02_懐疑なる洗礼②
対面したオリビアは意外にもノアと似ていなかった。黒髪に黒い瞳は同じだが、丸みを帯びた瞳を持ち、ぽってりとした唇が官能的だった。そして女性の姿だった時のノアと決定的に違うのは、彼女が頭の先からつま先まで、完成された「淑女」としての気品を纏っていることだった。
オリビアを抱きしめたノアは、その体を離し、傍らに立つジルへと視線を向けた。
「ジル。紹介するよ、姉のオリビアだ」
促されたジルは、緊張に指先を震わせながら膝を折った。
「……王女殿下。お初にお目にかかります」
「オリビア。彼女はジリアン・ノウルズだ。ヘルナの代行として、しばらく王宮に滞在してもらうことになっている」
「話は聞いていたわ。……実は、少しだけ覗き見させてもらっていたの。だって貴方、いきなり貴族院の連中を呼びよせる手紙を寄越したかと思うと、挨拶もせずに広間に行ってしまうのだもの」
ジルは気づかなかったが、どうやら、ノアはあらかじめ連絡していたらしい。一体いつの間に、とジルは不思議に思った。
オリビアは茶目っ気たっぷりに笑うと、ジルの前へと歩み寄った。ノアほどではないが、女性としてはかなり背が高い。凛とした立ち姿は、それだけで周囲を圧するような輝きを放っていた。
「よろしくね。私も『ジル』と呼んでもいいかしら?」
「もちろんです、王女殿下」
「ありがとう。私のことはオリビアと呼んで。貴方はあの大魔女ヘルナの代行者なのだから、ここでは大切な賓客としてお迎えするわ」
親しみを込めた柔らかな笑顔。その明るさに、ジルも思わずつられて「ありがとうございます」と微笑み返した。
だが、その和やかな空気は、オリビアの次の一言でわずかに色を変えた。
「それにしても、ヘルナ本人と連絡が取れるというのは本当なの?」
「ああ」
ノアの即答に、オリビアはふんと鼻を鳴らす。
「そう……よほど偏屈な方なのね。弟子とはいえ、こんなにか弱そうな子一人に代行なんて大役を任せるなんて」
「ヘルナが偏屈なのは否定しないが、ジルはか弱くはないさ」
ノアが不意にジルを見て、ふっと目元を和らげた。
「根性は人一倍だよ」
その言葉に含まれた信頼の念に、オリビアは意味深な視線を弟へと投げた。しかし、ノアはその視線に気づかない。彼の瞳はただ真っ直ぐに、ジルだけを捉えていた。
(……何があったのかしら)
オリビアは内心で驚きを隠せなかった。歴史に残る災害ともいうべき「it」に蝕まれて以降、城に残された姉として、片時も心配が尽きなかったというのに。この半月ほどの旅路で、弟の表情にはこれまでにない優しさが宿っている。これは色々と確認することがありそうだと、オリビアは唇を吊り上げた。
「ジル、長い旅路で疲れているところに、あんなお披露目まで重なって大変だったでしょう。すぐに風呂の準備をさせるわ。それから一緒に夕食をとりましょう。……それにしても、なんて素敵な色の髪。金に、赤毛も混じっているの? とても珍しいわ、まるで――」
畳み掛けるような問いかけに、ジルが答える隙もない。それを見かねて、ノアが呆れたように遮った。
「いや、夕食は彼女の部屋に運ばせてくれ。疲れているところを、食事の間中オリビアの質問攻めに合わせるわけにはいかない」
「まぁ! なんてこと言うの!」
憤慨する姉に、ノアは「間違いじゃないだろう」と笑いながらベルを鳴らした。
現れたメイドに風呂と食事の準備、そしてジルを自室へ案内するよう手短に命じる。
「オリビア、留守中のことを聞かせてくれ。ジル、今日はゆっくり休んで」
「そうね、分かったわ。ジル、また明日ゆっくりとお話ししましょうね」
ふふ、と意味深に微笑むオリビアを見送りながら、ジルは(一体何を聞かれるのだろう……)と不思議に思いつつ、丁寧に一礼してその場を辞した。退出の際、扉を開けてくれたノアが、ジルの耳元で「ヘルナの機嫌を取っておいてくれ」と頼み、片目を閉じた。
メイドの後に続き、回廊を歩きながら、本当に魅力的な姉弟だと、ジルは非現実的な浮遊感で歩き続けた。
※
オリビアからの報告によれば、ノアの不在中、国政に大きな滞りはなかった。外交で長期不在にすることにも慣れている彼女にとって、この半月を切り盛りするのは容易いことだったのだろう。
だが、表向きは暗殺未遂による療養とされていたため、その隙を突いて「国王危篤」の噂を流した不届き者もいたようだ。
「……優秀だな、姉上」
