季節外れの転校生
初めまして。しゃり猫と申します。
数ある作品の中から目にとどめていただき、ありがとうございます!
ジルやノア、そしてモフモフの「ウーゴ」たちを可愛がっていただけると嬉しいです。
聞こえてくる鐘の音に、ジリアン・ノウルズは本を閉じて立ち上がった。
ポワポワと光る小さなモフモフ達が、コロコロとジルの身体から落ちていく。
「もう戻るね」
挨拶しながら生き物たちを撫でてやると、表情は見えないのに嬉しそうなのがわかった。
この不思議な生き物たちは、彼女にしか見えない。
学校に隣接する深い森に住まう妖精なのか、他の何かなのか。
わかるのは彼らに好かれていることくらいで、ウゴウゴとたくさん森に生息しているそれらを、ジルはまとめて「ウーゴ」と呼んでいた。
森のギリギリ端までついてくるウーゴに手を振り、ジルは学校に戻っていった。
「ジルっ!」
学校に入るとすぐにエルマが寄ってきた。
長い髪を二つの三つ編みに結い上げた活発な少女は、珍しく興奮していた。
ジルは柔和な笑みを浮かべて、彼女が並ぶのを待った。
「聞いて、今日転校生がきたようなの」
「転校生?」
「うん。さっきイルメダ校長と一緒にいるとこ見たんだけど、ものすっごく綺麗な人だったよ」
転校生など、珍しいこともあるものだと、ジルは内心首をかしげた。
「この時期に珍しいよね。それに小さい子じゃなくて、私たちと同じくらいに見えたけど。何か事情があるのかなぁ……」
言葉が尻すぼみになったのは、この学校で唯一肉親のいない孤児として育ったジルのことを思い出したのだろう。
もっとも、ジル自身はさほど気にしていなかった。
三歳の時にこの学校に引き取られ、親の顔も覚えていない。
本来なら孤児院で生活するのが普通なのに、きちんとした学校で教育を受け、寮生活を送れている。
その幸運を、ジルはよく理解していた。
エルマと共に教室に入り、席に座った。
教室には女子しかいない。その理由は、学校と森との深い関係のためだった。
窓の外に視線を向け、ウーゴ達が住まう森を眺める。
この森は特別で、世界でも珍しい薬草が取れる場所だった。
なんでも「薬学の神」とも称された魔法使いが、世界中から集めた薬草を遺産として植えたのだそうだ。
大衆的な薬草は他でも栽培されているが、特殊な効能を持つ薬草はここでしか取れないものが多く、国中の薬師にとって垂涎の的であった。
一方、この森には不思議な制約がある。
「十六歳頃の、魔法の素養がある少女」しか立ち入れないのだ。
それ以外が森に立ち入ると元の場所に戻されてしまう。
恐ろしいのは、それが「男」の場合、そのまま行方不明になり二度と戻ってこないという噂だった。
そのため国は森のそばに学校をつくり、魔法の素養のある平民を集め、授業の一環として少女達に薬草を収穫させていた。
孤児であるジルが教育を受けさせてもらえるのも、僅かながらも魔法力があるからだ。
ジルは今年で十六歳になる。
森に足を踏み入れるのは、今年が最後だった。
*
前方の扉が開き、イルメダ校長が入ってきた。
一人の少女を後ろに従えて。
教室にいる生徒全員が息を呑んだ。ジルもまた、その一人だった。
エルマの言葉通り、美しい少女だ。
腰まで届く黒髪に、瞳も同じく漆黒。
冷涼な印象の顔立ちには柔和さはなく、なぜか最高学年のジル達よりもいくつか年上に見えた。
「皆さん、転校生を紹介します。ノア・ダンカンさんです。ノアさんはご両親の仕事の都合で、ここで生活されることになりました。卒業まであと半年もありませんが、楽しい学校生活を過ごしてほしいと思います」
「ジリアンさん。彼女はあなたと同室になりますから、色々と面倒をみてあげてください」
ジルは立ち上がり、「はい、先生」と答えてノアに笑みを見せた。
だがノアは軽く頷くだけで、無表情に空いていた席に座った。
通り過ぎた横顔は青白く、体調が悪そうに見えた。
「もうすぐ感謝祭なので、準備を始めなければいけません。今回、代表者はジリアンさんにやっていただきます。サポートはエルマさんに。年に一度の行事ですからね。しっかりとお願いします」
そう言って、校長はジルを廊下へと呼んだ。
「ジル。あなたが卒業後に希望していた進路の件ですが」
どきりと心臓が鳴った。
「知人の研究者の研究室で、下働きとして受け入れてもいいと返事をいただきましたよ」
気持ちが盛り上がり、思わず感嘆の声が出た。
嬉しそうな様子を見て、校長も目を細める。
「あなたならきっと立派に勤めるでしょう。楽しみにしてますよ。また詳細が決まったら話をしましょう」
立ち去る校長の背中を眺め、ジルは飛び上がりたい気持ちを何とか押さえつけた。
ジルのような孤児の進路は限られている。
大概は奉公に出ることになり、運が良ければ貴族の屋敷で働けるが、叶わなければ宿屋の皿洗いになる可能性も高い。
ジルは頭の回転が速く、好奇心旺盛な少女だった。
だからこそ、単なる女中ではなく、大好きな薬学に近い場所で働きたいと願っていた。
