怠惰の悪魔クヴァル
神様は残酷だ。
神様は、ボクに【ゼンソク】という呪いをかけた。
「ごほっ、ごほっ……うぅ……」
少しでも動くと、咳が止まらなくなる。縄できつく縛られるように胸が苦しくて、発作が起こると、ベッドで横になることさえツラく、難しい。
ボクだって、兄さんみたいに工場に出稼ぎに行ったり、姉さんみたいに元気に畑で働いたり、家事を手伝いたかった。
そんな寝たきりのボクに、兄さんと姉さんたちは「怠け者」「病気を盾にしている」「ごくつぶしの愚か者」と言う。
「ごめん……でも、ぼくだって、姉さんたちみたいに元気に働きたいんだよ……」
ボクは、ベッドに顔をうずめて泣た。それだけでも息が苦しくなって、喉がヒューヒュー鳴った。
みんなができることが、ボクにはできない。みんなから2歩も3歩も遅れていて、みんなに追いつけず置いていかれる……
ボクはいつも取り残されて1人ぼっちだった。
(泣き虫でごめんなさい、役立たずでごめんなさい、怠け者でごめんなさい)
家の窓から満月を見上げて思う――今夜眠ったら、ずっと目覚めなくていいのにな、と。
♢
涼しい日々が続いたある夏、作物が全然取れなくなった。冷夏というやつだ。
ボクたちは、パンも野菜のスープもろくに食べられない日がずっと続いた。
でも、動いていなくてもお腹は減る。
パンも作れないし、ろくに畑仕事もできず、お金も稼げない【ゼンソク】持ちのボクは、家族の重荷だった。
「クヴァル、ちょっと来て」
「え、なに……?」
ボクはある日の夜、姉さん二人に担がれて森の中に連れて行かれた。
「姉さん、何をっ――ごほっ、ごほっ……」
「いいから来て!暴れないで!」
空が曇っていて、真っ暗で、とても寒かった。
「クヴァル、あなた、迷惑なのよ」
姉さんはボクを地面に乱雑に落とした。
姉さんがどんな表情をしているのか、月の逆光でわからなかった。
でも、姉さんがすごく怒っているのは、すぐにわかった。
「私たちがどんな大変な思いをしているか、わかってんの!?」
姉さんは夜の森に響き渡る大きな声で、ボクに怒鳴った。
「パンが買えないし、でも麦もにんじんも育たない。兄さんたちからの仕送りが止まって、お父さんが病気で死んで、マリー姉さんは、家のために自分を売って帰ってこなくなっちゃったんだよ!ねぇ、わかってるの!?」
姉さんはボクの胸ぐらをつかみ、涙で震えた声でまた怒鳴った。
ボクは泣きそうになりながら「ごめん、わからない、知らなかった……」と細い声で伝えた。
もう1人の姉は「ずっと家に引きこもって寝てるから、何にも知らないんだよ」と、皮肉交じりに言った。
「私たちは生活が苦しいの……それなのに、あんたは寝たきりで、料理も収穫も編み物もやらない。私たちに頼ってばっかりで、本を読んで、食べて寝るだけ!!」
「……ごめん、ごめん姉さん……できないんだよ、どうしても胸が苦しくて」
「うるさい、黙れ!お前の言いわけなんか聞きたくない!!」
景色がブレて点滅する。
ボクは、姉さんに顔を蹴られた。ひどい息切れが起こって、肺が破けたのかと錯覚するほどの胸の痛みに襲われた。
空気の冷たさが、胸の内側を刺した。
「選んでクヴァル――明日から家のために必死で働くか、今、家族のために死ぬか」
「ね、姉さん聞いて、ごほっ……ボクは、胸が苦しくて、何もできなくて……」
「じゃあ、私たちのために死んで」
姉さんは木の陰に立てかけられていた大斧を、ボクの脳天に振り下ろした。
ボクは、死を覚悟した。
「っ――!?」
「なに、これ……切れない!?」
ボクの腕が木のように硬くなり、斧の刃を受け止めた。
何が起こったのか理解する間もなく、地面から太く硬いツタが生えてきて、姉さん二人の首に巻きついた。
「きゃああああ!!」
「クヴァル、あんた……」
なんで、どうして、何が起こったの、なぜ、わからない、理解できない。恐ろしい、寒い、苦しい、ツラい……
ボクは頭を抱えて、地面に膝をついた。
姉さんは、ボクを睨みつけるように見下ろして言った。
「この……この【悪魔】め……!化け物め!!」
姉さんたちはツタに首を絞め上げられて、ついに動かなくなった。
