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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
一章_邂逅編
20/38

20_首都へ②


 有史以来、その奇跡を成し得たのはたった一人。未曾有の災害を自らの命と引き換えに聖廟へと封じ込めたとされる、伝説の大魔女オルガナだけだった。



 ジルも歴史学の講義でその名は知っていた。だが、目の前の大魔女ヘルナから突きつけられた言葉は、あまりに現実離れしていた。


「ありえないわ。私、魔法なんて使えないもの。それなのに『浄化の魔法使い』だなんて、何かの間違いよ」


 冷静なジルに、ヘルナは「ふん」と鼻を鳴らした。


「じゃあ聞くがね、あんたは魔法も使わずに、どうやってあのイかれた男を土くれに変えたんだい? そっちの方がよっぽどおかしいじゃないか」

「それは……」

「確かにあんたに魔力はない。だがね、間違いなくオルガナの再来だよ。あの子だって、魔法なんてこれっぽっちも使えやしなかったんだから」


 ヘルナは忌々しげに吐き捨てると、「あー、酒だ! 酒を飲ませろ!」と叫んで隣のノアを睨みつけた。しかし、ノアは聞こえないとばかりに黙殺した。


 渋々とため息をつく彼女の横顔に、ジルは意を決して尋ねた。


「あなたは……本当に、セラフィスの大魔女なのですね」

「そうさ。初代の豹王に泣きつかれてね。仕方なく、本当に、仕・方・な・く、ここに縛り付けられているのさ」


 嫌味たっぷりにノアへ視線を投げ、ヘルナはふんぞり返った。

 ノアが静かにジルの正面に立ち、その瞳を真っ直ぐに見つめた。


「俺も、浄化の魔法についてはまだ深くは知らない。……癪なことだが、この飲んだくれが口を割らない限りはな。だが、確信していることが一つある。俺の中にある『それ』を抑え込めるのは、ジル、お前だけなんだ」


 ジルの脳裏に、理性を失い咆哮していた獣の姿が蘇る。あの狂信的な男は、ノアの中に潜む何かを「主」と呼んでいた。


「何がいるの? あなたのなかに」

「大魔女オルガナが封じたとされる、邪悪な何かだ」


 ジルの不安を察したのか、ノアは努めて軽い口調で応えた。だが、ジルの衝撃は収まらない。


「あの『混沌』の時代の災害のこと? どうしてそんなものが……。あれは遥か北の大地に封じられたはずでしょう?」

「聖廟が破壊されたんだ。その直後、モーガンが手引きして俺の体内に潜り込ませた。おそらく、俺の魔力を養分にして『それ』の全盛期の力を取り戻させるつもりだったんだろう」

「そんな……すぐに取り出さないと。方法はないの?」

「それを聞きにここへ来た。たっぷりとな」


 ノアの言葉にヘルナが「へん!」と鼻を鳴らす。ノアは構わず言葉を続けた。


「だがジル、これはセラフィスだけの問題じゃない。既にナジャの女王が暗殺されている。敵の規模も目的も底が見えない以上、あらゆる策を講じる必要がある。だから、俺と一緒に首都へ来てほしい。浄化の魔女だとわかった以上、ここに置いていくわけにはいかないんだ」

「私……そんな急に言われても。私に何ができるっていうの? 戦えというの?」

「いや、そうじゃない――」


 ノアは一度言葉を切り、逡巡するように視線を落とした。そして、祈るような熱を込めてジルの手を握った。


「俺が必要としているんだ。君が淹れてくれた紅茶を飲むと、凍りついた身体の芯が温まる気がした。君に触れると、内側から食い荒らされるような痛みが静まり、侵食された自分が元に戻っていくのがわかるんだ」

