悪魔にすべてを奪われた
この世界には【悪魔】が住みついている。
悪魔は人々を殺し、時に、国を滅ぼすことさえあった。
「アレス、アレス……どこにいるんだ……?返事をしてくれ!!」
今日も、悪魔の手によって村が一つ、地図から消えた。
♢
僕【アレス】は馬車に乗り、油を買いに隣町へ出かけていた。
その帰りに、故郷の村が燃えているのを目の当たりにした。
「ど、どうして……」
家が、木が、馬小屋が、何もかもが、燃えていた。
黒い煙に村全体が覆われて夕日が遮られ、周囲が夜のように真っ暗になっている。
大量に流れた血で地面がぬかるみ、歩くたびに靴の裏側が「ぐちゃ、ぐちゃ」と粘つく音を立てた。
「ひっ……」
辺りには、顔見知りの死体がいくつも転がっている。
僕は膝から崩れ落ち、ある死体の傍らに胃の中身をぶちまけた。
焦げた死体の正体は、読書が大好きな親友だった。その亡骸の周りには、破けた本のページの紙が舞い散っている。
(誰が、こんなことを?何のために?)
僕は、油を買いに出かけただけ。
村の人たちは、ただ日常を過ごしていただけなのに、どうして?
(姉さんと父さんを探さないと……)
家族に会いたい一心で、転がっている死体を避けて歩いて、家の方向へ。
焦げ付いた肉の臭いと、血の生臭さと、灰の臭いが服に染みついている。
家の玄関の前、人が血に溺れ、うつ伏せで倒れているのを見つけた。
その人は、美しく艶のある黒紫色の髪で、頭に空色のバンダナを巻いている長身の少女だった。
間違いない――あれは姉さんだ。
「姉さん!!」
倒れている姉さんのもとにヨロヨロと歩み寄って、彼女の体を起こした。
姉さんの左胸には、大きな穴が開いていた。まるで、獣の牙で引き裂かれたような感じだった。
そこにあるはずの心臓が抉り取られていて、その周辺の桃色の筋肉と、折れたあばら骨が剥き出しになっている。
「あ、ああ……血、止まって……姉さん、嫌だ……死なないで、ダメだよ……」
僕の小さな手では、姉さんの胸に開いた傷を塞ぐことはできなかった。生暖かい血が滝のように流れ出て、ズボンの裾が血で重くなった。
姉さんは、残された最後の力で僕を見上げて、口を微かに動かした。
(に、げ、て……?)
姉さんの黒色の瞳から、光が消えた。
それきり、姉さんは動かなくなった。
「ああ……姉さん、姉さん……!!」
僕は、姉さんの軽くなってしまった体を抱き上げて、嗚咽の末に泣いた。
そんな僕の泣き声を聞きつけて、【悪魔】がやってきた。
「――死こそが、この世界で最も美しいのサ」
大きな鎌を持った悪魔は、理解しがたい戯言を口にしていた。
牧師のような黒い服を着ている悪魔だ。葡萄色の短髪が炎のように揺れており、細い首からは、髑髏の首飾りをぶら下げている。
灰色の顔は、頬骨が浮き出るほどにやせ細っていて、ガイコツを彷彿とさせる顔つきだった。
僕は、姉さんの死体を腕に抱えたまま後ずさり、不気味に笑う悪魔を見上げた。
「お前、何なんだよ……誰なんだよ」
「ギヒヒ、死の瞬間こそが、その人の生涯の中で最も美しい瞬間。そして、死は絶対平等の救済であり、究極の芸術なのサ」
猫のように縦に鋭い瞳孔をもった深紅の瞳が、ギョロリと僕を見据えた。
「お前が……お前が、姉さんを殺したのか……?」
僕の声は震え、かすれていた。
「ギヒヒヒ、その通り。ボクが、その女の心臓を引きずり出して食べたのサ!」
赤い目を細めて笑う悪魔。その口元は、血で真っ赤に汚れていた。
「嗚呼、心臓を引きずり出したときの悲鳴は本当に美しかった!!心臓を噛み潰した瞬間に深紅の血があふれ出して、ボクの喉を潤した……実に甘美、至高のひと時だったのサ!!」
悪魔は、獣のような牙を剥き出しにして笑っていた。
そのとき、死んだはずの姉さんの声が頭の中に響いた。
「きっとできるよ、アレスなら」という、優しい声だ。
姉さんの優しい一言は、たった一握りの勇気を僕に与えてくれた。
――ありがとう、姉さん。
その一握りの勇気で、僕は悪魔に一矢報いることができる。
「っ……よくも姉さんを殺したな!!」
僕は咄嗟に、地面に落ちていた木片を拾い上げた。
血でぬかるんだ地面を踏み込み、尖った木片の先端を悪魔の赤い眼に突き刺した。
「ガアアアアアアアアアッ!?」
悪魔の絶叫が響き渡る。
僕は悪魔の目から噴き出した真っ赤な血を浴びながら、走り出した。
「がはッ!?眼球がこぼれ落ちる……お前、なかなか威勢がいいなァ!」
燃え盛る木造の家々の間を走り抜けて、とにかく逃げる。
心の中で「姉さん、弔ってあげられなくてごめんなさい」と、何度も何度も謝りながら、がむしゃらに走った。
「うっ……ごほっ、ごほっ」
熱い灰を吸い込み、胸の内側が焼けるように熱い。心臓が破裂しそうだった。
震える膝を抑えながら走る僕の目の前に、複数の人影が浮かび上がった。
――それは、死んだはずの村人たちだった。
腕や脚、さらには頭部まで失った村人たちが、ヨロヨロと歩きながら、僕に向かってくる。
「「アレス、アレス……」」
うめき声を響かせながら僕の名前を連呼する村人たち。その手には、農作業用の鎌や包丁が握られている。その姿は、まるでゾンビだった。
いつの間にか、四方八方を死した村人たちに囲まれていた。
「みんな、どうしちゃったんだよ!僕と姉さんを助けてよ!」
「ギヒヒヒ、いくら呼びかけても無駄だ。そいつらは既に、ボクの操り人形なのサ」
再び、悪魔が笑いながらやってきた。
木片を突き刺して潰したはずの右目は、既に再生して元通りになっていた。
悪魔が髑髏の首飾りに触れた瞬間、ゾンビと化した村人たちが一斉に飛びかかってきた。
「うわあああああああああ!!」
僕は村人たちによって地面に押し倒された。
手足を押さえつけられて、身動きがとれない。
「父さん!!助けて、父さんっ!!」
どこかにいるかもしれない父さんに助けを求めた。
けれど、返事はない。父さんも、悪魔によって殺されてしまったのだろうか。
「さぁ、お前の美しい悲鳴をボクに聞かせるのサ!!」
助けを叫ぶ僕の細い首元に、悪魔の大鎌の刃が振り下ろされた。
僕は、死を覚悟して目をぎゅっとつぶった。大鎌の刃が空気を切り裂く「ひゅん」という音が遅れて聞こえてくる。
――そのとき、左目に黒い眼帯をした美人なメイドさんが、黒煙の暗闇から姿を現した。
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