29 ザハグランロッテの目覚め…②
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「ん…」
突然…体がビクンと勝手に動き、眠りに落ちていたザハグランロッテの意識は微睡みへと移行した。
ぼんやりと戻った意識の中、部屋に差す光の感じから、午前…いや、昼前くらいだろうとザハグランロッテは何となく感じた。
体のダルさは変わらず、ザハグランロッテは自分の体調にうんざりする。
まぁ、一日で治る風邪なんて普通はあまり無いだろう。
薄く開いた目は、この僅かの時間でついさっき前よりも更に開いている。
意識が微睡みから覚醒を始め、ザハグランロッテにの頭に、部屋の情報が波のように送り込まれてくる。
…………。
床に…あの男が転がっている…。
私が初めて執着を覚えた人間、ロス・グレイブ……。
寝る前に『今日は側にいる』と言った事を守ったのだろうか。
「そういう事じゃなかったのに…」
ザハグランロッテの意識は覚醒に向かおうとするにも関わらず、体は更なる眠りを要求していた。
意識が披露に屈服させられる。
ザハグランロッテはそのまま…眠気に身を委ねたいと強く思った。
眠りたい気持ちは大きい。
ただ、それ以上に不快感は大きく、ザハグランロッテの意識は、眠気よりも不快感を取り除きたいと思った。
熱でかいた汗が、全身のあらゆるものを肌に纏わり付かせていた。
髪の毛は額に張り付き、着ている衣類も汗を多分に含んで肌にべったりと貼り張り付いている。
まるで、ザハグランロッテの不快になるポイントを知っていて、不快にさせるのが目的かと勘違いしてしまいそうだった。
不快スイッチを直接撫でられているようで、ザハグランロッテはとても我慢ができるものではなかった。
直ぐにでも洗い流してさっぱりしたいと思ったが、それは難しい。
ザハグランロッテは一人で行動することができないのだ。
いや、行動は出来る。
安全の確保が一人では出来ないのだ。
しかし、その事で彼女が不便だと思うことはほとんど無い。
ザハグランロッテの不快は、ザハグランロッテが感じるより先にロス・グレイブによって取り除かれるからだ。
ザハグランロッテがいま不快を感じている状況…これは体調が原因か、それとも……。
きっと体も汗の臭いを放っているに違いなかった。
ザハグランロッテは床で寝ているロスをチラリと見て考える。
硬い床は寝心地も悪いだろう。
ロスの顔も心地良さそうにはとても見えず…痛がっているように見える。
起きたら…この男が喜ぶわね…。
自分が汚れて臭うのは嫌で…我慢ならなかった。
けれど、この男はそれをなぜか好む。
少し考えたあと、ザハグランロッテは決めた。
不快感は取り除かれていないが…そのまま体を休める事を優先することにしたのだ。
この臭いはエサ…。
これでこの男を引き留められるのなら…。
不快で耐え難いけれど、性癖の刺激は私への興味を繋ぐはずだ…。
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気持ち悪さでイラッとして意識が少し戻った。
ザハグランロッテは今…まどろみと意識の狭間にいる…。
まだ寝ていたかったけれど、不快感は、またしても彼女が眠ることを許さなかった。
「う…ん…?」
…そうか…あの後またすぐ寝て…。
朦朧と無意識を繰り返している彼女は、時間の感覚が覚束ない。
部屋の明るさからすると夜では無いらしい。
どのくらい寝たのかしら…。
ダルさが抜けてだいぶ体が軽かった。
熱で出ていた汗もだいぶ引いていて、今は平熱に近いか微熱といった所だろう。
「それで……お前は何をしているのかしら?」
ベッドの横に膝立ちで、鼻を膨らませながら繰り返し何度も深呼吸しているロスに向かい、ザハグランロッテは不満の声を上げた。
「あ?お、お、おはようザハグランロッテちゃん!いや、もぞもぞしてたからそろそろ起きるのかなーと思って!」
アタフタと言い訳をするロスの姿にザハグランロッテは嘆息する。
はあ…。
この男は肝心な所で妙に抜けているのよね…。
確かに…私は打算で、少し期待に応えようとは思ったけど…。
「いや、ご、ごめんね。でも、俺ザハグランロッテちゃんの…その…大好きだからさ…」
この男はいったい何を告白しているのだろうか……。
「はぁ…もういいわ」
ザハグランロッテも、人の嗜好が千差万別なのは知っている。
ロスが匂いフェチだからといって咎めるつもりは無い。
というか、貴族育ちのザハグランロッテからすれば匂いフェチなど可愛いものである。
貴族にはタガが外れた性癖を持つ者も多く、権力を持っているせいで、それを実行に移せてしまう者も多い。
