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5 始まりはいつだって予測不能なんだ

アジトの洞穴に戻ったロスは自分の寝床に横になった。

夜明けまで一眠りして体を休める時間はもうあまり無かったが…。


「眠く…ねぇな…」


普段と違う事が起こり、知らず知らず興奮しているのだろう。

寝返りで体の向きを変え、どうせ眠れないならと、明日の事を考える。


明日はどうするべきか…。

頭の中を、いくつかの案が朧気に浮かびかけては霧散していく。


ああくそ…!

こんなんでどうやって寝るんだよ…!


色々な考えが浮かんできて、ロスはとても寝付けそうになかった。






「ロスぅ!起きろ!ブッ殺すぞっ!!」


「……!?ひゃい喜んで〜??」


辺りの様子を見て混乱が深まる。


あれ…?

何だ…?


「ロスぅ!いつまで寝ぼけてやがる!ブッ殺すぞ!!」

怒っているボスを見て、ロスの意識は段々はっきりとしてくる。


「は…すいやせん!」


朝という事はなんとなく分かる。

と…いう事は。


「朝メシですね?すぐ用意出来やすよっ!」


ロスは自分のやるべき事を理解して飛び起きた。


待て待て…俺はいつの間に眠ったんだ…??

確か、眠くなかったはず…。

狐につままれたみたいな感覚に、ロスは納得できなかった。

かといってボスを無視して悩んでいる時間は無い。


朝飯の支度をしながら思い返してみるが、いつ眠ったのかいくら思い出そうとしても眠気があったのかすら思い出せなかった。


そういえば考え事が具体的にイメージできなかった…。

思っていたよりも疲れていた…?


