失ったもの、失われたもの
【とても幸せで残酷な夢】から目覚める。
僕は、背中に地面の冷たさを感じながら、ゆっくりと目を開けた。
目の前には大きな口を開けた巨大な【食人植物】が。
「うあああああ!!」
「ギャアアアア!!」
僕の絶叫と食人植物の叫びが共鳴する。
僕は咄嗟に剣を引き抜き、食人植物を切り裂いた。危うく、植物の栄養にされるところだった……
「はぁ……ここ、どこ?ユリアさんは?マーレは?」
立ち上がり、周囲を見渡す。
木々に囲まれていて、月明かりが降り注ぐ開けた場所に立っていた。
「ア、アレスくん、ボクの第四階位催眠魔法を打ち破ったの、すごいね……」
「っ――怠惰の悪魔クヴァル!!」
中性的な声が響く。
木々の間から姿を現したのは、巨大な【食人植物】の上に座る緑色の短髪の男の子――僕の夢に出てきた、悪魔クヴァルだ。
彼の隣には、見上げるほどに背の高いヘレボルスの白い花が咲き誇り、連れ去られた村娘のユリアさんがいた。
「ユリアさん!」
「アレスくん、助けて!痛い……」
ユリアさんの腕に、脚に、刺々しいツルが巻きついていた。彼女の指先や足先から、ポツポツと血が滴っている。
「悪魔め、ユリアさんを放せ!」
「どうして……どうしてアレスくんは、幸せな夢を拒否したの?」
悪魔クヴァルは僕の訴えに耳を貸さず、怯えた顔をしている。
「君は、亡くなった家族と永遠に一緒にいられて、苦しむことなく死ぬはずだったのに、どうして……?」
できることなら、戦わずに話し合いで解決したい。
頼れる人もおらず、土地勘のない森の中にいるこの状況……僕一人で【大罪の悪魔】であるクヴァルの討伐を行うのは不可能に近い。
幸い彼は、少しは話ができる悪魔だ。
「あの故郷、あの姉さん、あの母さんは、魔法で作られた夢であって、本物の家族じゃない。あれは、僕にとって都合が良すぎる夢だ――失われたものは、もう二度と取り戻せないんだよ……」
「分からないよ、アレスくん!生きることが、苦しくはないの!?」
「苦しいよ!!でも、そういう苦しい過去を背負って、僕たちは生き抜かなきゃいけないんだよ!」
頭の血が沸き立ち、声を大にして叫んだ。
相手の手の上で踊らされらている気がするが、どうしても感情が抑えられない。
「アレスくんとボクは、やっぱり分かり合えないみたいだね……」
僕は最初から、悪魔と分かり合う気なんてなかった。
やはり【悪魔】は、意思を持った悪意の塊でしかないのだ。
「アレスくん、ごめんね……苦しい殺し方になっちゃうよ――中位階位召喚魔法」
悪魔クヴァルは、手にした本を開く。
その本の中から飛び出してきたのは、黒いローブを着た鼻の高い老魔女だ。
魔女は間髪入れずに「中位階位氷魔法」を詠唱。
巨大な氷の塊が、僕に向かって飛んできた。
「っ――剣技【回転切り】!!」
回避しきれない氷塊は、剣の技で切り裂く。地面に突き刺さった氷塊は、地面を凍てつかせた。
戦いを傍観する悪魔クヴァルは「アレスくん、子供なのに強いね」と評する。
僕は子供じゃない!背が低くて顔は幼いけれど!!
