罪を焼く煉獄の炎
「もう手加減なんてしないよ――第四階位召喚魔法」
悪魔クヴァルが手にする本の中から、黒い霧をまとった男女が飛び出す。
男と女は、それぞれ斧を持っており、それを振り回して襲いかかってきた。
「う、くっ……一人じゃ対処しきれない」
2対1の不利な状況で、斧の激しい攻撃を防ぎきるのは至難の業。
さらに、周囲の木や白い花々が歌い、強烈な眠気に襲われる。
僕は、ついに集中力を切らし、斧の打撃を脇腹に受けた。
「あああっ!!」
土と砂埃にまみれながら、僕は地面に倒れた。
脇腹に灼熱の鉄球を抱えているみたいだった。生暖かい鮮血がドクドクと流れ出し、強烈なる痛みを「熱さ」だと錯覚している。
街で買ったマントも、冒険用の服も、自分の血で真っ赤に染まっていた。
(こ、これ、全部僕の血か……)
遠くから「アレスくん!!」というユリアの声がぼんやりと聞こえる。ユリアは、ツタの拘束から逃れて、僕のところに駆け寄った。
木やツタの輪郭がぼんやりと霞んで見えて、意識が遠くなってきた。
このままだと死ぬ、と、本能が警鐘を鳴らしている。
「アレスくん、痛いよね、苦しいよね……もうこれ以上、君を傷つけるのは心苦しいよ。ボクがお母さんとお姉さんに会わせてあげるから、剣を下ろして」
大罪の悪魔を相手に時間を稼ぐことすら、無謀だったのかもしれない。
体の内側が未だに痺れていて、酸性の消化液を浴びて皮膚が真っ赤に腫れ、脇腹には致命傷を負った。
もう、限界だった。
(ごめんなさい、ユリアさん、姉さん、母さん……)
全身の力が抜ける。重い剣を握る余裕は、もうなかった。
「アレスくん!お願い、死んじゃダメ!」
「よかった、やっと剣をおろしてくれた……」
僕の手に握られていた剣が、パタリと地面に倒れる。
どうして、僕はこんなに弱いんだろう。
いや、僕は戦いを通して、確実に強くなっていた。
けれど、半生半死の悪魔とか、【大罪の悪魔】とか、ずっと憧れていた【勇者】とか……この世界には、僕をはるかに超える力を持った人たちで溢れている。
(悔しいな……僕は、誰かを守るどころか、自分すらも守れない……)
悪魔クヴァルがゆっくりと、地面を踏みしめて近づいてくる足音が聞こえる。
「やめて!!もう、アレスくんのことを傷つけるのはやめて!!」
小柄な僕に、ユリアさんが覆いかぶさって護ろうとしてくれた。
黒い影をまとう影の男女は、僕の首に斧を振り下ろすのを躊躇った。
「悪魔とか、連れ去りとか、よく分かんないけど……争ってたら、誰も幸せになれないよ!」
「い、いや……君とアレスくんが抵抗するから……」
このままでは、ユリアさんも悪魔に殺されてしまう。
僕は「逃げて、ユリアさん」と言いたかった。
「おぇ、ごほっ……」
無理に動いたせいか、大量の血を吐いてしまった。
僕の腹の裂傷を押さえたユリアが「ダメ、死んじゃダメだよ!アレスくん!」と必死に叫ぶ。彼女の手は、僕の腹から流れ出た血で真っ赤に染まっていた。
――そんな僕とユリアの悲痛な声を聞きつけて、救世主がやってきた。
「――我が愛しのアレス、我が愛弟子のユリアちゃん!!待たせたわね!!」
溌剌とした声が響いた次の瞬間、木の根の檻を突き破り、森の木々を焼き付くしながら、炎の鳥が飛来した。
「これって、第四階位炎魔法……?」
僕とユリアさんの頭の上で、炎の鳥は羽ばたいている。
その炎は、僕たちにとって暖炉の火のような心地よい温かさがあった。不思議だ、なんで僕たちは、火傷すらしないんだろう。
こんな凄まじい炎魔法を扱える【スーパーエリート】といえば、あの魔法使いしかいない。
「スーパーエリート美少女魔法使いのマーレ様が、助けに来たわよ!!」
マーレが木の根を飛び越えて、地面に倒れる僕のところに駆け寄る。
「マーレ師匠、アレスくんを助けて!」
「ごめんね、遅くなって。アタシ、気づいたら森の中で寝ちゃってて……転移魔法と催眠魔法のせいだと思うけど……うわああああ!!血がヤバーーーい!!アレス、大丈夫!?死んでないよね!?」
