手紙
朝ごはんに誘うために、僕はエーリカの部屋のドアをノックした。
「おはよう、エーリカ。僕だよ」
「入っていいわよ」
エーリカの部屋に入る。
そこには、椅子に座って何やら作業をしているメイド服姿のエーリカがいた。
「エーリカ、何をしているの?」
エーリカは小道具を使って爪を染めていた。
「これは【ネイルアート】よ。最近、フランスのパリで流行っているらしい、おしゃれの一種よ。マーレに教えてもらった」
エーリカの手の爪は、自身の深紅の瞳と髪と同じ、深みのある朱色に染められていた。粉……?みたいなものが爪の表面でキラキラと輝いていて、キレイだった。
「なんか意外だな。エーリカっておしゃれに興味がないイメージがあったから」
「そう?」
エーリカはいつもの無表情ながら、どこか満足げだった。
ともあれ、彼女の意外な一面【意外とおしゃれ好き】ということを知れたことは喜ばしい。
「ヴァルハイトが、朝食を食べるから来いって」
「うん、りょーかい」
「あと、一つ、エーリカに聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
エーリカがネイル作業をやめて、僕のほうを向いた。
「っ――悪魔って、そもそも何なの?」
僕は言葉を詰まらせながらも、その疑問を投げた。
「悪魔は、人間の内側に潜んでいるとされている」
エーリカは、窓の外の青空を見つめながら、淡々と語る。
「すべての人間の内側には、常に悪魔が潜んでいる。怒りや驕り、嫉妬、強欲、情欲、貪り、堕落……そういう類の悪感情に押しつぶされたとき、人間は【悪魔】になる場合がある」
「つまり、今存在している悪魔は、元々はみんな人間だったってこと?」
「ええ、そうよ」
僕の姉さんを殺した悪魔ミヒャエルも、傲慢の悪魔ヴァルハイトも、街を襲った人狼の悪魔も、森で戦った怠惰の悪魔クヴァルも……元はみんな人間だったということだ。
そして半生半死の悪魔であるエーリカも、元々は人間であったということ。
「エ、エーリカって、人間だった頃に何があったの……?」
「……」
エーリカは、返答までに間を設けた。
「……思い出したくない」
「あ、ああ、ごめん」
申し訳なくなり、僕はすぐに謝った。僕の配慮が足りなかった。
「悪い感情に押しつぶされて悪魔になるってことは、エーリカも何かツラい事を経験して悪魔になったってことだもんね……」
沈黙が流れる。エーリカは何も言わず、親指のネイル塗りに集中している。
一緒の部屋にいるのが気まずくなり、僕は部屋を出ようとした。
そのとき、何者かによって扉がノックされた。
「すみません、ヴァルハイトという方から案内されました。エーリカ様はいらっしゃいますでしょうか?」
エーリカは「少々お待ちください」と言って席を立ち、入り口のドアを開けた。
そこには長身の兵士の姿があった。
「こんにちは。私は、ドイツのフランクフルト市から参りました、遠征隊小隊長であります」
エーリカはさっそく「要件は?」と手短に尋ねた。軍の遠征隊が、僕たちノア・ナイトメアに何の用だろうか?
「我々遠征隊は、ノア・ナイトメアの皆様に宛てられたお手紙をお届けに参りました」
兵士は、木箱を部屋に運び込んだ。
その箱の中には手紙がたくさん入っていた。数十通はある。
ハノーファー市長からの感謝状 ロレーヌ村の村長からの感謝状……それは、これまで僕たちと関わりがあった人たちからの手紙の束であった。
「ん……?」
その中に、汚れてくしゃくしゃになった手紙があった。
――宛先は【私の愛する弟アレスへ】。
「っ――姉さんからの手紙?なんで!?」
宛先の文字を見た瞬間、僕の心臓は胸を突き破るぐらいに高鳴った。
間違いない。丸っこくて可愛らしいこの文字は、姉の筆跡だ。
しかし、姉さんは悪魔に殺されたはず。なぜ、死んだはずの姉さんの手紙が、僕の手元に届いたのか?
そんな疑問に、兵士が答えてくれた。
「その手紙は、悪魔の襲撃を受けて荒廃した村を、軍が調査していた際に発見したものだそうです」
つまりそれは、生きていた頃の姉さんからのメッセージだった。遺書とも言えようか。
「っ……」
「アレス、読まないの?」
「ま、まだ心の準備が……」
僕は、その手紙を開封せずに、大切に懐にしまった。
いまだに、姉さんの死を受け入れたくないと、心の底で拒絶している自分がいた。
「それから、最も重要であろう書簡を預かっております。確実にお受け取りください」
兵士はエーリカに書簡が入った筒を手渡した。
――その書簡の送り主は、第20代勇者【マックス】だった。
「「勇者!?」」
僕とエーリカの驚く声が共鳴した。
勇者は、僕の憧れの人で、歴史的な英雄であり、この世界の救世主だ。
そんな偉大な人から、僕たちノア・ナイトメアにメッセージが送られてきたのだ。驚くなというほうが無理がある。
「どうして、勇者が私たちに書簡を……?」
驚きと困惑を隠せない僕とマーレ。
書簡をここまで届けた兵士も、頭を掻いて困惑した。
「い、いえ……わかりませんね。私どもは、手紙や書簡の内容まではチェックしておりませんので」
エーリカは筒を開ける。パリッと硬い紙と、インクの匂いがふんわりと香った。
中に入っていた勇者からの書簡の文章を、エーリカは小声で読み上げた。
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ノア・ナイトメアの皆様
拝啓
ハノーファー市における人狼の悪魔の討伐、並びに大罪の悪魔の討伐、誠にご苦労様でした。
皆様の輝かしいご功績は、私どもの耳にも届いております。
つきまして、ぜひとも皆様にお会いしたく存じます。
ぜひ、皆様の強さの秘訣や、冒険譚をお聞かせください。
来月、帝都ウィーンのカフェでお会いしましょう
敬具
第20代勇者 マックス・フォン・イスカリオーテ
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