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すべて悪い夢だった。

 夜の森は、真っ暗だ。マーレの光魔法ルクスがなければ、何も見えない。


 どこからか、狼の遠吠え聞こえてくる。


「剣技【回転切り】!!」


 魔物を、草木を、闇夜を剣で切り裂き、森を突き進む。


「ユリアさん、僕たちが護るから、離れないようにお願いします!」

「あ、ありがとう、アレスくん」


 僕が村娘のユリアさんの護衛を務めていた。

 前方の危険は、先行しているマーレが魔法でどうにかしれくれるだろう。


「ぎゃああああああああ」


 静寂の森にマーレの絶叫が響き渡る。


「どうしたの、マーレ!?」

「蜘蛛ぉぉぉぉぉぉぉ嫌アアアアアア!!!」


 目尻から涙を流すマーレが、叫びながら僕たちのもとに駆け寄ってきた。

「退治して、無理無理!!」と、ユリアさんの背後に隠れてしまう。


「キモい、キモイ!!なんでそんなに脚いっぱいあるのよ!?そんなに醜くて気持ち悪い見た目に生まれてかわいそう!ああ、かわいそう!こっち来ないでぇぇぇ!!」


 蜘蛛の見た目をした巨大な魔物が襲い来る……と身構えた僕は、拍子抜けだった。


 マーレを追い回していたのは、手のひらほどの蜘蛛だった(蜘蛛にしてはデカいけど)


