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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
二章_首都学園編
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05_変化の兆し



 「とにかく、あんたは魔法の知識がないんだ。まずはそこからさ」


 館のテラスの椅子に腰かけたヘルナが、毅然とした口調で言い放つ。隣ではジルが、館の入った鞄を傍らに置き、温かい紅茶を飲んでいた。ノアの執務室だが、彼はオリビアに呼び出され、席を外していたので二人きりのお茶会だった。王宮に来て以来、素面のヘルナを見るのはこれが初めてだった。いい加減、ジルとまともな会話をさせようと、ノアが強引に酒を取り上げたらしい。


 学院に通う前に、どうしてもヘルナの教えを請いたかったジルにとっては、願ってもない機会だった。米粒ほどの大きさしかないヘルナだが、ジルが求めているのはその膨大な知識だ。姿の小ささは何の問題もなかった。


「魔力の構造を理解することは重要だよ。文字も読めないのに、本の挿絵だけで内容を理解しようとするのと同じことだからね」

「あの、ヘルナ様」


 ジルが手を挙げた。


「私、確かに魔法のことは何も分かりません。でも、泥人形に襲われた時、どうしてあんな力を発揮できたのでしょうか?」

「浄化の魔法ってのはね、ノアや私が使うような『魔力を練り上げる』類のものじゃないんだ。魔力そのものが浄化の性質を帯びている。つまり、いくら研究しても複製できない、唯一無二の能力なのさ」


 唯一無二。その言葉に、ジルは不覚にも誇らしいような、嬉しい気持ちになった。だが、ヘルナはその機微を即座に察し、冷や水を浴びせる。


「もっとも、意識して使うこともできない現状じゃ、無用の長物だがね」

「うぐっ……。でも、役に立ったこともありますよ」

「コントロールできていないから、魔力の噴出が感情に流されるんだ。あんな恐ろしい経験、また繰り返したいのかい?」

 ヘルナが問うと、ジルは勢いよく首を振った。ヘルナは「そうだろう」と満足げに頷く(首はないが)。


「オルガナ様は、この浄化の力をどう使っていらしたのですか?」

「色々さ。元々この世は光と闇が混沌としていた。当時は特にね。今だって西の湿地は人が住めないだろう? あんなふうに闇が土地に根付くと、作物一つ育ちゃしない。浄化の力があれば闇を祓うこともできるだろうが……お勧めはしないね」

「なぜですか?」

「覚えておきな、ジル。闇を完全に滅ぼすことはできない。光と闇は表裏一体なんだ。大事なのは均衡を保つことさ。あんたの力は、下手をすればその均衡すら壊しかねない。……まあ、今のあんたにはピンとこないだろうが」


 ヘルナは諭すように言葉を継いだ。


「今のあんたは、蛇口の開け方すら知らない状態なんだからね」


 ふと、ジルはヘルナの言葉の端々に、微かな後悔の響きを感じ取った。彼女は多くを語らない。けれど、その長く孤独な人生の中で、どれほどの痛みを抱えてきたのだろうか。ジルは静かに、目の前の小さな賢者を見つめた。





     ※




 まずは知識から。


 その言葉を胸に、ジルは翌日からの学院生活への期待で膨らませた。今度は寮生活ではないため、身の回りは随分と軽やかだった。


 制服や学用品は、ノアの依頼でオリビアが手配してくれたものだ。驚いたことに、オリビアは学院の理事を務めているそうだ。かつては彼女自身の学び舎でもあったという。ノアも学院に通ってはいたが、即位と同時に学院を去ったらしい。姉弟揃って優秀だったことは、想像に難くなかった。


 試着した際、オリビアが手を叩いて「凄く似合うわ!」と喜んでくれたことを思い出し、ジルは顔を赤らめる。一国の王女でありながら、快活で我が強く、それでいて面倒見の良い彼女は、ジルを着飾らせるのが楽しくて仕方ないようだった。


「私が昔着ていたものよ」と言っては、ドレスや靴を次々と贈ってくる。おかげで衣装棚の中身は、売ればひと財産築けるほどになっていた。もっとも、ジル自身はこれらを自分の物だとは全く考えていなかったが。



