19_首都へ①
差し込む陽光にジルは重い頭を持ち上げ、ぼんやりと窓の外を眺めた。視線の先には、光を湛えてキラキラと輝く深い森の緑がある。
(森……。ここは、どこ……?)
徐々にはっきりしてきた頭で、ジルは昨夜も眺めた部屋を改めて見渡した。人の気配はしなかった。
(ノアは……どこにいるのかしら)
その名を思い浮かべた瞬間、脳裏に男性の姿をしたノアが鮮明に浮かび上がった。昨夜の記憶が蘇り、急激に頬が熱くなって、ジルはたまらず枕に顔を埋めてうずくまった。
しばらくして気持ちを落ち着かせると、ジルは意を決して立ち上がった。身に纏っているのは薄いシュミーズ一枚きりだ。部屋の隅の椅子に掛けられていた柔らかなローブを手に取り、急いで羽織る。
恐る恐るドアノブに手をかけ、外の様子を伺おうと僅かに隙間を作った――その瞬間。
「きゃっ!?」
雪崩のように何かが足元へ転がり込んできた。茶色の毛玉の群れ――ウーゴたちだ。二十匹ほどが我先にと部屋になだれ込み、ジルの目覚めを喜ぶように周囲を跳ね回った。
「おはよう……。もしかして、ずっとそこで待っていてくれたの?」
ウーゴたちは一斉にこっくりと頷いた。
「ええと……ノアがどこにいるか、わかるかしら?」
問いかけると、ウーゴたちはぴょんぴょんと先陣を切って廊下へと飛び出していった。
案内された廊下は驚くほど長く、両側にはいくつもの扉が並んでいた。ジルが育った寮に似ているが、規模が根本的に違う。目覚めた部屋だけでも、寮の部屋の五倍は広かった。
吹き抜けの階段に差し掛かると、階下に重厚な正玄関が見えた。大きな館だがおどろおどろしさはなく、むしろ明るい。ウーゴたちに続いて小さな居間へ入ると、そこにはゆったりとした革張りの椅子が置かれていた。だが、何より目を引いたのは、全面が割れた窓ガラスの無残な姿だった。
「やっと起きたのかい」
突然の声に、ジルは「キャッ」と飛び上がった。声のした方を見るが、誰もいない。すると、壁の備え付け棚の扉からフサフサとした大きな影がのっそりと現れた。
「ウーゴ……えっ、大きい……!」
それはジルの知るウーゴと瓜二つだが、サイズが明らかに違った。棚の扉を乱暴に閉めると、その生き物はぶつぶつと文句を垂れた。
「私の……私の秘蔵のワインが……。なんてことだい」
(喋ってる……)
会話をするウーゴなど初めてだった。
「ちっ、全く……。座んな」
不機嫌な態度に驚きながらも、促されるままジルは椅子に腰を下ろした。驚くほど座り心地が良い。憤懣やる方ない様子で自分に向き直るその姿を見て、ジルはこのウーゴこそが森の主ではないかと考えた。
「顔色はだいぶいいじゃないか。最初は死んでるのかと思ったがね。まあ、丸々二日も寝ればこれくらいは回復するってことさね」
「二日……!?」
「そうさね。豹王が血だらけのあんたを連れ帰ってきたんだよ」
「あなたが……治療をしてくださったのですか?」
「ヘルナ様とお呼び。ちなみに、私は何もしてないよ。治療は専門外だ。あんたの世話をしたのは豹王だし、薬湯を煎じたり着替えさせたりしたのはホロウの連中さ。もっと言えば、あんた自身の力で治したってのが大きいだろうね」
「私の……力?」
意味が分からず困惑したが、ふとあの男の最後を思い出し、背筋に怖気が走った。
小さく震えているとドアの方から声がした。
「目が覚めたか」
ノアが立っていた。手には大きな籠を下げている。その姿にジルの心臓が跳ねた。ノアの顔色はすっかり良くなり、飾り気のない灰色の衣がよく似合っていた。
彼は歩み寄ると、ジルの額に手を当てて顔を覗き込んだ。快復を確認して安堵すると、籠をローテーブルに置く。中にはパンや果物が詰まっていた。
「それより、私の大事なワインはどうしたんだい!」
「預かっている。また飲んだくれられては困るからな。帰る時には返してやる」
「今すぐ返しな!」
喚くヘルナを無視して、ノアはボトルの栓を抜き、ジルに差し出した。透明な液体を水だと思って受け取り、一気に飲み干す。乾ききった土が雨を吸い込むように、全身の細胞が生き返る感覚があった。続いて手渡されたリンゴに齧り付き、さらにパンを平らげる。ノアの手から次々と渡される食べ物を、ジルはお腹がいっぱいになるまで食べ尽くしてしまった。
「……この食べ物は、どこから?」
「イルメダに用意させた。一旦学校に戻って、状況を説明してきたんだ」
校長の名前を聞き、ジルはハッとした。アンナの様子を尋ねると、ノアは「無事に保護された」と答えた。
「時間が癒してくれるのを待つしかないだろう」
「……そうね。イルメダ校長は、何て?」
「お前が無事だと知って泣いていたよ。そのあとで、散々怒られたがな。生徒を巻き込んだんだ、当然だ」
ノアは困ったように苦笑した。アンナのことは心配だが、今はノアの言う通りにするしかないのだろう。
ジルが落ち込んだのを察したのか、ノアが彼女の肩に手を置き、軽く抱きしめた。
それをじっと見ていたヘルナが、「ふうん」と面白そうにニヤけた。
「なんだい。良い仲じゃないか」
「っ!」
ジルは驚いて離れようとしたが、ノアはそのままの体勢でヘルナを鋭く睨みつけた。
「口出しするな」
ゾッとするほど冷たい声にジルは身を竦めたが、ノアはすぐに優しい顔で彼女に笑いかけた。その柔和な笑顔に戸惑うと同時に、ジルは彼の身分を思い出した。
(……豹王)
本来なら、気安く会話することさえ叶わない雲の上の存在。ジルの心がスッと離れたのに気付き、ノアの表情が曇った。
「それで、これからどうするんだい?」
ヘルナの問いに、ノアは表情を引き締めて答えた。
「お前とジルを王宮に連れていく。今回の件を七獣国間で話し合わねばならないからな」
(私まで……?)
驚くジルを余所に、ヘルナは鼻で笑った。
「それは無理だね。私はこの館からは離れられないんだ」
「賭けに負けたと言っていたが、解除の条件くらいあるだろう。大魔女を永遠に閉じ込めておくなんて、一体どんな馬鹿げた賭けをしたんだ?」
(大魔女……? そういえば、ヘルナって……)
「条件なんてないわさ」
「あるはずだ! 世界の一大事が発生しているのに、大魔女がこんな森に引きこもるなど許されるか!」
二人の激しい言い合いを傍らで聞きながら、ジルは混乱の極みにいた。
「あのっ!!」
ジルは大声で遮った。驚いた四つの目が一斉に自分に注がれる。彼女はそろそろと手を挙げて尋ねた。
「あの……どうして、私まで連れていくの?」
「なんだい。この唐変木は、まだ何も説明してないのかい」
「そんな暇があるか」
ノアは苦々しく吐き捨てると、ジルの両肩に真剣な面持ちで手を置いた。
「ジル。俺と一緒に首都に来てほしい」
「……どうして?」
わけがわからず問い返すジルに、ヘルナが追い打ちをかけるような爆弾発言を投げ落とした。
「決まってるじゃないか。あんたが、世にも稀な『浄化の魔女』だからさ」
更新情報Xにて(@sharineko01)




