勇者の正体
勇者からの書簡を受け取った僕たちは、オーストリア帝国の首都ウィーンを訪れた。
この帝国は、屈指の経済力、軍事力を誇る巨大国家である。
歴史ある町並みは美しいく、取り壊し中の市壁に囲まれて、秀麗で優美な街並みが広がっていた。
――時は、僕たちが帝国の首都ウィーンに到着した翌日まで進む。
「待ち合わせ場所は、ここのはずなんだけど……」
エーリカが勇者からの手紙と地図を交互に見る。
僕たちは、郊外のおしゃれなカフェを訪れた。目的はもちろん、勇者マックスに会うためだ。
しかし、待ち合わせ時刻を5分、10分と過ぎても、勇者は姿を見せない。
「なんで勇者は来ないのよ?歴史的な英雄なのに、意外と薄情なやつね」
マーレが金の懐中時計を見て不満を呈する。
「あなたは人のこと言えないでしょう、マーレ。平気で30分とか寝坊するくせに」
エーリカが鋭いツッコミをする。
マーレは「ごめんなさい……」と肩を落とした。
予定時刻から15分が過ぎた頃、カフェの前に二頭の馬に引かれる馬車が停車した。
ガラスの窓が取り付けられ、ところどころに金の装飾があって、艶やかな黒の塗装が為されている馬車だ。
その周囲には、老若男女を問わず多くの人々が集まり、騒ぎ立てている。
「勇者様お顔を見せて!」
「勇者様、次はどちらに行かれるのですか!?」
「近年の国際関係についてどう思われますか?」
よく見ると、市民に紛れて新聞記者の姿もある。
豪華な馬車、熱狂する市民……この馬車に乗車しているのは、勇者以外ありえないだろう。
「っ――勇者様が、来た!」
僕が期待の眼差しを向けたそのとき、馬車の扉が開いた。
馬車の中から黒髪の青年が降り立ち、市民の歓声が一層大きくなった。
「いやぁ、すまない。市民の方々からの歓迎に応えていたら遅くなってしまった」
黒髪に巻かれた赤いバンダナと、風にはためく赤いマントが特徴的だった。
背中の鞘に収められた伝説の聖剣が、勇者たる整然さを物語っている。
勇者は僕、マーレ、エーリカを順に見て、清々しい笑みで名乗った。
「待たせてしまって申し訳ない、ノア・ナイトメアのみんな。俺は、第20代勇者【マックス】だ。
僕の心臓は、裂けそうなくらいにバクバクと高まっている。
なぜなら、本で読んで、幼い頃から憧れていた【勇者】が目の前にいるからだ。
「ゆ、勇者様、その……」
握手を求めて手を伸ばした僕を押しのけて、マーレが躍り出た。
「勇者様〜♥めっちゃ爽やかでかっこいいじゃないですか!明日から……いいえ、今日から、アタシと文通しませんか!?アタシ、天才美少女魔法使いのマーレって言います!ずっと勇者様に会いたいと思っていたんです!」
勇者マックスは「あはは、元気だね、マーレさん……」と苦笑した。
その笑みは、平原を流れる清流のように澄んでいた。
「お初にお目にかかります。手紙のお返事を書かせていただきました、ノア・ナイトメア所属のエーリカと申します」
「……ああ、手紙のお返事読ませてもらったよ。よろしく、エーリカ」
勇者マックスは、頭を下げて一礼したエーリカをジッと見つめた。
そして、カフェの入り口に目線を移す。
「……ここでは少々騒がしいから、お茶でもしながら話をしよう」
僕たちは勇者に導かれ、市民の歓声に巻かれながらカフェに入店した。
♢
僕たちノア・ナイトメアと勇者マックスの4人は、貸し切りのカフェのテーブルを囲った。
シックで落ち着いた雰囲気のオシャレなカフェだ。窓の外には、優美なウィーン市の町並みが広がっている。
「ノア・ナイトメアの大活躍、聞かせてもらっているよ。特に、大罪の悪魔を討伐したことは、尊敬に値するものだ」
そう言って、僕の隣に座る勇者マックスはココアを一口。
ちなみに僕はカフェオレを、エーリカはブラックコーヒーを、マーレはビールを飲んでいる。
「過分なお褒めにあずかります」
エーリカはメイドらしい慎ましさで、勇者に一礼した。
「ゆ、勇者様」
「……ん、何だい少年?」
僕は、勇者に羨望の眼差しを向けた。
「ぼ、僕、アレスっていいます。あの……昔から勇者様に憧れてて、あの、握手してもらえますか?」
「……あ、ああ、うん、いいよ」
勇者マックスは、気前よく手を伸ばしてくれた。
僕はついに、憧れの勇者と握手を交わした。
「はぁ……すごい!僕、勇者様の手を握ってる……!ありがとうございます!」
彼の手は、強く、細く、すべすべとした感触で、とにかく美しかった。さすが、僕の一番の【推し】だ。
「うへへへへ……勇者様、イケメンだなぁ~油断してたら、惚れちゃうわよー」
マーレは鼻の下を伸ばしていた。
「あ、あのね、別にアレスのことが嫌いになったわけじゃないよ。勇者様に会えたことが嬉しいだけだからね!そこんところ、よろぴく~」
あくまで、マーレの一番の【推し】は僕らしい。
というか、この変なテンション……確実に酒に酔っている。顔も耳も赤いし。
「や、やめてよマーレ。くすぐったいって」
「フヘヘヘ、アレスの脚はすべすべだぁ~ずっと触っていたい!」
マーレは、テーブルの下で僕の腕や脚をべたべたと触ってきた。相変わらずスキンシップの激しい人だ。
「マックス様、この機会に、一つご提案がございます」
「……聞かせてもらおうか」
エーリカが、とある提案をした。
「――ノア・ナイトメアと、勇者様で協力関係を結びましょう」
勇者との協力関係の構築の提案……その提案を聞いたとき、僕の心臓は飛び出そうになった。
もし、その提案が通れば、勇者様と一緒に悪魔と戦えるということだ。頼もしいし、何より、憧れの人と一緒に居られることが嬉しい、嬉しすぎる!