 部屋のドアがノックされた。返事をする間もなく、ノアが入ってくる。


 ジルは既に夕飯も入浴も済ませ、寝るばかりの支度だったが、対するノアはボタンをきっちりと締め、疲れも見せない凛とした佇まいだった。その姿に、ジルの鼓動が少しだけ速くなる。学院の荷物を整理するジルに、ノアが声をかけた。


「いよいよ明日だな。緊張しているか?」

「ううん、全然」

 その即答に、ノアは安心するどころか、かえって心配そうに眉を寄せた。


「ジル」

 呼ばれて振り返ると、そこには案じる色を隠せないノアの顔があった。ジルは思わず吹き出してしまう。


「なんて顔をしてるの、ノア。まるで私が戦地にでも行くみたいじゃない」

「あながち、間違いとも言えないだろう。……ジル、学院での当たりは決して優しくはない。むしろ……」

「分かってる。正確には行ってみないと分からないけど。でも、私には目的があるし、このチャンスを逃すつもりはないわ」

 臆することなく、ジルは大丈夫だと請け負った。するとノアは、ジルの両手を自分の手でそっと包み込んだ。


「ジル、頼みがある。何か危険なことがあったら、必ず知らせてほしい」

「危険って?」

「君が今想定しているよりも、ずっと過激なことだ。何か予兆を感じるだけでもいい、教えてくれ」


 その真剣な眼差しに、ジルは悟った。これは単なる学生同士の嫌がらせのレベルの話ではない。


「……何か、心配なことがあるの?」

「残念ながら、貴族も王家も一枚岩ではないんだ。王家に反感を持つ者もいれば、たとえ味方であっても君を敵視する人間がいるかもしれない」

「私を政治利用しようとする人も……?」

「可能性はある」

「気をつけるわ」


 権力を持つ者とは、これほどまでに不自由なものなのか。平民として育ったジルには、信じがたい世界だった。


「本当に、気をつけてくれよ」

「請け負いますとも、豹王陛下」


 ジルが愛嬌たっぷりに笑ってみせると、ノアは観念したように苦笑した。そして、彼女の背に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せた。慣れない抱擁にジルは硬直したが、そのまま彼に身を預ける。



(落ち着いて。これは、何の意味もないこと)


 自分に言い聞かせるが、嘘だ。意味はある。ノアの体内に巣食う「闇」は彼を苦しめ続けている。ジルに自覚はなくても、触れるだけで彼の苦痛は和らぐのだという。だから、彼が不意に顔や手に触れてきても、気にしないように努めてきた。


 けれど、内心が平静でいられるはずもない。まして、これほど強く抱きしめられるのは初めてだ。自分の心臓の音が彼に聞こえてしまっていて、ジルは狼狽えるばかりだった。それでも、この暖かさをジルはとても好ましく感じていた。ノアという人を慕っているのと同じように。


 抱き返す勇気はまだ持てない。ジルはしばらくの間、じっとノアの腕の中でその温もりに包まれていた。






     ※





 翌朝、メイドのサリーは掃除のためにジルの部屋を訪れた。

 朝食を終え、制服に着替えて出発した仕える女性の愛らしい姿を思い出し、自然と笑みがこぼれる。この王宮の主である豹王とオリビア王女は、使用人を虐げることなく、ここは職場として最高だとサリーは考えていた。時折訪れる貴族の中には、使用人を見下し、手を出す非道な者もいたにしても。


(まさに天使だわ)


 愛らしい容姿に、豊かな金色の巻き毛。何より、いつもニコニコと話しかけてくれる。十八歳のサリーと歳が近いこともあり、ジルは彼女の身の上話を興味深く聞き、時には一緒に笑い、怒ってくれるのだ。


(ジリアン様が来てから、王宮の空気が変わった気がする)


 まるで、王宮全体に清々しい微風が吹き込み、長く淀んでいた空気を追い払ってくれたかのように。

 それはサリーだけでなく、長年仕える者たちが等しく感じている変化だった。



 ジリアン・ノウルズという少女の存在そのものが、少しずつ、変化を起こし始めていた。




更新情報はXにて(@sharineko01)

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