ノアは手渡されたリストに目を落とした。そこには、先ほど王の間で物申した「孔雀男」の名もしっかりと記されている。
「先代の置き土産か。そう遠くないうちに排除する必要があるな」
ノアは低く鼻を鳴らし、書類を無造作にテーブルへ放り出した。**その拍子に、一瞬だけ視界が暗く揺らぐ。**その様子を、オリビアはじっと観察するように見つめている。
「……何だ?」
「ジルのことだけど」
突然振られた話題にも、ノアは動じることなく「ああ」と頷いた。だが、こめかみの奥で拍動するような鈍い痛みは、先ほどから確実に強まっていた。
「あの空色の瞳も、黄金色の髪も、この国では滅多に見かけないわ。遥か北の地には多いと聞くけれど、彼女はそちらの出身なの?」
「わからない。彼女は孤児なんだ。三つの時に、薬草の森の近くにある学校に引き取られたらしい」
その言葉で、オリビアは考え込んだ。あのイルメダが校長を務める学校のことだろう。
「ふうん……孤児で、大魔女の弟子で、代行者。――そして魔力がない。いえ、『ほぼない』が正しいかしら」
「思うところがあるようだな」
オリビアは紅茶を一口含み、冷静な視線でノアを見据えた。もし彼女が私生児でさえなければ、豹王の座は彼女が得ていたかもしれない。それほどに彼女の洞察力は鋭い。
「もちろん、ヘルナが指名したというあなたの言葉を信じるわ。でも、魔力がほぼないという事実は、あの愚かな男爵でなくとも懸念材料になる。ジルに魔力が封印されているとして、それが解放される時は来るの? 条件は? 今の彼女に、一体何ができるの?」
「……色々とだ」
(実際、俺自身が彼女に助けられている。だが、それを姉にさえ言えないのは残念だが)
「攻撃魔法や医療魔法を使える人間は大勢いるが、ジルはそれ以上の存在だ」
詳細を語ろうとしないノアに、オリビアはじっと見つめて、ふっと息を吐き出した。
「分かった、もうこれ以上は聞かないわ。でもノア、覚えておいて。ヘルナの代行として来た以上、貴族の目は彼女に向くわ。敵が多いもの。ジルが何かしらの成果を出せなければ、反発は大きくなるし、彼女も攻撃されることになるわ」
「おやおや。いつから姉君は、連中を恐れるようになったんだい」
揶揄う口調に、オリビアは不服そうに鼻を鳴らした。ノアはそんな姉を見送りながら、知らず知らずのうちにテーブルの端を強く握りしめていた。
部屋から去るオリビアの背中を見送り、一人になった瞬間。
突如として、どっと襲ってきた疲労に眩暈を感じた。
「く……っ」
胸元の服を掴み、呻き声をあげる。内側から冷たい闇が侵食してくるような感覚に、体温が奪われていく。
ジルが必要だ。彼女のことが、どうしても――。
※
風呂に一人浸かるという贅沢を堪能したジルは、髪をタオルで拭きながら部屋へと戻った。身体中が芳醇な花の香りに包まれていて、うっとりしてしまう。用意されていたローブをまとうと、小柄なジルにはいささか長く、裾を引きずってしまう。
(……今更だけど、あんな汚い格好で貴族たちの前に出るなんて、失礼だったよね)
そんな後悔を抱きつつ、ヘルナがいるカバンを覗くと、館の中から「クカーッ」と盛大ないびきが聞こえてきた。どうやら大魔女は、完全に酔い潰れて眠っているらしい。ノアが酒を運ぶたびに悪態をついていた理由を思い出し、ジルはクスリと笑った。
ノアにはヘルナを機嫌を取っておいて、と言われたが今日は無理なようだ。
途端、漏れ出た欠伸に、ジルは自分が疲労していることを思い出した。まだ夕食が届いていないが、それまでと思いながら、ジルは大きなベッドへと潜り込む。
シルクの滑らかな感触が、素肌に心地よい。ふかふかの羽毛に体を沈め、手足を伸ばすと、意識は瞬く間に遠のいていった。
――カチャリ、と微かな音がした気がした。
意識の淵で何かを感じた。
冷えた空気と共に、誰かが静かに部屋に入り、ベッドの端が沈み込む感覚。次に来たのは、とても暖かい、包み込むような熱の塊だった。大きな腕が背中から回され、引き寄せられる。ジルの小さな体は、確かな重みを持ったその熱にぴたりと密着した。
こんなに気持ちのいい、安心するひとときを手放したくなくて。
ジルは何にも代えられないその暖かさと共に、深淵へと落ちていった。
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