「ノア・ナイトメアと勇者様の目指すところは、この世界の正義を守ること……【悪魔狩り】という点で一致しております。私たちと勇者様が共にあることは、より多くの人々を悪魔の魔の手から救うことにつながるでしょう」
「確かに、エーリカの言う通りだ。実に魅力的で、合理的な提案だね」
勇者マックスは、エーリカの説明に頷く。
彼は早々にココアを飲み終えて、カップを「カチャン」と置いた。
エーリカは、交渉の成功を確信して、握手を求め左手を伸ばした。
「では、私たちと協力関係を結んでいただけるということで、よろしいでしょうか?」
「うん、却下だな」
しかし、勇者マックスはエーリカの手を取らず、笑顔のままノーを突きつけた。
交渉役のエーリカは「な、なぜでしょうか?」と困惑を示した。
「なぜかって?――君たちが【悪魔】だからだよ」
マックスは笑顔のまま、背中の鞘から剣を引き抜き、エーリカに斬りかかった。
「っ――!?」
「ゆ、勇者様!?」
剣を振るった衝撃がカフェの壁を突き抜けて、対面に座っていた僕たちを吹き飛ばした。
ガラスの破片がキラキラと舞い、店内の椅子やテーブルが散らばる。
僕たちは、地面を転がった。
(ま、また、エーリカが悪魔だってバレた……!?勇者様、なんで……)
そのとき、マーレの悲鳴が響き渡った。
「いやあああああ!!え、エーリカちゃん!!しっかりして!!」
マーレは、腕から真っ赤な鮮血を垂れ流すエーリカを抱いていた。
エーリカの左腕は、勇者マックスの剣によって切断されていた。
意識はあるようだが、彼女の足元には血の海が形成されつつある。とても、動けるような状態ではない。
「悪魔は絶対に逃さない――剣技、【一刀両断】!」
土煙の中から飛び出してきた勇者は、地面に膝をつくマーレと、腕を失ったエーリカに斬りかかった。
マーレは咄嗟に「第二階位防殻魔法」を発動。魔法の殻が、勇者の剣を防いだ。
「魔法使いのマーレさんは、どうして邪魔をするんだい?その女、悪魔なんだよ?」
「信じてください、勇者様!エーリカちゃんは、悪い悪魔じゃないんです!」
「悪い悪魔じゃない?それって矛盾しているよね?悪魔は、諸悪の根源なんだよ」
マックスの声は、正義を疑わない確信に満ちていた。
そして、振るわれた勇者の剣は易々と、マーレの防殻魔法を打ち破った。
「やめて、勇者様!」
僕は、憧れだった勇者の前に立ち塞がり、剣を向けた。
「邪魔だよ、アレスくん」
しかし、勇者マックスは簡単に僕の剣をたたき落とした。
そして、僕の首もとに、聖剣の冷たい感触が当てられた。
「その悪魔の女を俺に引き渡さないと、この少年の首が飛んじゃうよ?」
「や、やめて勇者様……エーリカちゃんも、アレスも、誰も悪くないのよ……」
マーレは涙して、声を震わせる。
「勇者様!エーリカは、僕を悪魔から助けて、守ってくれた、命の恩人なんです!エーリカがいなかったら、僕は今、ここにいません!」
僕は声高に訴えた。きっと、勇者様なら分かってくれると信じて。
「うん?関係ないよ、そんなの。悪魔はみんな、滅びるべきだからね」
しかし、勇者マックスは無慈悲にも、僕に剣を振り下ろした。僕は、憧れの人に殺されることを覚悟した。
けれど、僕の首が飛ぶことはなかった。
「――オレの仲間に手出しするんじゃねぇよ、【勇者】のまがい物がよ」
勇者の聖剣を止めたのは、黒い翼を広げた悪魔ヴァルハイトだった。




