29 ザハグランロッテの目覚め…①
8月上旬
「カチャ…キ…ィ…」
彼女を起こさないように気を付けながら…ロスは慎重に部屋のドアを開けた。
静かに部屋の中に入るとロスはスゥーッと深く…静かに鼻から息を吸い込んだ。
全てが深い多幸感で満たされていく。
部屋の中にザハグランロッテちゃんの匂いが薄いけど充満してる…。
熱で汗かいてるし…。
近くで嗅ぎたいなぁ…。
ゼロ距離で匂いを嗅ぎたい欲望がロスの中で湧き上がっている。
時と場合を考えれば、今は絶対に駄目な時だろう。
ロスも、湧き上がる欲望をそのまま実行に移すつもりはない。
というか普通にそんな事できない。
嫌われたくないし……。
「あれ…?ザハグランロッテちゃん…起きてたの…!?どう?少しは楽になった?」
自分の性癖に引っ張られてアホな事を考えていたロスは、ザハグランロッテが目を覚ましているのを見逃していた。
彼女の様子を見逃した反省と、彼女が目を開けた安堵…彼女の欲しているものを知りたいと思う気持ち…ロスの頭はいま忙しく動いている。
彼女はロスの問い掛けには答えなかった。
静かに体を起こしてベッドに座り、ジッとして…そして動かなくなった。
ん…?なんだなんだ…!?
ザハグランロッテちゃんの様子がなんだか…おかしい…?
ロスは動かない彼女に違和感を感じ、何がおかしいのか慎重に観察を始めた。
……!?
ロスの胸が急速に締め付けられる。
ザハグランロッテは呆然と……その目から涙をこぼしていた。
彼女の具合が更に悪くなったのではないか…悪い予感が爆発的に膨らんでいく。
お、落ち着け…!
俺が動揺したら不安にさせちゃう…!
「ど、どどどうしたの!?どど、どこか痛い!?し、しんどいの!?」
あーっ!!俺の馬鹿!!
全然落ち着いた反応を見せられず、ロスは自分の不甲斐なさに地団駄を踏んだ。
彼女は虚ろな目でロスを見ると、辛そうな顔をして小さな声で呟いた。
「…だいじょうぶ」
ザハグランロッテちゃん……!?
全然大丈夫そうに見えなかった。
見た感じの印象では体の不調とは違う理由のように見えた。
なんだ??
ホルモンバランスの異常か…!?
「ぐ、具合が凄く悪くなった…とかじゃないんだね……!?」
彼女が伝えてくれた一言では、ロスの不安は解消できそうもなかった。
本当に大丈夫なのか心配で、ロスはもう一度確認をしたいと思った。
普段ならしつこいと怒られてもおかしくない。
にも関わらず、彼女は答える代わりにコクリと頷きを返してきた。
それがまた、ロスの心配を積み上げる。
彼女の様子を見る限り、体調は良くなっているように見える。
確かに…体は大丈夫そうだけど…。
体調不良で情緒が乱れたとか…そういうアレか…?
「しんどくて…それだけよ…」
その声は、先程より生気を戻したように思えた。
「そ、そう!?ならもっとよく寝て!!早く良くならなきゃ!さぁ、横になって…そうだ、水は?今いらない?」
「お前…どこかに行くの…?」
「え…?」
どういう事…?何処かに…?え…?
彼女の口から飛び出した言葉に、ロスは意味を捉えかねて即答する事が出来ない。
「なんでもないわ…」
要領を得ない彼女の発言に、はいそうですか…と、素直に納得はできない。
さっき部屋から離れたせいか…?
それとも、病気で動けなくなると不安になるアレか…?
正解は何…??
俺は…少なくともいま何処かに行くつもりはないよ…?
「…今日はザハグランロッテちゃんの側にずっといるよ…心配なんだ」
「そう…」
うっ…違うのか…!?
彼女の反応から、求める答えが出せなかったのだと分かった。
かといって別の答えを言う雰囲気でもなく…彼女は寂しそうな表情をした後、そのまま静かに眠りについてしまった。
何て言うのが正解だったのだろう。
『お前は…何処かに行くの…?』
不安がってる様に見えたけど…。
ロスはこの街にザハグランロッテの生活基盤を作りたかった。
その基盤が出来た先に、自分は居ない前提の覚悟をして…。
けれど、今は前提が変わっている。
魔物化を回避するまで、ロスは集中して彼女のために動くつもりだ。
生活基盤はその後だ…。
だからどこにも行けない…。
『何処かに行くの…?』
彼女の不安は魔物化の問題が解決した後、その辺りにあるのだろうか。
もし彼女が、ロスが去る事に不安を感じているのなら。
それは俺だって不安なんだけど……。
ロスの不安は、ザハグランロッテが問題から開放され、自立できるようになった後、自分が必要とされなくなる事だ。
人は飽きる……。
そしてロスはいずれ自分が彼女に飽きられると思っている。
今は安定していないから、いないと困るから…不安が拭えないから……。
俺は彼女の邪魔者になりたくない…。
そもそも、ロスの中でザハグランロッテの立ち位置は微妙に定まっていない。
どこかふわふわした感じのままここまで来てしまっていた。
放っておけない妹のような…?
守りたいと思う娘のような…?
やっぱり魅力的な女性のような…?
分かっているのは、ロスにとってザハグランロッテが大切な存在だということ。
だから、自立後の計画は自分が邪魔にならないもの…つまり、自分を勘定に入れないものになってしまう。
ずっと必要とされるなら…ずっと一緒にいられるんだけどな…。
「…ん…うぅ……ん…」
喉に違和感でもあるのだろうか。
ザハグランロッテは眠ったまま喉を鳴らした。
ロスは濡れたタオルで顔の汗を拭ってやりながら改めて思った。
やっぱ…俺…守りたいんだよなぁ…。
そう思う理由はロスにも分からない。
けれど、そう思った。