「うわっ!?」
凍った地面で足を滑らせてしまった。
そこへ魔女の放った「第二階位電撃魔法」が降りかかった。
靴の裏と地面が氷でくっついて、魔法による落雷を回避できなかった。
「アレス!!」
「うわあああああっ!!くっ……腕が、脚が……」
僕の脳天に落雷した。
体の表面だけでなく、五臓六腑を内側から焼き焦がされるような熱に襲われた。全身の筋肉がこわばり、脚は太ももの辺りまで凍りつき、その場に倒れて動けなかった。
「かわいそう、痛そう、つらそう。苦しそうだよ……」
悪魔は他人事のように怯え、満身創痍の僕を蔑み、哀れんだ。
悪魔クヴァルが使役する食人植物は、地面に倒れた僕を頭から丸呑みにした。
(狭い、苦しい、熱い……)
食人植物の唾液は、鼻をつく強烈な異臭を発して、僕の衣服をドロドロに溶かす。
そんな強烈な酸性の唾液が肌に触れると、熱湯をかけられたかのように錯覚するほどに熱い。
(僕、死ぬのかな……)
意識が遠くなり、視界がぼんやりとする。手足がしびれて、頭の方からゆっくりと飲み込まれていく。
「アレスくん!!いやああああああ!!!」
僕を呼ぶ、ユリアさんの悲鳴じみた声が響いた。
僕がここで諦めてしまえば、ユリアも僕自身も死ぬ。
――僕が、僕自身と、ユリアを助けなければならない。
「うああああああああ!!」
残る力を振り絞り、腕と足を広げて空間を確保。
そして、食人植物を剣で内側から切り裂いて脱出した。
僕は酸性の唾液まみれになりながらも口から吐き出されて、地面を転がった。
食人植物は喉を切り裂かれて、酸性の唾液を撒き散らしながら茎が折れ、その場に倒れた。
「アレスくん!!よかった……」
「どうしてそこまでして、苦しんでまで、生に執着するんだ……」
しびれた足で何とか立ち上がる。
服はドロドロに溶けるか破けていて、食人植物の唾液と触れた素肌は火傷したかのように真っ赤に腫れていた。
「ユリアさん、僕の剣に炎魔法をかけてください!」
この強力な悪魔に打ち勝つ手段は、炎魔法と剣技を合わせた僕の奥義【マグマ斬り】しかない。
だから、マーレを師匠とする魔法使い見習いのユリアさんに魔法をお願いした。
「わ、わたし、マーレ師匠に教えてもらったけど、まだ炎魔法は使えなくて……」
「いいからやってください!やらないと、僕もユリアさんも、みんな殺される!」
やらなければ、殺される。強く在らねば、奪われる。
それが、この世界の理だ。
しかし、魔法を使おうと意識を集中させたユリアさんを邪魔するように、ツタの締め付けが強くなった。
ユリアさんは痛みから悲鳴をあげて、全身から血を流しながらも、炎魔法を僕の剣に授けようと集中していた。
「ああああ!!痛い、痛い……」
「そんなことはさせないよ。苦しいよね、ごめんね……」
クヴァルは、細い声でユリアに謝る。
「やめろ!!」
「こ、来ないでよ!ボクを殺そうとするなら、この女の子も……殺すからね」
僕は、ツタの締め付けを強める悪魔クヴァルに斬りかかった。
それと同時に、剣の刃が熱を帯びた。
「っ――できた!!お願いします、アレスくん!!」
「ありがとう、ユリアさん!!」
いつしか剣の刃は、下位階位炎魔法の火をまとっていた。
現状、僕が出せる力と技のすべてを悪魔クヴァルにぶつける……!
「っ――剣技【マグマ斬り】!!」
腕が千切れそうになるぐらい、剣を力強く振るった。
しかし、一瞬のうちに、僕と悪魔クヴァルの間に魔女が割って入った――転移魔法か。
魔女は燃え盛る僕の剣で切り裂かれ、灰と化した。
「……ボクのことは、放っておいてよ!」
悪魔クヴァルは、背中からツタを伸ばして、ターザンの要領で森の奥深くへと逃げる。
それに伴って、ユリアさんを縛り付けるツタも森の奥へと移動する。
「逃げるなよ、悪魔!!僕と戦え!!」
僕は逃げる二人を追って、再び森へ入った。
すると、森の木々が笑い、花々が歌い出した。ありえない、植物が歌うなんて……
「な、なんだこれ……」
猛烈な眠気を誘われる。
これも、悪魔クヴァルによる催眠魔法の一種なのだろうか?
どこからともなく、姉さんの声の幻聴が聞こえてくる。頭の中に直接響くような感覚だった。
「アレス、もう頑張らなくて大丈夫だよ。ゆっくり休みな♪」
「アレス、後ろを振り向いて。わたし、お花の髪飾りを作ったんだ!ねぇ、見てよ!」
「楽に、痛くないように死んで――わたしは、天国で待ってるね」
甘い声が脳内に響く。
「姉さんがそんなこと言うわけないだろ!!姉さんは死んだんだよ!!もう、二度と会えないんだよ!!!」
甘い声の幻聴を、魂からの叫びでかき消した。
炎を足元で爆発させて、どんどん加速する
(っ――できた、下位階位炎魔法!!)
魔法を自分で使えたのは初めてだ。人間、【死ぬ気】になれば、何でもできるということだ。――これは、僕の意志の力だ。
そして、ついに悪魔クヴァルに追いつき、彼の肩に燃え盛る剣を振るった。
「うああああああ!!斬れろおおおおおお!!」
「やめてよ、やめろ……やめろおおおおお!!」
剣でクヴァルの腕を切ろうとする。彼の手が硬い木へと変化して、僕の剣を阻んだ。
しかし、僕の炎の剣は悪魔クヴァルの硬質な腕を切り裂き、彼の小さい肩に食らいついた。
(ボクは悪魔になったのに、また奪われるのか……そんなのひどいじゃん……)
すべてを焼き尽くす煉獄の炎に包まれながら、悪魔クヴァルの左腕と上半身が宙を舞った。