マーレは血に溺れる僕を見下ろして、絶叫した。
「ま、マーレ、僕は……」
「動かないでアレス!お腹の傷が開いちゃう!今、治癒魔法をかけてあげるから、ジッとしてて」
炎の不死鳥に守られながら、マーレは第二階位治癒魔法で僕の腹の傷と、肌の表面のひどい火傷跡を治している。
僕は、若葉色の優しく温かい光に包まれた。
「ごほっ、ごほっ……やばいかも」
マーレは突然、激しい咳とともに少量の血を吐いた。
「マーレ!?」
「大丈夫、気にしないで。うぇ……っ、魔力が足りなくて、体がちょっとダルいかも」
そういえば、マーレは魔法を断続的に使い続けている。
目覚めの魔法、解析魔法、光魔法、魔封じの魔法、封印魔法、僕を治療する治癒魔法、そして、膨大な魔力を消費する第四階位炎魔法……
彼女は、自らの命を削ってまで、僕の傷を癒そうとしているのだ。
「アレスも、一番弟子のユリアちゃんも、絶対に死なせない!アタシ、二人がいないと生きていけないから!」
「無理しないで、マーレ……」
「師匠……」
痛みが引いてきて、僕の脇腹の出血は止まり、傷はふさがった。
僕は立ち上がって剣を構えて、改めて悪魔クヴァルと対峙した。傷は塞がったとはいえ、脇腹がズキズキと痛み、体の内側の熱く痺れた感覚は健在だ。
「はぁ、はぁ……っマーレ、あいつは怠惰の悪魔だ」
「た、大罪の悪魔ってやつ?マジ?」
「そう、すごく強い悪魔だ。木とか花の歌声を聞くと催眠魔法にかかるから、気をつけて!」
僕の体力も、マーレの魔力も限界だ。
だから、次の一撃で倒す。
「マーレ、僕の剣に炎魔法を!!」
「うおおおおお!やっちゃえ、アレス!力こそパワーよ!!」
僕は、マーレの膨大な魔力を授かり、炎の鳥と一体になっていた。
「止めろ……アレスと炎の鳥を止めろ!!」
一方、悪魔クヴァルも抵抗する。
しかし、食人植物から吐き出された酸性の消化液は蒸発。僕の手足に巻きついたツタは燃え尽きて灰となった。木や花々の催眠の歌い声も、もはや聞こえない。
僕を邪魔するものは、何もない。
しかし、この一撃で悪魔クヴァルを討伐できなければ、僕たちは【詰み】。一か八かの大勝負だ。
「これが、僕たちの全力だ!――剣技【ソードプロメテウス】!!」
炎の不死鳥とともに、燃え盛る剣を振るう姿は、まさに古代の炎の神のごとし。
僕は、守りの姿勢をとる悪魔クヴァルに斬りかかった。
「悪魔術――【世界樹の護り】!!」
木の根が、ツタが、花々が、草木が、何重にも層を成して悪魔クヴァルを覆い尽くす。
しかし、灼熱を帯びた剣の刃は木の根とツタを容易く断ち切り、炎は草木や花々を跡形もなく焼き焦がした。
自然を操る悪魔クヴァルの弱点は、まさしく【火】だった。
「絶対に……絶対に負けるもんか!」
「いやだ……嫌だ、死にたくない!!アレスくん、もうやめてよ!!」
――僕は、背中を押してくれる人たちの声を聞いた。
ヴァルハイトは、僕を励ますように、「貴様の内側には、何か大きな力が眠っているのかもしれないな」と言う。
エーリカは冷たく、「弱き者は自分を守れないし、大切な人も守れない」と言う。
そして姉さんは「きっとできるよ、アレスなら♪」と優しく言ってくれた。
僕には、みんながついている。
「お前が殺してきた人たちの痛みを、苦しみを知り……罪を償え、悪魔め!!」
僕の剣は、炎は、悪魔クヴァルの体を斬り裂いた。
地面に伏した彼は、もう、体を再生することができないようだった。その体は、徐々に灰と化していく。
悪魔クヴァルが倒れたからか、森を丸ごと覆い尽くしていた木の根の檻も、僕たちを誘惑して歌った木も、花々も枯れ果てた。
――僕たちは、大罪の悪魔に打ち勝った。
「アレスくん!やった……!勝ったね……!」
「マジでナイス!!アタシたちのビクトリーよ!!」
僕を護り、悪魔の体を斬り裂いた炎の鳥は、魔力が尽きて消え去った。




