11_忍び寄る禍(わざわい)
「浄化の魔女」
その言葉の衝撃が、ノアの脳を凍らせた。
(ジルが、浄化の魔女――)
「やっぱり気づいてなかったんだねぇ」
「まさか……。ジルに魔力は――」
「ないさね。でも別に不思議じゃないよ。なにせオルガナも魔法は使えなかったしね」
「オルガナが魔法を使えなかった……?」
自らの命と引き換えに『it』を封印したあの大魔女が、魔法を使えなかったとは一体どういうことか。ましてや、ジルが浄化の魔女だなんて。
「オルガナの能力はただ一つ、浄化さ。魔力量はほとんどなかったから、グラス一つ持ち上げることさえできなかった。一方で、あらゆる魔法の効果を消すことができた。理由は……わからないねぇ……」
一気に喋ったヘルナだったが、酔いがだいぶ回っているのか、少しの間はっきりしていた口調も今はまた怪しくなっている。
信じられない、と否定しようとしてノアは言葉をつぐみ、そして思い出した。
ジルが淹れてくれた紅茶を飲んだときの、あの体の芯から温まる感覚。時折触れる肌から伝わる、癒やされるような感触。それにいつかの朝、目覚めたときに解けていた自分自身の魔法。
ふわりと笑うジルの顔が脳裏をよぎる。彼女はそのことを知っているのだろうか。
――いや、知らないだろう。裏表のない性格だ。魔力も少なく、魔法も使えないのであれば、自覚がなくてもおかしくはない。
まさかオルガナが魔法を使えなかったとは。事実なら、世界中の歴史家が度肝を抜かれるはずだ。
「ジルが浄化の魔女だと、いつ気づいたんだ」
それも水鏡に映し出したのだろうか。
だが、ヘルナに答える気はなく、また答えられる状況でもなかった。
「ぐー……」と寝息が聞こえてくる。
どうやら完全に酔い潰れたようだ。
ノアはボトルを持ち上げると、残りのワインを一気に半分ほど飲み込み、ダンとテーブルに置いた。
部屋に鈍い音が響く。ノアは椅子に身を預け、ダイヤ柄の天井を眺めた。
「浄化の魔女……」
※
ジルにとっては最悪の一日だった。
今朝からずっと周囲にノアの行方を聞かれたが、ジルはひたすら「朝起きたらいなかった」とだけ答えた。その混乱を収束させたのは、イルメダ校長だった。
なんでも、急遽両親が帰国したため首都に戻ったのだという。再び学校に戻るかはわからない、と。
エルマはジルのことを心配してくれたが、ジルは表向き、普段通りを装って過ごした。エルマは「早く戻ってくると良いね。もし帰ってこなくても、きっと首都で会えるよ」と励ましてくれた。
また、今朝の食堂ではジルの王立薬学研究所への進路が決まったことが、校長から発表された。希望していた進路に、ジルは笑顔で挨拶を返したが、内心は沈んだままだった。
夕食前。ラウンジで膝に本を置きながら、ジルは紅茶を一口飲んだ。
カップを置き、再び本を手に取る。だが一ページも進まないうちに、またカップを手に取る。
いい加減、この鬱々とした気持ちを断ち切らねばならないが、どうしても切り替えができなかった。こういうとき、規則正しい寮生活というものは不便に感じる。
ノアは無事に目的を果たしたのだろうか。そう何度も考えたが、結局はその目的自体を知らないのだから、思考は堂々巡りだった。
(いい加減にしないと)
自分を叱りながら、窓から森を眺める。今日も木々は鬱蒼と茂っている。
久々にウーゴたちに会いたくなった。森で襲われて以来、一度も顔を合わせていない。そういえば、あの狼の話はどうなったのだろう。あれはノアの作り話だったのだろうが、いつまでも森に入れないとなると薬草の収穫もできない。
この学校を離れて首都に行けば、ウーゴともしばらく会えなくなる。そう思うと、じわりと涙が浮かんできた。
別れの気配ばかりが続き、ひどく孤独を感じていた。
ちょうどその時、ナタリーが近づいてきた。最年少クラスのナタリーはまだ七歳だが、年齢の割にはしっかりした子だった。その彼女の困り果てた顔を見て、ジルは異変を察した。
「どうしたの、ナタリー?」
何か相談事なら聞くよ、と優しく声をかけると、ナタリーが窺うように口を開いた。
「ジル……どうしよう。アンナがいないの」
「いない?」
ナタリーは頷いた。
「図書室に行くって言ってたのに、さっき見に行ってもいなくて。いつもいる場所は大体探したのに……」
「見当たらないのね。わかった、一緒に探してあげる」
喧嘩でもして隠れているのだろうか。学校と寮には、隠れられる場所などいくらでもある。ジルもよく、かくれんぼをして遊んだものだった。
だが、ナタリーは首を振って言った。
「違うの……どうしよう、ジル。森に行ったのかもしれない」
「森に?」
まさかと思ったが、ナタリーの真剣に怯える様子を見て、ジルは詳しく話してほしいと頼んだ。
「あたしたち、収穫祭が中止になったのが残念で……だって、いつもは出ないお菓子が食べられるでしょう? 楽しみにしてたから」
「それはわかるけど、それでどうして森に?」
不安に丸まった背中を撫でてやると、ナタリーは少しずつ落ち着きを取り戻した。
「お昼頃、裏庭を散歩していたら……」
言葉を濁したのは、寮や校舎から出ないよう厳命されていたからだ。当然、裏庭も禁止されていたが、ジルは咎めなかった。今は説教をする時ではないし、ジル自身、庭くらいはいいだろうと、実は少し散歩をしたこともあった。
「男の人が立ってたの。少し離れたところに。その人が手招きして」
ナタリーは思い出すように視線を一点に集中させた。
「薬草を買ってくれるって、その人が来て……」
「いつも薬草を運んでくれる兵士の人?」
「ううん、見たことない人。たぶん貴族だと思う。前にパパとママと首都へ旅行したときに見た貴族と、似た格好をしてたから」
貴族がなぜ、こんな場所に。そしてなぜ直接、薬草を買うなどと言ったのか。希少な薬草であっても、基本的には首都へ運んで売買されるものだ。
「その人が、森でヒヨスを採ってきたら、お菓子と砂糖をくれるって」
ジルの不信感はさらに募った。ヒヨスは猛毒の花だが、自生している場所は多い。わざわざ指示を出してまで、子供に摘ませる必要などないはずだ。
「アンナは乗り気だったけど、私は引き止めたの」
「どうして?」
貴族の身なりで、幼い子供には魅力的な条件を出されたはずなのに。賢明にもナタリーは断ったという。
「だって、その人、変だったんだもん。なんか、あたしたちを待ってるみたいに、じっと動かなくて。近づくとゾッとしてきて……」
ナタリーは肩を震わせた。
そして、次に続いた言葉にジルの背筋は凍りついた。
「それに、肌が……血が通ってないみたいに青白かったの――」
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