そこへ、騒ぎを聞きつけた村の人たちが駆けつけた。
「大丈夫か!?」
「叫び声が聞こえたわ!誰?何が起こっているの?」
村人たちは、火の灯った松明や魔法のランプを持っている。
その人混みの中には、お母さんと、今日帰ってきたばかりの兄さんがいた。
「お母さん……」
「クヴァル、何、これ……姉さんたちは、どうなっているの?」
お母さんは、首を吊られて風に揺れる二人の姉さんを見上げて、声を震わせた。
そんなお母さんに、ボクは尋ねた。
「――お母さん、なんで、ボクなんか産んだの?」
お母さんは、言葉を喉に詰まらせた。
「お母さんがボクなんか産んだから、ボクもお母さんも、姉さんや兄さんたちも苦しんでるよ……なんで、どうして?」
そして、お母さんはっきり言った。
「っ――別に、あなたが生まれてくることは望んでなかった……」と。
その一言が、ボクの心を完全に殺した。
ボクという存在が、この世界の誰にも望まれていないんだと分かって、頭が真っ白になった。
「クヴァル!お前がお姉さんたちを殺したのか!?」
「どうなんだ、クヴァル?」
「いや、【ゼンソク】の子だぞ。姉二人をあの高さに吊るす力はないだろう?」
「なんとか言ったらどうだ?」
ボクは、食人植物に村人たちを食わせた。瞬きの一瞬だった。
もう、全部どうでもよくなった。
「これで、みんなお腹もへらないし、悩む必要もないね。えへへ……さあ、みんな一緒に、安らかに眠ろう。永遠に」
残ったのは、兄さんただ一人だけだった。他の村人たちは、みんな、食人植物の腹の中だ。
「クヴァル、落ち着け……兄ちゃんは、お前の味方だぞ」
兄さんは、腰を抜かして地面を這っていた。
「兄ちゃん、ボクに協力して」
「お、オレは何をすればいい……?」
兄さんの頭の中に満ちているのは、ボクへの優しさではなくて、ボクに殺されることへの恐怖だった。
「ボクと一緒に【悪魔】になってよ」
ボクは食人植物を兄さんの腕に噛みつかせ、その毒素をたっぷりと兄さんの体に流し込んだ。
「や、やめろ、やめてくれクヴァル!!オレは、悪魔になんかなりたくない!!」
毒素が体を巡る兄さんの目玉が飛び出てこぼれ落ちて、体は膨れ上がり、黒い毛皮を被った。
ボクを殺そうとした斧は、兄さんの腕と一体化。
こうして、ボクの操り人形【人狼の悪魔】は完成された。
「兄さんはこれで、ボクの言いなりだよ。えへへ、あはは……」
ボクは【怠惰の悪魔】となった。
いくら動き回っても強力な魔法を使っても、もう息切れしないし、胸が苦しくなることもない。
ボクは死でもって、生きることに苦しむ人間たちを【助けて】あげようと思った。 村にこっそり忍び込んでは、母親と子どもを森に連れ去り、優しい夢を見せながら、優しく殺してあげる。それの繰り返し。
――この世界から、苦しみとか、不幸がなくなればいいのに。そう願いながら。
♢
「っ――体を斬り落としたのに、死なない!?」
僕が炎の魔法剣で切断した悪魔クヴァルは、灰になることはなかった。
急速に伸びたツタが、宙を舞った悪魔クヴァルの上半身と腕を捕らえ、下半身と繋ぎ直した。
悪魔クヴァルは、何事もなかったかのように、僕を怯えた目で見つめる……なんという治癒能力か。
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
クヴァルが突然、悲鳴をあげた。鼓膜が破れるかと思った。
無数の巨大な木の根が伸びて、森を覆い隠しす。その様相は、まるで鳥かごのよう。
木の根が集まった中心部には、これまた巨大な食人植物が生成されて、僕を捕食せんと大きな口を開けていた。
「ボクとアレスくん、どちらかが死ぬまで、この植物の牢獄から出ることはできないよ」
「これが、大罪の悪魔の力……」
憤怒、傲慢、嫉妬、強欲、貪食、淫蕩、怠惰の七つの悪感情によって人間性を失った【大罪の悪魔】。
しかも僕が今戦っている【怠惰】の悪魔は、七つの大罪の悪魔の中で最弱。それだけで、絶望するには十分だった。
(助けて、マーレ!!早く目覚めて、エーリカ!!)
僕と村娘のユリアさんだけでは、この悪魔は倒せない。
時間を……とにかく、時間を稼ぐしかない。