「私の力が……そうさせているの?」

「おそらくね」


 つい昨日まで、自分は微かな魔力しか持たない、どこにでもいる学生だったはずだ。それなのに今、この国の統治者が自分を求め、請うている。


「どうして、私が浄化の魔女だと気づいたの?」

「俺じゃない。ヘルナだ。彼女は俺たちがここへ来る前から知っていた。その理由も、これからじっくり聞き出すつもりだ」


 当のヘルナは、知らん顔で明後日の方向を向いている。ただの偏屈なのか、それとも語れない理由があるのか。何にしても、なぜかヘルナは協力的ではなかった。


 ジルはノアの瞳を見つめ返した。浄化の魔女という自覚は依然として乏しい。けれど、あの時、獣化した彼を包み込んだ感覚だけは本物だった。彼を蝕む苦痛を、この手で止められるというのなら。


「……わかったわ。一緒に行く」

「よかった」


 ノアが深い安堵とともに、ジルを強く抱きしめた。

 その腕の温かさに、ジルは胸の鼓動が跳ねるのを感じた。けれど、これは「浄化」のための接触なのだと自分に言い聞かせる。彼を救うために必要なことなのだと。


「ねぇ、ノア。知ってる?」

「ん?」

「私、あなたの口から、自分が『豹王』だって自己紹介、まだ一度も受けてないのよ」


 その言葉に、ノアは見たこともないような情けない声を上げ、ジルの肩に顔を埋めた。


「ふん、とんまの若造が」


 ヘルナの毒舌にも、ノアは言い返す言葉がないようだった。ノアは小さくため息をつき、決心を鈍らせないよう、すぐに首都へ向かうことを提案した。


「私は行かないよ。さっきも言った通り、あたしはこの館からは動けないんだ」

「いや、来てもらう。問題ないさ」

「話を聞かない男だね。呪縛だよ、呪縛! 物理的に離れられないのさ!」



 勝ち誇ったように笑うヘルナに、ノアは不遜な笑みを返した。



「要するに、この館から離れなければいいんだろう?」





     ※





 揺れる馬車のなか、ジルの膝の上にあるカバンから、不機嫌そうな唸り声が漏れていた。


「なんつー……ヒック、無茶苦茶なことをしやがるんだ、全く……!」


 声の主はヘルナだが、その足取りならぬ口取りはひどく怪しい。ノアが黙らせるために、取り上げたワインを返してやったのだ。彼女は今、カバンの中で浴びるように酒を飲み、時折、船酔いのような声を上げている。


 窓の外を見つめるノアの横顔は、いつもの冷静さを取り戻していた。


「館から離れられないなら、館ごと持っていけばいい」という、権力者特有の傲慢で強引な解決策。彼はホロウの協力によって館の構造を調べ上げ、莫大な魔力を用いて、館そのものをこの小さなカバンの中へと転移させてしまったのだ。結果、ヘルナは米粒のようなサイズで、カバンの中の館に閉じ込められたまま運ばれている。


 無茶ではないかと心配するジルに、ノアは平然と「呪縛の条件を逆手に取っただけだ」と笑った。



「寂しいか?」

 不意にノアが真剣な眼差しを向けてきた。

 ジルは小さく頷く。物心ついた時から過ごした場所だ。予定よりずっと早い旅立ちに、郷愁が胸を突く。

 ノアが心配しているのは、彼女が学校に立ち寄ることなく出立したことだった。ジルが眠っている間に、彼は既にイルメダ校長と話しをつけ、荷物の手配まで済ませていた。最初から、彼女を連れて行くつもりだったのだ。



「もし私が断ったら、さらっていく準備もしてたんでしょう?」

「……いや、まさか」

 即座に否定したノアだったが、その瞳はわずかに泳いでいる。

 ジルはそれが嘘だとわかったけれど、不思議と怒りは湧かなかった。




 流れていく景色を眺めながら、自分に何ができるのかを考えていこうと決心した。

 何ができるのか。力になれるのか。




 流されるだけでなく。

 自分の足で立つためにできることを。



 この先にどんな運命が待ち受けているのか、今はまだ霧の中にあるけれど。

 ジルはただ、流れる雲の先を静かに見つめ続けていた。


更新情報Xにて(@sharineko01)


首都編に入る前に、一旦20話までを見直し、必要に応じて改稿予定です。

次回更新は3月3日(火)以降の予定です。

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