35 伝えること、伝えたいこと
8月上旬
ユーゴに見張りを頼んだ後、ミカド達はロスに途中経過を報告するため宿屋に戻って来た。
「うぃーっす!ロス兄、戻ったぜ」
宿屋に戻ったホセは、ロスの部屋の前で声をかけ、返事を待たずにドアノブを捻った。
「あっ、ノックもせずに!」
「え?いや、大丈夫っしょ!」
ミカドは焦りながらホセを批難したが、ドアは既にカチャリと音を立てて半分ほど開いていた。
ホセを止めようと伸ばしたミカドの腕が虚しく空中でプラプラしていた。
「ほら、鍵も掛かってないだろ?」
ミカドの焦りを呆けたホセが不思議そうに見ている。
「鍵が掛かってないんだから入っても大丈夫だよな?」
そう言って、ホセは構わず中に進む。
「ん?ああ、何だホセか」
部屋の中には予想通り、ロスとザハグランロッテの二人がいた。
ホセに気が付いていたロスは、ゴソゴソと作業をしたまま気の無い返事を返した。
「…少し疲れた」
「…わっとと、何だ?…エニア……?」
これから話をしようとしていたホセを押し退け、エニアがズイッと前に出た。
そして、気怠そうにしながらロスに近づいて行く。
「ん…んん?」
意味も分からず、不穏な気配を感じたロスは作業を中断し、身構えた。
「エニアちゃん……?つ、疲れた…?」
確かにロスがパッと見た感じ、エニアは疲れているように見える。
ただ、それ以上に機嫌が悪そうに見えるのが不穏なのだ。
機嫌が悪いから疲れているのか、それとも疲れているから機嫌が悪いのか……ロスは狼狽し、どうすれば良いか迷った。
ここで対応を間違えれば惨事になるかもしれないからだ。
「小娘…近寄るんじゃない」
ザハグランロッテの凛とした声音が部屋の中を駆け抜け、ピリッとした緊張感が張り詰める。
そんな中、ロスだけは満足気にしている。
間違いなく牽制の一声だったのだが、発した当人は澄ました冷たい表情をピクリとも変化させていない。
「チッ…別にザハさんには関係無いでしょ」
…うわぁ…舌打ちしてるんだけど。
あからさまに不満を口にするエニアに、ロスはドン引きしたが、その態度はまだ可愛らしさを残している。
いつもの事だが、口ほどザハグランロッテに嫌な感情は持っていないのだ。
「なあエニア…俺、今からロス兄に説明したいんだけど」
空気を読めないホセが何気ない感じでエニアを制止しようとしている。
ここでのソレは火薬庫に火を投げ入れるようなものだろう。
ロスは面倒を恐れて話題を変えようと動いた。
「ま、まあまあ! そうだ!紅茶でも飲む?ホセも…説明なら飲みながらで大丈夫だろ?……ふぅ…」
ザハグランロッテとエニアのピリピリしたやり取りだけでも、ロスはどうすれば良いか分からなくなる。
…ホセまで加わると、もうカオスで悪夢で俺の手には負えない。…お手上げだよ……。
…溜息の一つくらい無意識に出ても仕方無いだろ……。
「…うーん。私はコーヒーの方が良いかな。ロスさんの淹れてくれるコーヒーって美味しいから」
「お? 了解、ちょっと待ってて」
ロスは大のコーヒー好きなので、コーヒーが好きと聞くと反射的に嬉しい気持ちになる。
…コーヒー好きが増えるとテンションあがるなぁ!
「ふん…お前、その好感の安売りは止めることね」
そのロスの態度が気に入らないザハグランロッテに、不満を小言でぶつけられた。
そして、ザハグランロッテはエニアだけで無く、ホセとミカドも睨んでいる。
「うん。ありがとうザハグランロッテちゃん」
彼女なりの気遣いに、ロスは感謝しながらコーヒーの準備を進める。
袋から豆を出すと、部屋に珈琲豆の香りが漂いはじめた。
ロスはこの匂いが何より好きなのだ。
「で? 子供の方はどうなったの? 見た感じ悪くはなさそうだけど…?」
「ああ!ロス兄の考えがバッチリはまりまくったみたいだぜ!! なぁ!ミカド!」
「ん…あぁ。たぶん…間違いないと思う…けど…」
「ミカドのその感じ…と、この時間…。子供の場所に当たりが付いたけど……子供自体の確認はできてなくて不安ってところ?」
「…よく分かるね?確かにそんな感じ」
お湯を沸かしながら、頭を整理し、時間と話のテンポをロスは調整する。
…後は子供を助けて、無理でも構わず街を出る。…やれるだけの事はやったし、このくらいで十分だよな?
