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仮面の慟哭

 帝都ウィーンを出た僕たちノア・ナイトメアは、東に向かった。


「うぅ……ああ……」


 真夜中の平原を馬車で移動する中、エーリカのうめき声が響く。

 彼女はロレーヌ村で悪魔クヴァルに催眠魔法をかけられて以来、毎晩、悪夢にうなされている。


 彼女がどんな悪夢を苦しんでいるのか、僕たちには分からない。


「……」


 いつも陽気だったマーレも意気消沈。


 そりゃ、エーリカの腕が吹き飛ぶところを隣で見て、血の雨を浴びたのだから、無理もないか。


「マーレ、大丈夫?」

「いや、無理……」


 僕の隣に座るマーレは、流れゆく景色をボーッと見つめている。


 他方、勇者マックスと一戦交えたヴァルハイトは、ノアの棺の隣に座って新聞を読んでいた。



――もういい加減教えてよ、ヴァルハイト。


 どうして、ヴァルハイトは悪魔になったの?


 どうして、ノアさんは悪魔に殺されてしまったの?


 どうして僕たちは、勇者と、国と、世界と、そして、悪魔と戦っているの?



……みんなの過去に、何があったの?


「なんだ、アレス?オレのことをずっと見ているが……言いたいことがあるなら言え」

「いや、何でもない」


 小雨が降ってきて、馬車の屋根を打つ音が「ぽつ、ほつ」と聞こえてきた。





――私は、母に捨てられた。


 その記憶が、悪夢として蘇ってきた。




 奴隷商人に私を引き渡すとき、母は泣いていた。


 ボロボロと涙を流しながら「ごめんね、エーリカちゃん……」と、何度も謝っていた。


「仕方ありませんよ。貧しい田舎者は、体を売るか、子どもを売るか、死ぬかですからな」


 私を引き取った奴隷商人は、嘲弄交じりにそう言った。


 私は、冷たい鎖で手首を縛られ、馬車の荷台に詰め込まれた。

 向かう先は、街の裏市場。ここでは、人間の命が取引されている。


「さあ、金貨10枚からスタートですよ!」


 私は鎖で手足を繋がれたまま、競売にかけられた。


 他の男の子たちが安値で売りさばかれていく中、女である私には特別の高値がつけられた。


「金貨40」

「いいや、金貨80は出そう!」

「この赤い髪の娘はわたしがもらう。へへへっ、驚くなかれ、金貨100枚だ!」


 私が家一軒分の値段と同等?吐き気がするほど馬鹿げている。


 お前たちこそ「支配と肉欲の【奴隷】だ」と、言ってやりたかった。


「可愛らしいじゃないか君、今晩からおじさんが、優しく可愛いがってあげるからね」


 金貨100枚を提示した、白髪のかつらをかぶった小太りの男が好色の目を向ける。ボロ布を着た私の顔を、瞳を、首を、胸を、大腿を舐めるように見た。


 今日、私はこの男に買われ、犯されるのだろう――気持ち悪い、死ねばいいのに。


「金貨100枚が出ています。他にお求めの方はいらっしゃいませんか?」


 檻の外はしんと静まり返った。


 ああ、決まった。私の命の手綱を握るのは、この気色悪い小太りの男だ。


 いよいよ私の売却が確定しかけたそのとき「ちょっと待った!」という澄んだ声が響いた。


「その娘、俺が買う。金貨500枚を出そう!」

「「ご、500枚!?」」


 周囲の人々から驚きの声が上がる。


 市場に現れたのは、白馬に乗った青年だ。ロールを巻いた金髪で、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳を持ち、卑しく薄汚いこんな場所には似つかわしくない清廉さがあった。