「マーレ、大丈夫だよ、ただの蜘蛛だよ。僕がやっつけるから」


 僕は剣で蜘蛛を切り裂いた。当たり前だが、ゴブリンや暴れ熊、悪魔を討伐するより、ずっと簡単だ。


「あ、ありがとう、アレスゥゥゥ……」

「マーレ、虫が苦手なんだ」

「虫の中でも、蜘蛛だけは無理!この世界から滅ぶべきよ、あんなヤツ!!」


 マーレの意外な一面は、緊張していた空気を和ませてくれた。


「きゃっ!?」


 ユリアの小さな悲鳴が響く。


 周囲を見渡すと、ユリアは地面を引きずられていた。

 彼女の脚には、どこからともなく伸びた緑色のツタが巻き付いている。


「っ――ユリアさん!?」

「アレスくん、助けて!!」


 ユリアさんは、あっという間に森の奥深くへ引きずり込まれて、姿が見えなくなってしまった。


「マーレ、ユリアさんが連れて行かれ――」


 背後に振り向く。


 マーレは、いなかった。


「え、え、さっきまで後ろにいたよね?僕と話してたよね!?」


 静かな森の中、聞こえるのは、僕の声と草や枝を踏みしめる音だけとなった。

 心臓の音がうるさいぐらいに聞こえて、嫌に冷たい汗が背中を流れた。


 まずい、戦力を分散させるという敵の術中にハマっている。


「マーレ、ユリアさん、どこにいるの!?」


 落ち着け、僕。こういう時に慌てると物事が悪い方向に進みがちだ。


 マーレは、強力な魔法が使えるから自衛が可能。

 一方のユリアさんは、師匠であるマーレから魔法を学んでいるとはいえ、ただの村娘。お世辞にも強いとは言えない。


 つまり、優先して捜索し、助ける必要性が高いのはユリアさんだろう。


「ユリアさん!どこ!?」


 僕が声を飛ばすと、地面をズルズルと引きずられる微かな音とともに「助けて!!」という悲鳴じみた声が聞こえてきた。


 僕は、ユリアさんの声と引きずられる音を頼りに、迷いの森を全速力で駆け抜けた。


「アーレース!どうしたの~!?」

「え……」


 聞き馴染みのある女性的な声だ。でも、それはマーレの声でも、ユリアさんの声でもなかった。


 その声は、昔から聞いてきた声で、僕がこの一か月間、ずっと聞きたいと思っていた声だった。


「っ――姉さん!姉さん!!」


 僕は、我を忘れてその声の主を探す。


 ツタを切り刻み、生い茂る葉っぱをかき分けた先に【あるはずのない】景色を見た。




 畑を耕す農家のおばさんがいて、パンを焼くおじさんがいて、午後のほのかに暖かい陽気に包まれる。


 村の中心に生えた大木の下では、僕の親友がいつものように本を読んでいた。


 失われたはずの人々が、愛する僕の故郷の村が、日常の風景が、確かにそこにあった。


「姉さん、姉さん!!」


 そして、家の壁によりかかって畑仕事の休憩をする姉さんもいた。

 僕が駆け寄って抱きしめると、彼女の体温の温かさと、草っぽい匂いをまとうエプロンの匂いを得る。


 姉さんは、確かにそこにいた。僕のことを、確かに抱きしめてくれた。


「え、え?どうしたの、アレス?なんで泣いてるの?」

「っ――うぅ、ああああ……っ、ぐすっ……」


 自然と目じりから熱い涙が溢れ出て、姉さんのエプロンを濡らした。


「父さんは……?母さんは……?」

「お母さんなら、そこにいるよ。お父さんは、隣町に買い出しに出かけたから、明日のお昼ごろには帰って――」


 姉さんは家の中を指さす。


 そこには、椅子に座ってじゃがいもの皮むきをする母さんの姿があった。

 僕は、無我夢中で母さんの懐に飛び込んでいた。


「あっ、ちょっとアレス、危ないよ」

「母さん……会いたかったよ……」

「アレス、どこに行ってたの?ずっと戻ってこなかったから、お母さん、ちょっと心配してたよ」

「分からない……もう、何にも分からないよ……」


 姉さんと同じ、黒紫色の髪、僕に受け継がれた低い背丈、そして、柔らかい笑み。僕が幼いころに見た母さんの姿そのままだった。


 母さんは包丁とじゃがいもを置いて、僕を優しく抱きしめてくれた。

 僕は、母さんの腕の内側で赤子のように泣いていた。


「姉さん、母さん、ごめん……」

「何かあったのかしら?」


 母さんに尋ねられた姉さんは「さあ?」と小首を傾げた。


 こうして、ずっとずっと、永遠に母さんに抱きしめられていたいと思った。


 故郷を焼かれた記憶も、姉さんの血の生暖かさも、すべてを破滅に追い込んだ悪魔も、悪魔狩りのノア・ナイトメアも、すべて悪い夢だった……



……そう思いたかった。



 母さんは、僕が幼い頃に病気で死んだ。

 姉さんは【あの悪魔】に殺された。


 その事実は、覆らない。ここが、幻とか、夢の世界でもない限りは。


「僕、行かないといけない。助けないといけない人がいるんだ」

「なんで?どこにも行く必要はないよ。だって、わたしも、母さんも、ここにいるじゃん」


 改めて抱き合う僕と姉さん。

 そんな僕たちに歩み寄る、小さな人影があった。小柄な少年だ。


 その少年は「や、やあ……初めまして」と、奥手気味に挨拶をした。


 若葉色の短髪をしたその少年は非常に幼く、10代前半ぐらいだろうか。病的に肌が白く、全身につるを巻きつけて、左目に白いヘレボルスの白い花が咲いた異様な容姿をしていた。


「お前……!」


 緑色の髪……村の人が教えてくれた証言に一致する。

 白い花は、魔法で眠らされたエーリカや村人たちの頭に咲いていた花と同じだ。


 本を胸に抱える少年は、頬を痙攣けいれんさせながら笑った。


「ぼ、ボクは怠惰の悪魔【クヴァル】だよ」


 怠惰の悪魔クヴァル――その名前は、街を襲った【人狼の悪魔】が死の直前に口にしていた名前だった。


 すべての点と点が線でつながった。

 こいつが、連れ去り事件を起こし、エーリカと村の人たちを眠らせ、村娘のユリアさんを森に引きずり込んだ犯人だ!


 僕は咄嗟とっさに「姉さん、母さん、逃げて!!」と叫び、剣をかまえた。


「落ち着いて、アレス。この子は、どちら様?」

「母さん、ここにいたら殺されちゃうよ!早く逃げて!!」


 僕は姉さんと母さんの手を握って、村からの脱出を試みた。


 しかし、村を覆い隠すように巨大なツタが伸びて、草木が茂り、大きな白い花が咲いて、村から出られなくなってしまった。


「ま、待ってよ、アレスくん。ボクは、君を苦しめるつもりはないよ」


 怠惰の悪魔クヴァルは、今にも泣き出しそうな、おびえた表情だった。


 すぐに攻撃してこない点や、語り口が落ち着いている点は温厚だと言える。

 街で暴れまわった人狼の悪魔や、無慈悲にも姉さんの命を奪った【あの悪魔】とは大違いだ。


「一つ……いや、たくさん聞きたいことがある」

「い、いいよ。ボクで良ければ、いくらでも答えるよ」

「――これ、夢か幻だよね?」


 僕が尋ねると、悪魔クヴァルはゆっくりとうなずいた。


「う、うん。そうだよ。これは、ボクの第四階位ラズ催眠魔法メズマライズによって作り出された幸せの空間。君が死ぬ前に、君にとって一番心地よい夢を見せてあげているんだ」

