ハノーファー攻防戦
狼の遠吠えが夜の街に響き渡り、パニックに陥った市民たちが逃げ惑う。大通りに人の波が押し寄せた。
真っ白なドレスを着た貴婦人が「悪魔が出たわ!」と叫び、ドレスの裾を持ち、人々を押し退けて走り去った。
「え、マジ!?こんな町中に悪魔が出るなんて有り得るの!?」
困惑するマーレの視線の先、家屋の屋根の上で仁王立ちして、天に吠える狼男の姿があった。
全身が真っ黒な毛に覆われており、鋭い爪を持ち、腕と巨大な斧が一体化している。
「おそらく、あれは【人狼】の悪魔。人の姿をして、憲兵の検査をすり抜けて街に侵入したのね」
冷静に分析するエーリカは、腰に巻いた黄金の鎖を握る。
「あ、悪魔……」
一方、僕は【あの悪魔】のトラウマが蘇り、膝を震わせながら地面に座り込んでしまった。
故郷の村を焼き焦がした炎の熱と、姉さんの胸から流れ出た血の生暖かさの記憶は、未だ鮮烈だ。
「アレスくん、どうしたの大丈夫?」
「っ……はぁ、ごめん、マーレ。大丈夫だよ」
マーレは僕を腕を支えてくれた。おかげで僕は重い剣を握る力を取り戻した。
僕だって戦いたい――今の僕には悪魔に立ち向かう勇気も、剣も、頼れる仲間もいる。
「エーリカ、僕も戦うよ!」
腰の鞘から剣を引き抜き、エーリカに意思を伝えた。
彼女は黒いローブを目深にかぶり、無表情のままだった。
「……私たちの足手まといにならないように立ち回りなさい」
「うん。エーリカに教えてもらったことを活かして、全力で頑張るよ」
かつて僕を絞めつけた「弱き者は自分を守れないし、大切な人も守れない」というエーリカの言葉を思い出す。
今は、その言葉が励ましになる。
僕は強くなるために、そして、街の人々を【護る】ために、重い剣を握った。
「私が地面に引きずり下ろす。マーレは、その隙に魔法を使いなさい」
「お、オッケー!いきなりチーム戦ね!」
エーリカは先陣を切って高く跳躍。家屋の屋根の上に華麗に着地した。
そして、黄金の鎖を人狼の悪魔の首元に巻き付け、悪魔を屋根の上から引きずり降ろした。
「ギャアアアアア!!!」
人狼の悪魔は、エーリカの鎖に首を絞めつけられて絶叫した。
岩のような巨体を持つ悪魔が落下。地面の石畳は爆ぜて、大きな窪みを形成した。
「アタシに任せなさい!魔法大学首席卒のスーパーエリート美少女魔法使いのマーレ様の力、見せてやるんだから!!」
首に鎖を巻かれた悪魔に、マーレの魔法が狙いを定めた。
「父と子と聖霊の御名において、万物を焼き焦がす終焉の火を我が身に与えたまえ――中位階位炎魔法!!」
魔法の杖の先端の空色の宝石が深紅に変化して、そこから放たれた炎の球が大爆発。悪魔の巨体を暴力的に包み込み、轟々と焼き焦がした。
「す、すごい……」
僕はマーレの炎魔法に圧倒されて、火柱を見上げていた。
ここは地獄なのかと錯覚してしまうほどの大火だ。ちょっとでも息をすると、喉の内側が火傷しそうなぐらいの猛烈な熱気が渦巻いている。
「これが、マーレの魔法……魔法大学校首席卒は、伊達じゃないわね」
珍しく、エーリカも賞賛を口にした。毒舌で冷酷な彼女を感心させるほどに、マーレの魔法は、名実ともに卓越している。
「あ、やっべ、やりすぎた!!……第二階位水魔法、第二階位水魔法!!」
周囲の家屋まで火の手がおよび、街の一角が轟々と燃えていた。
マーレが慌てて水魔法を発動して、消火を試みる。
一方、人狼の悪魔は炎をもろともせず、僕たちに飛びかかってきた。
「エーリカ!」
僕は咄嗟に地面を転がった。
しかし、僕をかばったエーリカが悪魔の巨大な手の下敷きに。
僕をかばったせいで圧死した……と思った矢先、なんと、エーリカはその細い腕で、悪魔の巨腕を持ち上げて這い出てきた。
悪魔は、エーリカの【悪魔じみた】腕力に屈服して、ひっくり返ってしまった。
「エ、エーリカ……首も腕も折れてたよね?」
「この程度で、私が死ぬわけないでしょう……くっ…………」
「我慢してない?」
「いいえ、そんなことはないわ」
エーリカの首は、90度横を向いている。それに加えて、額や後頭部から血を垂れ流し、細い左腕が関節とは逆に曲がっていた。
なぜ、そんな状態で平然と立っていられるのだろうか。
左腕を強引に戻したとき「バキリッ!」という大きな音が鳴った。
「うわっ……骨、折れてないよね……?」
心配になったが、彼女自身はいつもの無表情だった。
「ほ、本当に大丈夫なの?」
「私のことはいい。戦いに集中しなさい」