図書室にある研究者たちの残した本は、すべて頭に叩き込んでいる。
研究者になることは叶わなくても、そのそばで働ける。
ジルは浮き足立ちながら教室に戻った。
見ると、ノアが他の生徒たちに囲まれていた。
珍しい転校生に興味津々なのはわかるが、皆、ノアの表情が辛そうなことに気づいていない。
「みんな、彼女は転校してきたばかりで疲れてるんだから。質問攻めはまた今度ね」
笑顔で注意するジルの言葉に、全員が素直に従い散っていった。
成績優秀で面倒見の良いジルは、教師だけでなく生徒からも信頼されていた。
「ノア。私はジリアン・ノウルズ。ジルって呼んでね」
挨拶をすると、ノアは小さく頷き、「よろしく」と短く返した。
愛想のない反応だったが、ジルは気にしなかった。
「疲れたでしょ。顔色がよくないようだから、寮まで案内するね」
立ち上がったノアが、ふと辛そうに顔を歪めた。
思わず、ジルの手が伸びる。
はっ、と息を呑む微かな声が聞こえた。
「うわっ、冷たいっ」
氷のような冷たさに、ジルは両手で挟むようにノアの頬を包み込んだ。
もうすぐ夏を迎えるというのに、彼女は一人だけ冬の世界で凍えているように見えた。
頬をさすってやると、少しだけ赤みが戻ったように見えた。
「顔色が悪いし、寮に戻ったら急いでベッドに入った方がいいね。暖かい紅茶も淹れてあげるから。荷物はもう部屋に届いてるのかな?」
ノアの手を引いて教室を出て、まっすぐに寮へと向かう。
握った手も驚くほど冷たい。体調が悪い中、無理をして旅をしてきたのだろうか。
ふと振り向くと、ノアはじっと繋がれた手を凝視していた。
あまりの冷たさに不快だったのだろうかと、ジルが手を緩めようとすると――逆に、ぎゅっと強く掴み返された。
「ノア?」
大丈夫かと尋ねると、ノアは小さく頷き、微かな笑みを浮かべた。
少し気分が良くなったのならいい。
ジルはそのまま足早に寮へと向かった。
小柄なジルと違い、ノアは高い身長に見合った長い足を持っていたので、余裕でついてこられたようだったが。
*
部屋のドアを開けると、見慣れない鞄が一つ置かれていた。
「着替え、手伝おうか?」
「いやっ! 大丈夫だ……から」
ノアは勢いよく首を振った。
「そう? じゃあ着替えたらベッドに入ってね」
その勢いに少し安心し、ジルは紅茶を淹れに一度部屋を出た。
寮のキッチンで湯を沸かし、丁寧に茶葉を用意する。
濃くなりすぎないよう気をつけて淹れ、部屋に戻ると、すでにノアはベッドに入って目を閉じていた。
「寝ちゃった……?」
「寝てない」
すっと手が伸びてきて、冷たい指がジルの頬に触れた。
身を引いてしまうほどの冷たさだったが、ジルはじっとしていた。
正確には、ノアの瞳に囚われていた。
漆黒の瞳は、間近で見ると黒曜石のごとく煌めいている。
静謐に整えられたパーツの配置は、稀代の芸術家が平伏してでも額に収めたいと望むだろう美貌だった。
「そんなにこの顔が好き?」
くすりと笑われ、ジルは逆上せて頬を真っ赤に染めた。
「いやっ、いやっ……いや、じゃなくて。……うん。すごく綺麗な顔で、びっくりしちゃって。よく言われるでしょう?」
「……よく言われる」
ノアはそう認めて体を起こした。
「紅茶をくれるかな」
「そうだった!」
急いでカップに注ぎ、ノアに差し出す。
「残念だけど、ミルクは出せないの。朝食の時だけって決まっていて。それと砂糖も……」
「このままで十分だよ。ありがとう」
微笑みながらカップを受け取り、ノアは紅茶を一口飲むと、動きを止めた。
「ノア……?」
どうしたのかと顔を覗き込む。熱すぎたか、それとも茶葉の量を間違えたか。
「美味しい……。なんというか……とても元気になるというか」
そう言って、彼女は一気に紅茶を飲み干した。
お代わりを欲しがるノアの姿に、ジルは嬉しくなった。
これまで数えきれないほど紅茶を淹れてきたが、「元気が出る」なんて言われたのは初めてだった。
それに、ノアの顔色も随分良くなった気がする。
「元気が出たならよかった。食事には行けそう?」
「できるなら今日はもう休みたいな。なんだか一気に眠気が……」
あくびを噛み殺しながら、怜悧な瞼がとろんとしている。
「わかった。先生には言っておくから、今日はゆっくり寝てね」
「ん……」
布団をかけてやると、ノアはジルの手をキュッと握り、そのまま寝入ってしまった。
こんなに何度も人と手を繋いだのは、いつぶりだろう。
ノアの魅力ゆえか、こうして人肌を感じるのは心地よかった。
しばらくジルはそのまま、ノアの寝顔を眺めた。
単に疲れているだけならいいけれど……。
心配な気持ちもあったが、ひとまずは夕食だ。
ポンポンとノアの肩を叩き、ジルは小さく呟いた。
「おやすみ、ノア」
季節外れの転校生との生活が始まります
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