ノア・ナイトメア
メイドさんの腕に抱かれた僕は、森の木々の下に降ろされた。
闇の中、魔法のランプを吊るした馬車が一台停まっている。
ランプの光によって浮かび上がったのは、馬車の荷台の縁に座る長身の男の姿だった。
灰色 の軍服に身を包み、目元を赤い布で覆い隠している、いかにも怪しい男だ。
頬骨が浮き出るほどに痩せていて、灰色の肌をしたその姿は、人というよりも【ガイコツ】に近しい不気味な印象だ。
男は、左右に大きく裂けた口を動かし「よく来たな、少年」と、恐ろしく低い声を響かせた。
僕は「こ、こんばんわ」と、言葉を詰まらせながら頭を下げた。
「少年よ、名は?」
「あ、アレスです」
「オレは【ヴァルハイト】。そして、メイド服のこいつは【エーリカ】だ」
男は「ヴァルハイト」と名を明かした。そしてメイドさんの名前も「エーリカ」だと紹介してもらった。
メイド・エーリカは無表情を貫き、腕を組み、茫然と白い月を見上げていた。
「こんな夜更けに、どうしたんだ?」
「うっ……ああ……」
僕は故郷と家族を失い、悪魔に襲われ、メイド・エーリカに抱えられてここに連れてこられた。
けれど、それを口頭で説明しようとすると言葉が詰まり、涙が溢れそうになった。
僕の体と心が、今日の出来事を思い出すことを拒絶している。
「彼は、故郷の村を【あの悪魔】によって焼かれ、姉を殺されたのよ」
言葉に詰まる僕の代わりに、メイド・エーリカがヴァルハイトに耳打ちした。
僕は昔から耳がよかったので、二人が話すヒソヒソ声がよく聞こえた。
「あの悪魔か?」
「ええ、あの【嫉妬の悪魔ミヒャエル】よ。私もこの目で見たから、間違いない」
「……」
「葡萄のような色の髪で、大きな鎌を持っていて、猫のように縦に鋭い瞳孔の赤い眼をした悪魔で間違いないわよね?」
エーリカがヴァルハイトに耳打ちして確認すると、大地が「ゴゴゴゴ……」という唸り声をあげて震え出した。
「ああ、そうだ、間違いない……オレがこの世で最も憎いと思っている悪魔そのものだ!!」
ヴァルハイトは拳を握りしめて、人間とは思えない獣のような鋭い牙を噛みしめた。
彼の憤怒に揺さぶられて大地が揺れ動き、木の葉がざわざわと鳴いている。
(じ、地面が揺れてる……!?)
僕はその場で動けなくなってしまった。
「うるさいからやめて、ヴァルハイト」
エーリカが眉間にしわを寄せる。
地面の揺れや木々のざわめきは収まった。
「ハハッ、すまないな、アレス。貴様を怖がらせるつもりはなかった。オレも、お前の姉を殺した悪魔に恨みがあってな」
「え……」
ヴァルハイトは馬車から立ち上がり、僕の目の前にゆっくりと歩み寄ってきた。
長身の彼に見下ろされ、左右に裂けた口から覗く牙は恐ろしい。
「見ろ、アレス」
ヴァルハイトが灰色にくすんだ手でランプを持ち、馬車の奥を指さした。
そこに置かれていたのは、透明な蓋が付いた棺桶だった。
その中では、容姿端麗な美女が横たわっている。
小麦畑を連想させる金の長髪が美しい女性だった。長いまつ毛が印象的な目を閉ざしていて、麗しい肌は粉雪をまぶしたように白い。
金モールや白の細緻な刺繍が飾られた白いドレスを身にまとい、色とりどりの花々に囲まれ、棺の中で永遠に静かに眠っているように見えた。
そんな奇妙な眠れる美女をヴァルハイトは「オレの愛する妻【ノア】だ」と紹介した。
「妻は、お前の姉を殺した悪魔と同じ悪魔に殺された」
「え……」
「今は魔法をかけて石になっているから、死して眠っている状態だ」
「???」
ヴァルハイトの言っていることが理解できなかった。
なぜ、死人を連れているのか?
死して眠っている状態ってなんだ?
僕の困惑を他所に、ヴァルハイトは話を進めた。
「オレたちは、悪魔狩りの旅をしている【ノア・ナイトメア】だ」
「そ、それなら、僕も悪魔狩りをお手伝いします!」
悪魔狩りに協力したいと意気込む僕に、ヴァルハイトは「まあ待て」と、言った。
「言っておくが、オレは悪魔だ」
「え、あ、悪魔……?」
「そう、それも大罪……【傲慢】の悪魔だ」
【悪魔】という単語に対して、僕の体が拒否反応を示す。
全身が熱くなり、鳥肌が立ち、膝が震え、息が苦しくなった。今からでも、この場から逃げ出したいと心が悲鳴をあげている。
地面に膝をつく僕に、傲慢の悪魔ヴァルハイトは手を差し伸べた。
「安心しろ。お前を煮て食ったりはしない。オレが真に恨んでいるのは【悪魔】だからな」
内心「本当かな……」と不安になりながら、悪魔を自称するヴァルハイトの手を借りて立ち上がった。
「オレは悪魔となって強大な力を手に入れた。この力で、悪魔への復讐を果たそうとしている」
悪魔が死人を連れて悪魔狩りの旅をしているなんて、正気じゃない。
けれど、今の僕が頼れる人は、この人たちしかいない。
――この不気味な悪魔ヴァルハイトと、圧倒的な戦闘力を有するメイド・エーリカの力を借りれば、悪魔に復讐できるかもしれない。
僕の故郷と姉さんを奪った【悪魔】は、僕の敵であり、彼らにとっての敵でもある。利害は一致しているのだ。
「悪魔に怒れる少年アレスよ、オレと契約を交わし、オレたちノア・ナイトメアの仲間になれ」
ヴァルハイトに、そう誘われた。
僕は、悪魔に復讐するためなら何だってやるつもりだ。悪魔であるヴァルハイトと手を組むことにも、もはや躊躇いはなかった。
「は、はい……!ぜひ、よろしくお願いします!」
僕はノア・ナイトメア入りを熱望。
故郷の村を滅ぼし、姉さんを殺した【あの悪魔】への復讐を果たすために、僕は自分で剣を握って悪魔と戦う覚悟だった。
「悪魔に復讐するために、【悪魔】であるオレたちと手を組む覚悟はあるか?」
「はい!」
「――これにて契約は成る。我々ノア・ナイトメアは、貴様を歓迎する」
黒い三角帽を被ったヴァルハイトが立ち上がった。小柄な僕の頭のてっぺんが、ヴァルハイトの肩と同じ高さにある。
「共に、この世界の悪夢を終わらせよう」
悪魔への復讐という固い決意を胸に、僕は【悪魔】であるヴァルハイトと硬い握手を交わした。
僕は、正式に悪魔狩りの【ノア・ナイトメア】の一員となった。
心身ともに弱い僕と、【悪魔】への復讐に焦がれる悪魔ヴァルハイトと、戦闘メイド・エーリカ、そして、棺の中で眠るノアによる、歪で不思議な悪魔狩りの旅が始まった。




