死を悔やまれる人になりなさい
「なんだ、ここは……っ、動けない?」
闇の空間の中、仰向けに倒れているオレ。手も足も、鉛のように重くて動かない。
もがいていると、どこからともなく幼い声が聞こえてくる。
「悪魔……この悪魔め……!」
「貴様、何者だ!?」
悶え苦しむような声は次第に大きくなり、ついにその正体を現した。
右腕が焼け爛れ、白い骨が剥き出しになった少年だ。
少年はフランス軍の軍服を見にまとい、オレを「悪魔め」と恨み、闇の中を這って近づいてくる。
「やめろ、来るな……」
――間違いない、あの少年は、オレが首を刎ねて殺した少年兵だ。
腕を引きずりながら、確実に近づいてきている。
しかし、体は動かない、逃げられない。
「来るな、来るなァァァァァァァァァ!!」
眼球のない少年兵は、オレの左胸に銃口を突きつけ、「バンっ」と発砲した。
「――死ねよ、悪魔《ドイツ人》め」
オレの胸の傷から真っ黒な闇が溢れ出して、目の前が赤黒く染まった。
「はぁ……ふぅ、はぁ……っ」
激しく息を乱しながら、オレはベッドから起き上がった……なんだ、悪夢か。
左胸がズキズキと痛む。
「あ!ヴァルが目覚めた!よかっタ~」
オレの部下である猫耳少女のリリーが、涙目ながら、オレに抱きついてきた。
彼女の頭や首筋を撫でてやると「んへへへ~」と、嬉しそうに喉を鳴らした。
見慣れない白の天井、オレはベッドの上に寝かされていて、左胸に包帯を巻かれている。
オレが目覚めたこの場所は、軍の医務室だった。
「体の調子はどうかね、ヴァルハイトくん?」
オレのベッドの正面に置かれた椅子に、師匠であるハンニバルが座っていた。
「師匠、戦いはどうなったんですか!?わが軍は、フランス軍に勝利したのでしょうか!?」
オレは食い気味に、前のめりになりながら師匠に尋ねた。
師匠は、腕を組んで、オレが立ち会うことができなかった戦いの結末を語った。
「ヴァルハイトくんが胸を撃たれて負傷した頃、フランス軍の主力が駆けつけて、我が軍は一気に劣勢に立たされた。しかし、君の部隊が撤退して戦力を温存していたおかげで、軍は立て直した。戦いは、痛み分けに終わった」
どうやら、フランス軍との戦いは引き分けに終わったらしい。
優秀な部下を多く抱え、さらに、勇者ライラとベネジット司令官、ハンニバル師匠が揃っていても引き分けとは……フランスの革命軍は、よほどの強者らしい。
「勇者ライラは大損害を出しながらも、その【勇気】を、国王とベネジット司令官から称えられて、勲章を受勲した」
「なぜ……なぜ、あいつは勲章を受勲して、オレには勲章どころか、感謝の一言もないのですか!?オレは、フランス軍の奇襲を受けた直後に、撤退を指示して、戦力を温存して、その後の軍の立て直しに貢献したはずです!」
オレは声を大にした。
オレの腕に抱えられたリリーは、ブルブル震えて怯えていた。
「この世の中は、真に実力ある者よりも、【上】の都合の良い者が評価されるということじゃな。仕方あるまい」
つまり、【撤退】という消極的な命令をしたオレよりも、勇猛果敢に挑み、部隊を壊滅させたライラのほうが評価された、と。国王やベネジット13世らの【上】にとって都合がよかった、と?
「君の判断は正しかった。ワシは、それを認めて、感謝する――ありがとう、ヴァルハイトくん。君のおかげで、戦いには負けなかった」
師匠は、撤退というオレの判断の正当性を認めてくれた。
けれど、まったく納得できなかった。オレは冷静に判断を下して、最善を尽くしてきたはずなのに……不甲斐ない。
「――師匠、オレ、騎士学校をやめます」
オレは、きっぱり言った。
「なにを急に言い出すか」
「師匠、オレは、敵の少年兵を殺すのを躊躇ってしまったんです……オレは、騎士として失格です」
それは、さっきの悪夢にまで見た光景だ。
少年兵を殺すのを躊躇ったがために、胸を撃たれて、こうして病床に伏すハメになった。騎士として、王国を護る一兵士として、大失格の所業である。
師匠は少し黙って、言葉を選びながら開口した。
「ヴァルハイトくんがどのような道を歩もうと、ワシは止めはしない……しかし、これだけは言っておきたいことがある」
師匠は人差し指を立てた。
「――死を悔やまれる人になりなさい」
その言葉を聞かされた瞬間、オレの息が詰まった。
「どのような道を歩もうと、君の死の瞬間、誰かから悔やまれ、悲しまれる人になりなさい。決して死を喜ばれたり、死を望まれたりするような悪い人間にはなってはならん」
師匠は、そう淡々と語った。
「ワシが言いたかったのは、それだけじゃ」
師匠は、病室を去った。
室内に沈黙が満ちて、夕日が差し込み、強い風が窓をガタガタと揺らす音だけが聞こえてきた。
「ヴァル、軍を辞めちゃうの……?リリー、悲しいヨ」
リリーは涙をポロポロと流し、オレの胸元に顔を埋めた。
「オレは、一生師匠に追いつけない。師匠に並ぼうとか、師匠を追い越そうとか考えてたオレは愚かだ。筆舌に尽くしがたいバカだ……」
過去の自分を戒める。あの偉大な老師を超えようだなんて考えるべきではない、と。
師匠は、オレの一生の憧れの人なのだ。
「オレは、師匠の背中を追いかけて生きる」
「ということは、これからも、リリーたちと一緒にいてくれるってこト?」
「オレは、今日も、明日も、師匠を手本に、立派な騎士を目指す……オレに付いて来てくれるか、リリー?」
「うん!もちろんだよ!リリー、ヴァルとずっと一緒にいル!!」
オレがこれからも騎士を目指すと明言すると、リリーに笑顔が戻った。その笑顔は、太陽のような明るさと温かさがあった。
その笑顔を一生守りたいと思った。
……さすがは、わが軍の美少女猫耳アイドルだ。
笑顔を見せてもらっただけで、なんだか元気が出てきた。
「師匠……あなたの言葉、決して忘れません」
死を悔やまれる人になりなさい。
その言葉を胸に、オレは再び訓練と勉強に励み、戦争へと向かった。




