灰よ、舞え.
怠惰の悪魔クヴァルは、僕たちノア・ナイトメアに敗れた。
見上げるほどの高い背丈をもつヘレボルスの白い花弁が開き、その中から、連れ去られたはずのユリアの母が出てきた。
「お母さん!!」
ユリアは涙ながらに母のもとに駆け寄り、抱擁を交わした。
ユリアの母は、目立った外傷もなく、無事なようだった。
「ああ、ユリア!無事だったの……」
「よかった、本当によかった、お母さんが無事で……」
母子の連れ去り事件の真相を解明して、村を守り抜き、事件の犯人である悪魔を討伐し、連れ去られたユリアとその母親を救出。
これで、僕たち【ノア・ナイトメア】の依頼と役目は果たされた。
「悪魔は、死体すら残らずに灰となる運命……」というエーリカの言葉通り、悪魔クヴァルは、次第に灰となった。
地面を上半身だけで這って、地面に膝をつく僕ににじり寄ってくる。
「た、すけて……くるしい……」
怠惰の悪魔クヴァルは、焼け焦げた上体を引きずる。彼の周りには、本のページと白い花びらが散らばっていた。
「ア、アレスくん……」
助けを求め苦しみ喘ぐその姿が、かつての僕に重なって見えた。
その若葉色の瞳には、かつて僕が持っていた、死への恐怖と絶望が宿っている。
「アレス、離れて!」
魔力切れで、木に寄りかかっていたマーレが叫ぶ。
しかし、クヴァルは僕に危害を加えなかった。
「助けて……」と細い声を発して、僕の小さな胸にしがみついてきたのだ。
「ああ、掴めない……」
悪魔クヴァルの腕を握ろうとすると、ボロボロと形が崩れ、灰になった。
確かに、彼は母子の連れ去りと殺しを犯した。絶対に許さないし、絶対に許してはいけない。
けれど、彼を100%「悪だ」と糾弾することができなかった。なぜだか、どうしても。
(なんでだろう、モヤモヤする……)
僕は、彼にとどめを刺すことができなかった。
「悪魔は、死ぬときに体が壊れて、天国にも地獄にも行けないらしいよ……」
「……」
ユリアさんが細い声で言う。
「――君の腕の中で死ねることが、ボクにとって唯一の幸せだった」
いよいよ、怠惰の悪魔が死にゆく。彼の体のすべてが、灰になって崩れつつあった。
「クヴァルくん、君は――」
もしかして人間だったの?
苦しく、ツラい過去があったの?
僕は、そう聞きたくなった。
でも、僕が声を発する前に悪魔クヴァルの首に【黄金の鎖】が巻き付き、彼の首がねじ切られた。
「え……」
悪魔クヴァルは、何か言いながら急速に崩れ、あっという間に灰の山となった。彼は崩れる直前に、僕の手を握ろうとしていた。
僕の手の中には、黒い灰が残った。
「――悪魔に慈悲など不要」
そう冷たく言い放って、僕の傍らに立っていたのはメイド服姿のエーリカだった。
彼女の手には、黄金の鎖が握られていた。
――エーリカが、悪魔クヴァルの首を切断して、とどめを刺したのだ。
「エーリカ、なんで……どうして……いつの間に……」
「なんでって、私たちの目的は【悪魔を狩ること】でしょう?」
鎖を持つ彼女の手が震えていた。
彼女は、怒っている。
「エーリカちゃん、どうして、アタシたちがいる場所が分かったの……?」
「炎が見えた。たぶん、あなたの炎魔法でしょう、マーレ?」
エーリカは低い声で、冷たく吐き捨てた。
彼女が悪夢から目覚めることができたのは、僕が悪魔クヴァルを討伐したからだろうか。
「エーリカちゃん、あの悪魔、アレスに何か伝えようとしていたわよ。そんな簡単に殺しちゃってよかったの?ねぇ!エーリカちゃん!」
「……」
エーリカは、黄金の鎖を握りしめ、灰の山となった悪魔クヴァルを踏みつけにして、口を閉ざした。
「エーリカちゃん!なんでそんな態度なの!?怒ってるの?」
「うるさい!」
エーリカはマーレに怒鳴って、スカートの内側に忍ばせていたナイフを投げた。
まっすぐに飛んだナイフは、マーレが寄りかかる木の幹に突き刺さった。
「エ、エーリカちゃん……?」
恐怖と困惑が入り混じった表情を浮かべたマーレ。沈黙が場に満ちて、夜の森の静寂が戻ってきた。
エーリカが感情をむき出しにして声を荒げているのを見るのは、僕もマーレも初めてだった。
けれど、怒れる彼女の表情は、すぐにいつもの無表情に戻った。
「悪魔は死んだ。仕事は終わった。村に帰るわよ」
エーリカは僕たちに背を向け、足早に森の木々の間に紛れてしまった。
その背中は、どこか寂しそうに見えた。
彼女が催眠魔法で眠っていた間、どんな悪夢に囚われていたのかは、彼女以外には分からなかった。
♢
村人たちは、無事に催眠魔法から覚めていた――たった一人、エーリカを除いて、みんな【幸せな夢】を見ていたらしい。
悪魔クヴァルとの死闘の翌日から、過去に連れ去られた他の人の捜索が行われた。
村と、ノア・ナイトメアの合同で行われた捜索の末、迷いの森の中から数十という白骨化した遺体が見つかった。
これで、僕たちの村での依頼は終わった。
僕の故郷と姉さんを奪い、殺して、愉悦する嫉妬の悪魔ミヒャエル。
棺の中で眠る妻、ノアのことを想い、エーリカとともに悪魔狩りの旅をする傲慢の悪魔ヴァルハイト。
死を救済として、悲しみと苦痛に溺れるように死んでいった怠惰の悪魔クヴァル。
そして、怒れる半生半死の戦闘メイドエーリカ。
――悪魔って何なんだろう。
♦読者のみなさまへ♦
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