「っ――」


 この悪魔の目的が分かった――幻を見せて、僕を殺そうとしている。


 心配そうな眼差しで「アレス……」と僕を見つめる姉さんと母さんは、やっぱり幻だったのだ思うと、胸が締め付けられる。


「お前が、母親と子どもを連れ去った犯人か?」


「そ、そうだよ。村の人たちを催眠魔法メズマライズで眠らせたのもボクだ。今頃、みんな幸せな夢を見て眠っているよ」


「何でそんなことしてまで、人を連れ去るんだ?」


「そ、それは……かわいそうな子どもと母親を【助けて】あげるためだよ」


 本をぎゅっと抱きしめる悪魔クヴァル。その薄い胸に抱かれた本の表紙には『ヘンゼルとグレーテル』と書かれていた。


「人生って、幸せより不幸の方が多い。生まれたその瞬間から、不幸が始まるんだよ」


 悪魔クヴァルが、一歩、また一歩と近づいてくる。


 僕は姉さんと母さんをかばうように、悪魔クヴァルに剣を向けた。


「だから、これ以上人間の不幸が生まれないように、母親を【助けて】、これ以上の苦しみがないように、子どもたちを【助けて】あげているんだ」


 言葉が通じるけど、話が通じない。そんな感覚だった。


「【助ける】って……」


「その人にとって最も良い夢を見せながら、殺してあげるんだよ。苦しまないように、優しくね」


「っ――!!」


 この悪魔とは、たぶん分かり合えない。

 そう判断して、僕は悪魔クヴァルに剣で斬りかかっていた。


 悪魔クヴァルは、僕の剣を本で防いだ。


「や、やめてよ、アレスくん。君も、ボクを殺そうとするの……?」

「お前の考えで、親と子の命を奪う権利はない!!誰かの勝手で、ある日急に家族を殺される苦しみが分からないのか!?」


 僕は分かる――ある日突然、大切なものが奪われる苦しみを、悲しみを。


 悪魔クヴァルは頭を抱えて、目じりに涙さえ見せた。


「わからない。分からない、知らない、理解できない、共感できない、同意できない、頷けない……死は、みんな平等に訪れる救済のはずだから……」

「それは、人を連れ去って殺していい理由にはならないだろ!!」


 僕は怒りのままに叫んでいた。頭を流れる血が沸騰しそうなほどの怒りは、体を伝い、剣に乗り移った。


 剣の刃は、怒りと微量の魔力が混ざり合って轟々と燃えていた。


「ああああああああああ!!!」


 怒りのままに、僕は燃え盛る剣を叩きつけた。


 小柄な悪魔の左肩から右の脇腹の辺りまでを切り裂き、怒りの炎で焼き焦がした。


「なんで、どうして……なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、なんでなんだ!?」


 悪魔クヴァルは炎に包まれながら、頭を抱えてブルブルと震えている。


「ぼ、ボクの第四階位ラズ催眠魔法メズマライズを打ち破る力があるなんて……ありえない、信じられないよ、アレスくん!」


 悪魔クヴァルが灰となって崩れた瞬間、景色がぼんやりと霞んだ。


 森の木々も、故郷の景色も、本を読む親友も、姉さんと母さんのきれいな顔も、ぼんやりとして、輪郭が曖昧になっていた。


 夢の中に現れた悪魔を倒したことで、僕は夢から覚めようとしているのだ。


 しかし、同時にそれは、姉さんと母さんとの永遠の別れを意味する。


「ごめん、姉さん、母さん……」


 嗚呼ああ、家族と過ごすこんな幸せな夢を永遠に見られたら、どんなに幸せか……


「アレス、」


 輪郭がぼやけた姉さんは、僕の小さい手を握った。


「――強く、なれたね!」


 姉さんと母さんの幻影は闇に閉ざされ、永遠に失われた。

 二人は、僕の顔を見て微笑んでいた。

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