「エーリカちゃん!大丈夫なの……いや、どう見ても大丈夫じゃないよね!?首折れてたし!今、治癒魔法をかけてあげるわ!」
「そんなもの必要ない。私は、そう簡単には死なない」
エーリカは、マーレの治癒魔法を断り、シャンデリア付の鎖を振り回す。
首や腕を折られ、額から血を流しながらも戦い続けるその姿は、まるで【ゾンビ】のようだった。
「チッ……硬いわね」
「エーリカちゃん!爆裂魔法も全然効かないよ!どうすればいい!?」
「他の魔法を試す他ないわね。雷魔法、毒魔法、神聖魔法……あなたが使える魔法をすべて試しなさい!」
「オッケー、できるだけ頑張る!Good luck(幸運を祈る!)」
いくらマーレが魔法で攻撃しても、エーリカが鎖とシャンデリアをぶつけても、悪魔の体には傷一つない。
よく見ると、悪魔の毛皮が焦げていたり、剥げていたりする。
(狼の毛……あれが、傷や火傷から守っているんだ)
悪魔の体毛は、魔法と物理攻撃を軽減している――崩れた家屋の陰から戦いを見守っていた僕は、それに気が付いた。
「マーレ、もっと威力の高い魔法は撃てないの!?」
「それは無理!今のアタシだと、中位階位炎魔法が限界なの!」
「はぁ、使えない女……」
「ねぇ!アタシだって必死に頑張ってるんだよ!そんな言い方ないじゃん!」
エーリカとマーレは悪魔と戦いながら言い争っている――なんて器用なんだ、あの二人は。
悪魔は爆発魔法とエーリカのシャンデリアの攻撃の雨にさらされ「グオオオオオオオ!!」と雄たけびを上げる。
そして、丸太のように太い豪腕を振り回した。
鋭い爪がマーレの魔法を引き裂き、腕と一体化した巨大な斧が民家の壁や床を粉砕する。
「うわあああ!!エーリカちゃんがぶっ飛ばされた!」
マーレの悲鳴が響く。
エーリカの脇腹に、悪魔の振り回した拳が直撃したのだ。悪魔の拳を受けた彼女は軽々と宙を舞い、民家の壁を突き破って遠方に飛ばされた。
エーリカの不在に、魔法の杖を掲げたマーレは新たなる魔法を試みる。
「第二階位……」
しかし、当然、魔法の詠唱を悪魔が悠々と待ってくれるわけがない。
マーレの呪文の詠唱を遮るように、悪魔の斧が容赦なく振るわれた。
マーレは「ひ、卑怯じゃん!」と叫びながら、第二階位防殻魔法を展開。
魔法の防御殻がマーレをすっぽりと覆い、悪魔の斧を弾き返した。
悪魔は、腕に一体化した斧と鋭い爪を、マーレが閉じこもる魔法の殻に何度も何度も叩きつけた。
「マーレ、逃げて!!」
「いや、無理無理無理無理!!」
ガラスが割れるような音とともに、マーレが閉じこもる魔法の殻に、亀裂が走っる。
このままでは、防殻魔法が破られて、マーレが斧で真っ二つ……
エーリカはかなり遠方まで飛ばされて戻ってこないだろうし、街を守っている憲兵の到着はいつになるか分からない。
――この状況をどうにかできるのは、僕しかいない。
(やるしかない……もう二度と、誰も死なせない!!)
魔法も、剣や鎖の物理攻撃も効果無しなら、新しい一手を試す。
「マーレ!僕の剣に炎魔法をかけて!」
「え、え!?それってつまり、魔法剣を使うってことだよね!?アレスくんにできるの!?」
「やるしかないよ!」
――最も愚かなのは、失敗ではなく、挑戦しないことと、挑戦から逃げることだ。
だから僕は挑戦して、困難に立ち向かう。
姉さんや、僕の憧れの【勇者】ならば、きっと「そうする」だろう。
「我が主よ、正義の名の下に、勇気ある少年に煉獄の炎を授けたまえ――中位階位炎魔法!」
「っ――できた、魔法剣!!」
目を開いたときには、僕の剣の刃には、地獄を想起するような炎が宿っていた。
僕は、燃え盛る剣を手にもって、悪魔に立ち向かった。
「うおおおおおお!!」
かつての姉さんの声が聞こえる……「きっとできるよ、アレスなら♪」という、優しい声だ。
今は亡き姉さんの優しい言葉が、僕の背中を押してくれた。
「やっつけちゃえ、アレス!!第二階位補助魔法!下位階位治癒魔法!」
マーレは声援と、支援魔法を送ってくれた。
体が軽くなり、足や腕の痛みが消えた。
僕は、悪魔の腕をかい潜り、素早く悪魔の背中側に回る。悪魔の爪を躱し、振り下ろされた斧を炎の剣で弾き返した。
そして、渾身の一撃を悪魔の首元に振るった。
「これが僕たちの力だ――剣技、【マグマ斬り】!!」
燃え盛る剣の刃は、悪魔の毛皮を焼き焦がし、肉を引き裂いて骨を断った。
僕は剣技を放った勢いそのままに地面を転がり、意識を失った……