「それで? いつ攻めんの?」
「夜中の1時! だよな!?」
ホセが代わりに答え、ミカドは頷いた。
「そうか…話を覚えてたんだな。午前1時…ならまだ時間もあるし。お前らにもコーヒー淹れてやるからまあ座れよ」
ロスの勧めで全員がテーブルの椅子に座った。
コーヒーを淹れる片手間に、軽く食せる木の実をテーブルに置く。
ザハグランロッテの好物だ。
そして全員のコーヒーを淹れ終わり、ロスも詳しい話を聞こうと席に腰を下ろした。
部屋の中はコーヒーの香りで充満し、部屋にいる人間の緊張感を解いていた。
「うん…美味い!…やっぱコーヒーは良いな」
ロスの興味は子供の安否より、コーヒーの香りと味に大部分が占められていた。
それをロスはバレないように上手く隠しながら尋ね始める。
「さて、詳しく聞かなくても大体分かったけど…被害は出た?」
「言われた通り武器は使わなかったから、軽い傷だけ…骨折すらいないよ」
「なるほど、それなら大事にはならずに済みそうだね。でも、こっちはさ…ちょっと問題が発生しててね…」
これは避けたいけど、避けられない話だった。
コーヒーを持ち上げてロスは間を置いた。
ホセの手前、やはり話しにくいのだ。
どうやって切り出そうか考えていたロスより先に、エニアが話を切り出した。
「…何かあったの?」
「うん…。その…爺さんがね、だいぶ弱ってるんだよ。………もしかしたら寿命…? わかんないけど」
ヘクターの爺さんは回復魔法で治らなかった。
それは、原因が外的要因では無く、内的要因である可能性が高いとロスは考えている。
「え!? 爺さん死んじまうのか!?そんな!まだ子供も助けてないのに!!」
想像した通り、案の定ホセがデカい声で驚いている。
他人事なのに、ホセは素直に嘆いている。
面倒だが裏表の無い良い奴なのだ。
…言えばこうなるのは分かってた。
「まだそうと決まった訳じゃないから、ホセも落ち着いて?いま騒ぐより、お前らが見つけた怪しい場所…そこから子供を取り戻す方が大事だろ?」
「おお…そ、そうだよな」
ホセを納得させると、今度はミカドから質問が飛んで来た。
「ロスさんは…どうしようと思ってるの?」
「どうしようもなにも、何にもできないよな…そういう訳で、爺さん見てないといけないし、俺達は留守番してるから」
「そっか…なら仕方ねぇ。早く子供取り返してやらねぇと!なぁミカド!」
「…あぁ……」
ミカドの様子を見る限り、ロスは自分の魂胆が見透かされている気がした。
…そう思うとミカドの目、俺を疑ってる様にしか見えないなぁ。…まあ、追求されないって事はギリギリ許されてると思っておこう。
ロスは都合良く解釈し、ホッと胸を撫で下ろした。
…危ない所なんか行きたくない。
爺さんの元気が無いのは本当だし、残念だけど…俺としては危険を避けられて良かった…ミカドには嫌な顔されたけど…。
これで良い…ロスはそう割り切った。
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…身体が重い…目は覚めたが、まるで良くなっていないな…ふぅ。
汗ばんだ体をベッドに横たえたまま、ヘクターは溜息をついた。
…こんなに治らないのは……。こんな時に、不甲斐ない…。
自分が仕え、忠誠を誓ったはずの主の危機。
その時に動けないヘクターは、情けなくて気落ちしていた。
…おや?…誰かいたのか。
ヘクターは部屋の中に人の気配を感じた。
「お…?目ぇ覚めたか爺さん、体調はどう?…ていっても良くは無いよなぁ…」
声を掛けてきたロスを見て、ヘクターは自身の関心事を確認する。
「マルス様は…」
弱々しい声で問われたロスは、頬をポリポリと掻きながらどう伝えようか迷う。
「それなんだけどな、一応ここだろうって当たりは付いた。今助けに向かってるから、朝には顔見れると思うよ」
「そうですか…それは…良かった」
…やっぱり爺さん…元気無いよなぁ。しばらくは大丈夫だとは思うけど。朝までに助けて戻って来てくれよ…。
ロスは心配が表に出ないよう注意しながら飄々と答え、ヘクターはそれに対して全く取り乱さなかった。
心にも無い笑顔を見せるヘクターに、ロスは何を言うべきか迷った。
マルス捜索の進展を伝えても元気は戻らず、ヘクターは弱々しい姿のままだった。
何か言わなくてはと思うのだが、良い言葉が浮かんでこない。
静かな部屋で居た堪れない静かな時間が流れている。
すると側で黙って見ていたザハグランロッテが口を開いた。
「………お前」
かなり目上のヘクターを、お前呼ばわりしながら言葉が続く。
「このままここで辛気臭い顔してるつもりなのかしら?」
…し、辛気臭い!?
辛気臭いと言われ、ヘクターは一層表情を暗くした。
ザハグランロッテの言葉に遠慮は感じられず、流石にロスもヒヤヒヤしていた。
ロスの不安はいつも通り無視され、ザハグランロッテはそのまま話を進めていく。
「どうせ死ぬのなら、ここよりあの子供の近くで死ねばいいのよ」
「ザハグランロッテちゃん!それは…」
「お前は黙りなさい」
「あ、はい…」
体調を崩しているヘクターを連れて出るのは、命に関わるし、地のマフィアに狙われる危険もある。
…と、思うんだけど。
ザハグランロッテちゃんは聞いてくれないだろうなぁ…。
「私は…マルス様の所に…!」
「ふん。初めからそう言えば良いのよ!…お前は荷車を用意なさい」
「え?あ、あ…あ、うん…。分かった」
…わぁ…ザハグランロッテちゃん、凄っごい男前だなぁ。
弱ったヘクターにも容赦せず、本人の希望を実行に移す。
ロスはそんなザハグランロッテの凛とした姿から目が離せなかった。




