んでいった。






     ※





 ノアは学院の図書館に並ぶ膨大な蔵書を前に、懐かしさに目を細めた。父王の逝去に伴って学院を去ることになったが、彼はここで十六歳まで学んでいたのだ。


 重厚な空気の漂う図書館は、当時と何ら変わっていない。司書もあの頃と同じ人物だった。もっとも、その司書は目の前の少女がかつての教え子であり、今は「豹王」として君臨するノアであることには気づくまい。今のノアは、どこからどう見ても一人の女生徒にしか見えないのだから。


 モーガンの過去の調査において、彼が在籍中に何らかの影響を受けたことは間違いない。当時の学友はすでに卒業しており、調査は徒労に終わる可能性もあったが、昨日ジルから聞いた話には調べる価値があると判断したのだ。


 エリアス・サルダーノを見かけたという三階付近を一通り回ってみたが、特に不審な点は見当たらない。広大な学院内には百年前の古い校舎もあり、閉鎖された区画も多い。この調子では時間がかかりすぎる。これならエリアス本人を監視した方が早いかもしれない――そう考え、ノアは図書館を後にした。


 モーガンの昔を知る教師を探すべきか。そう思案した時、強烈な魔力の波動がノアを襲った。

 襲撃か、と即座に身構える。だが周囲を見渡しても敵の姿はない。だとしたら、この尋常ならざる気配の正体は何だ。ノアは駆け出した。


 膨大な魔力を持つノアでさえ一瞬怯むほどの、極限まで圧縮された魔力の渦。


(三階か――!)

 中庭から建物を伺うと、三階付近の開け放たれた窓越しに叫び声が聞こえる。


 この魔力の主はいったいーー


 次の瞬間目撃した光景は信じがたいものだった。

 窓ガラスにもたれかかったジルの体が、開けはなされた窓から投げ出された。そして頭から地面へと落下していくところだった。


 あまりの衝撃に息を呑みながらも、ノアは数瞬の差で魔法を放ち、ジルが地面に叩きつけられる寸前に救い上げた。


「ジルっ、ジル!!」


 呼びかけに反応はない。腕の中の体はぐったりとして、顔からは血の気が引き、完全に意識を失っている。

 一体何が起きたというのか。何より、先ほど感じたあの圧縮された魔力が、ジル自身の内側から溢れ出している。それは依然として荒れ狂っており、今にも弾け飛ばんばかりの危うさを秘めていた。


「くそっ、一体どうしたんだ!」

 危険なまでの魔力の奔流と、目を覚まさないジルの姿。かつてないほどの動揺がノアを突き動かし、同時にどう動くべきか判断を鈍らせた。


「両手を合わせるんだ!」

 頭上から声が降り注いだ。ノアが顔を上げると、窓から栗色の髪の少年が身を乗り出していた。


「早く! 彼女の両手を繋ぎ合わせて!」

 ノアは反射的にジルの両手を取り、手を組み合わせた。すると、あれほど荒れ狂っていた魔力が、徐々にジルの体内を舐めるようにして、ゆっくりと循環を始めた。くるくると回りながら、正しい道筋を辿るかのようなその動き。それは、ジルの魔力回路を辿っているように見えた。



(これは一体……何が起きているんだ……)



 ノアは言葉を失い、ただ呆然とその光景を見つめるしかなかった。




更新情報はXにて(@sharineko01)

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