貴族の醜聞はゴシップネタとして人気だったし、友人のいないザハグランロッテの耳にも普通に入るくらいありふれたものだった。
だから、別にロスが匂いフェチでも大して気になりはしなかった。
ただ、その対象が自分だから抵抗があるだけで…。
「ごめん…」
大して気にしていないのに、しょぼんとするロスを見て、ザハグランロッテは少し悪いことをしたかな…と感じていた。
違う…こんな顔をさせたいわけじゃ無かったのに…。
水…少し喉が渇いたわね……。
「あ、そうだ…ザハグランロッテちゃん起きたばかりだし喉乾いてない?水あるよ、飲む?」
…………。
相変わらず絶妙なタイミングで差し出される水に、ザハグランロッテは珍獣でも見たような気持ちになりながら水を受け取った。
水をごくりと一口飲んだ。
抵抗無く身体に染みていく水…この水一つ取ってみても、この男の気遣いが込められているのが分かる。
いまの私に飲みやすい温度にしてあるのね…。
ゴクゴクと水を飲み干す間、ロスは満足そうにそれを見ていた。
やっぱり体調はだいぶ良いみたいね……。
体調は確実に快方に向かっている。
そうすると次に気になるのは、やはり汗をかいて気持ちの悪いこの体だ。
「…………。」
この思いには反応しないのね…。
分かりやすいというか何というか……。
水が飲みたいと思った時。
いや…それ以外の事だって、大概口にする前にザハグランロッテの欲するものを出してくる。
それがロスという男だ。
なら今回も汗を拭くためのタオルやお湯が出てきてもおかしくない。
いや、寧ろこの男なら出てこないのがおかしいのだ。
分かってるけど出したくない…どうせそんな事を考えているのでしょう……?
自分の臭いが大好きだと言われ、満更でもないと思ってしまうのにザハグランロッテは納得がいっていない。
臭い匂いを嗅がれるのは嫌だという思いは間違い無く本物のはずだからだ。
そもそも……。
ロスの作為的な不作為に、ザハグランロッテの気持ちは冷静になっていく。
「汗をかいて気持ち悪いの。軽く拭ってからお風呂に入りたいわ」
「え!?あ…いや、うん。そ、そうだよね…」
鼻の動きが止まったわね……。
残念そうな顔があからさま過ぎる。
出来る限り長く楽しみたいとでも思っていたのだろう。
ロスは俯きながら、部屋の隅に置いてあったタライを持ってきた。
その姿は、まさに後ろ髪を引かれるといった表現がピタッと当てはまるようだった。
というか準備はしていたのね……。
私から絶妙に見えない位置に置いてあるのが…またなんとも言えないわね……。
小賢しい小悪党っぽさがいかにもこの男っぽいと思った。
そんなに嗅ぎたいものかしら…?
匂いフェチでも軽蔑はしないが、少々行き過ぎと感じたザハグランロッテは、若干引き気味にそう考えた。
「やっぱり今はいいわ…まだ横になった方がいいみたい…ちょっと…寒いわね」
今は8月だ。
寒いなんて事は有り得ない。
ザハグランロッテは熱でうなされていた時に見た……ロスが去る夢を思い出し……この男を繋ぎ止めたいという欲求が抑えられなくなっていた。
「お前…布団に、入りなさい」
「え?え、ええ!?」
言っているうちに、ザハグランロッテはなんだか本当に気分が悪くなってきた気がした。
それに気づいたロスが心配そうに近づいてくる。
私は…最低だ……。
ザハグランロッテはロスを布団に招き入れ、頭を自分の胸元に抱き寄せた。
これで満足なんでしょう……?
平気なふりをしていても、鼓動はザハグランロッテの気持ちと裏腹に速く…緊張と羞恥と不安でドキドキして胸が痛くする。
こんなの…長時間は無理だと思った。
それでも、ロスを離れるつもりは無かった。
体が密着し、汗をかいた肌と肌がくっついている。
ここからどうすれば良いか分からない。
ザハグランロッテはドキドキと苦しい胸の痛みを我慢して動かずジッと耐えた。
ジッと耐え、ジッと耐えた。
どれくらい経ったのだろう…ドキドキは緩やかになり、痛みも治まってきた。
その間も暑いだろうに、ロスは動かずにジッとしていた。
いや、動いてはいないが…自分よりも太く、強い腕でギュッと引き寄せられていた。
ときおり…見えないはずなのに顔や額の汗を拭ってくれる。
そんな気遣いが心地良かった。
自分から招き入れたのだ…手を出されても仕方ないと覚悟を決めていたが、抱きしめる以上の事を、ロスはしてこなかった。
胸のドキドキが緩やかに治まっていき…今度は心地よい高揚感に包まれた。
ずっとこうしていたい……。
眠気が近づいてくるのを感じながら…私はスッと意識を手放した。