「き、金貨500枚が出ました!他に、ご希望の方はいらっしゃいませんか?」


 場に再び沈黙が訪れた。


 さっき私のことを買おうとしていた小太りの男も、面を食らって口を閉ざしている。


「さあ、迷える子羊よ、もう大丈夫だ。俺が来たからね。名前は?」


「……エーリカです」


「うん、いい名前だ。エリカの花から名付けてもらったのかな?よろしくね」


 こうして私は、白馬の王子様【エルドラド様】のもとでメイドとして働き始めた。

 檻の外の世界は、眩しいぐらいに明るかった。





 太陽が昇り始めた頃、私たちメイドの1日が始まる。


 手早くメイド服に着替えを済ませ、屋敷中の窓を開けて陽光と新鮮な空気を取り込む。


 窓開けと簡単な清掃は後輩メイドの【リラ】と【サラ】に任せて、私はメイドリーダーとしてご主人様のモーニングコールに伺う。


「おはようございます。エルドラド様」


 エルドラド様は、太陽のように輝かしい笑みを浮かべ、ベッドから体を起こされた。彼の笑顔を見るだけで、疲れを忘れられる。


「おはよう、エーリカ。いい天気だね」

「せっかくですし、今日の昼食は、お庭でお召し上がりになられませんか?」

「うん、そうしようか。料理長と、君の後輩メイドたちにも伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


 予定を確認しながら、私はご主人様のお着替えを手伝う。


 さて、次は朝食の準備である。


 料理長とメニューを確認し、食堂の清掃テーブルクロスをバッと広げたとき、後輩メイドのサラが、私のところに駆け込んできた。


「センパイ、あの、その……来賓室の絨毯が黒ずんで汚れておりました」

「わかった。後で私が確認するから、あなたの仕事を続けなさい」

「はい、センパイ!」

「ん、いい子ね」


 私が頭を撫でると、サラはニコニコしながら仕事に戻った。


 多分、絨毯にカビが生えたんだろうなと思いながら、メモに『来賓室 じゅうたん』と書き加えた。より良いお仕事のために、メモは欠かせない。


 休むまもなく、ジャムを塗ったパンをミルクで流し込み朝食を済ませ、次は屋敷全体の清掃に取りかかる。

 ホコリを払い、各部屋の清掃を済ませ、シーツと洗濯物を後輩メイドのリラに託し、手袋をして金の額縁を拭いていたときのことだ。


「あ、」


 なんと、私の肘が当たって、棚の上の彫刻を床に落としてしまった。表面はひび割れて、一部が破片として床に散らばった。


 落とした鳩の彫刻を見つめ、私は呆然としていた。

 こんな初歩的なミス、私らしくない……


「センパイ、どうされました?」


 石像と化した私のところに、毛布の束を抱えた後輩メイド【リラ】が通りかかった。


「リラ、」

「はい、なんでしょう、センパイ?」

「じゅうたんを片付けたら、彫刻の破片を集めておいて」

「は、はい。分かりました」


 私はその場を後輩リラに任せて、大失態をご主人様に報告申し上げる。


「執務中、失礼いたします」


 私は執務室に赴き、床に膝をついた。


「エーリカ、どうしたんだい?」

「2階の東廊下の突き当たり、鳩の彫刻像を私のミスで壊してしまいました。ご報告申し上げるとともに、深く謝罪申し上げます」


 鳩の彫刻は、ご主人様のお気に入りのものだった。


「――この責任は、私の命でもって償わせていただきます」

「ああ、待って、エーリカ!」


 私は護身用に携帯していたナイフを首に当てた。首を切り裂いて、自分の命でもって謝罪する覚悟だった。


 しかし、エルドラド様はナイフを持つ私の腕を掴んで止めさせた。


「待て、エーリカ。これは、主人である俺の命令だ。君が命を捧げることは、俺が許さない」


 私はナイフをスカートの内側にしまい、膝をついたまま、エルドラド様を見上げた。


「この彫刻には、金貨100枚の価値があった」


「はい、承知しております」


「でも君には、金貨500枚……いや、お金には替えがたい、かけがえのない価値がある!だから、彫刻が壊れたことは、何ら気にしていないよ」


 エルドラド様は、私を叱責するどころか、私を褒めてくださいました。





――愛する母さんへ。


 お元気ですか。私は今、エルドラド様という領主のもとでメイドとして働かせていただいております。


 エルドラド様は素晴らしい領主様です。


 私のことをメイドとして、そして人間として大切に扱ってくださいます。こうして、母さんとの文通まで許してくださいました。


 メイドの仕事は毎日忙しく、大変なことも多々あります。

 しかし私にはエルドラド様がいます。2人の後輩もいます。


 私は、新しい幸せを見つけることができました。


 そちらはいかがでしょうか?お返事待っています。またあなたと会える日を祈って。



エーリカ

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