不可解な意識喪失の疑問にモヤモヤしたが、これ以上考え込んで止まってしまえばボスを怒らせてしまう。

ロスはとりあえず、深く考えるのは後回しにすると割り切った。


朝は昨夜の残りを使うので、温めて少し手を加えるだけで完成だ。

こんなに簡単なのに誰もやらない。

少し煩わしいが、それがこの集団の中でロスの価値を高めていた。


朝メシの支度を手早く済ませたロスは、ボスに配膳し、それを終えるとおずおずと許可を得るために話しかけた。


「ボス、ちょっと話があるんですが」


「あぁ?…話しぃ??」


ロスのお伺いに、ボスは食べる手を止めて怪訝な様子を見せる。

問答無用で却下される事を恐れたロスは、断られる前に続きを喋り始める。


「あの…実は地の街に行ってみようと考えてるんですよ」


ボスの表情はピクリとも動かない。


「少し前の仕事の時、見知った顔の奴がいやしてねぇ…そいつに今回の馬車の事を教えてやれば街に伝手が作れるんじゃないかと…」


仕事と言えば山賊行為なのだが、ロスは前に襲った被害者に馬車の件を教えて損をさせた以上の利益を与えようと提案したのである。


そして、それによって街に伝手を作り更に大きな利益を…。

という内容の話をロスはでっち上げた。


ほとんど適当に作った嘘の話だが、街への伝手の部分だけは、昨日の女次第で可能性は残る。


後はボスの反応だけだが…。


ボスは唸りながら考えている。


「それは儲かるんだろうな?儲からんのならブッ殺すぞ?」


考える事を放棄したボスが、欲する結果が得られるのか尋ねる。


「そりゃもう、儲る…とは言えやせんが街の物が手に入りやすくなるんで生活が便利になりやすね。例えばボスの服を新しくしたり…酒も…」


あの堅物そうな女に悪事の片棒を担がせるのは無理だろうし、小心者で小悪党なロスも、悪事を頼むのは嫌だった。

街の物を代理で買うくらいなら頼みやすいし、女に悪い事をさせるわけでもない。


女を助けるリターンとしては悪くない…。


「なるほど…」


何がなるほどなのか分からないが、ボスは納得したような顔をした。

この顔は、きっと何も分かっていない。


「ロスぅ!街で酒を買ってこい!不味かったらブッ殺すぞ!?」


どうやらボスの脳内で『酒と街』の単語が繋がったようだ。


「はい喜んで〜!!」


内容はともかく目的であったボスの許可を得られてホッとした。


「ぎゃははっ!ロスぅ、ボスにブッ殺されないように頑張れよ!?ぎゃはは」


近くで聞いていた他の山賊たちはロスを見ながら笑っていた。

その様子は明らかにロスを侮り、バカにしている感じである。


「へい!ありがとうごぜぇやす!兄さん方もお元気で!」


他の山賊にバカにされてもロスは何一つ動じず、それどころか気付かないフリをしていた。


「ボスは思慮深い人ですから、何か言われたら直ぐに返事すれば問題なんて直ぐ解決ッスから」


「分かってる分かってる!俺たちなら大丈夫さ!」


自信満々の山賊達だが、ロスは内心で呆れていた。

それでも表面上では「流石兄さん!」と、相手を持ち上げて賛辞を贈る事を忘れない。


喉元過ぎれば…か…。


ロスがこのグループに合流したとき、ボスの短気は仲間の山賊たちに向いていた。

当時は、山賊の皆がボスがピリピリした様子にビクビクしていたのだ。

ボスの短気で重症を負ったり、死ぬ奴もいたのだが…。


義理で他の山賊を心配してみたけれど、こちらの気持ちを全く汲み取る能力も無いし…。

死のうが怪我しようがどうでもいいや。

というのがロスの本音だ。


「それじゃあボス!しばらく留守にしやすっ!!」


ロスはボスの気が変わると困るので、直ぐに走ってその場を後にした。


少し後ろの方で早速ボスが怒鳴り散らしているのが聞こえたが、それはもう自分にはあずかり知らぬ事だと考えた。

他の山賊たちも、ロスが被害を防いでいたのだと気付くのにそう時間はかからない事だろう。




女に案内した隠れ家まで、特に問題なく到着した。


「やっぱ、明るいと移動は楽だな」

そう独り言を呟きながら扉をノックした。


「…………」


反応が無い。

けれど、ロスも学習しているのだ。


この女は警戒心が強い…。

ちゃんと俺だと分からない限り開けてくれそうにないよなぁ…。


ロスはもう一度ノックした。


「…………」


やはり反応は無い。

扉を開けようとしたが、鍵はしっかりと掛かっている。


鍵が…って事は中には居るな…。

その事実に、安心した。

問題はどうやって自分の事を分かってもらうかだが…。


しまったなぁ…。

そういえば名前言ってないし、あの女の名前も知らねぇや…。




部屋に響くノックの音に、ザハグランロッテは身を硬くしていた。


誰…?


この建物の外は依然として、身の安全が保証されていない。

だから私は安全が分かるまで迂闊に動けない。


「おーい、俺だ。俺だよ俺」


男の声…?

あの男だろうか。

可能性としては高い。

けれど、自分の記憶に自信はない。

それに違った場合のリスクを考えると、もう少し情報がほしい。


ザハグランロッテは、自分から行動を起こせず、ジッと待つことを選んだ。






「…………」


やはり反応が無いな…。

もしかして倒れてる…?

それともまだ寝てるのか…?

誰か分からないから反応しない…?

いや…何となく分かるだろ…?

それともアレか…?

アレしないとダメなのか…?

アレ…アレかぁ………。

ロスはアホらしい気持ちになりながら合言葉を口にした。

扉をノックして…。


「はい喜んで〜!」


「…………カタ…」


おっ…?反応あり…??

ロスは女が起きていると確信した。

後は警戒を解いて安心させるだけだな…。


「おい、居るんだろ?俺だよ。あの…あ〜何だ?はい喜んでだ」


はい喜んでだってなんだよ…。

自分で何を言ってるんだと思いながら、名乗ってないし、女の名前も聞いてないのだから仕方無いと自分に言い聞かせる。




『俺だよ、はい喜んでだよ』


ザハグランロッテは力が抜けるほど呆れたが、まあそれも仕方ないと考え直し、鍵を開けにドアに向かった。



ロスの耳は、部屋から微かな音が扉に近付いて来るのを捉えていた。


やべぇ…何を喋ればいいんだ…?

ロスは始めの言葉を考えていなかった事を後悔した。


そして、ロスの後悔に対策が追いつくことは無く、扉の鍵が「カチャリ」と鳴り、扉がゆっくりと…少しだけ開いた。


不安だったろうし、あのまま寝られたかな…?

やっぱ安心させたいよな…。

ロスは女を気遣い、作り物だが頑張って笑顔で目を合わせた。


「……なによ…不気味な顔をしないでもらえるかしら、気持ち悪い」


思いやりを込めたつもりの渾身の笑顔は、ロスの気持ちごと粉々に砕かれた…。




扉を開けた私を見て、男の表情がアレコレと微妙に変化し、最終的にヒクヒクした笑顔に収まったのだが、あまりに不気味だったので、そのまま伝えたら思ったよりも傷付いてしまったようだ。


これは私が悪いのかしら…?

納得はいかないが、反省した方が良いのだろうなと思った。


「俺は、はい喜んで。分かるだろ?安心して良い」


「……………お前……さては馬鹿ね」


しゃきっと立ち直ったかと思えば、あまりにもアホらしい言葉を続けるものだから、私は反省を忘れてまたしても真顔で返してしまった。


安心…?

気が抜けるの間違いじゃない…?


「いや!あのさぁ、俺が場を和ませようとした努力に対して酷くねぇか?そりゃ、ちょっと話す内容を考えてなかったからアレだったのは認めるけど、酷くない?」


私の反応に、男は憤慨しながら憤りを訴えてきたけれど、私は暗い雰囲気にならなくて内心かなりホッとしていた。


「お前がそうさせている自覚は?」


「ある!いや、それはあるけどもだな!」


女の冷めた対応は想定内だが、想定以上の冷めきった顔と声が心を傷付けるのだ。

もう少し自分の気遣いを汲んでくれても…と思わずにはいられない。


「俺だって名前の代わりに『はい喜んで』はおかしいと思ってるよ!?おかしいに決まってるじゃん!けど名乗って無かったんだから仕方ないだろ!?」


それは…確かにそうなのよね…。


「それに!いまお前の中で俺の名称なんて、どうせ『はい喜んで』なんだろう!?どうせそうなんだろう!?」


「…それは…確かにそうね…」

女は少し驚いた表情でロスを見返していた。


「おい、その顔…『この男、実は少しだけ…ホントにノミ位だとは思うけれど、ひょっとして賢いのかしら?』とか思ってる様に見えるぞ?」


いや…思ってないけど…?

そんな風に見えるのかしら…。


「……その通りよ」


「その通りじゃねえだろ!そこは否定しろよ!おっかしいだろが!?」


私は思ってもいない男の考えに、悪ふざけでつい乗っかってしまった。

男の自虐に乗ったことが可笑しくて、私は笑いを堪えなければならなかった。


「お前…もしかして笑ってんのか?」


「…はぁ?私が笑うわけ…無いでしょう」


ロスは女がまた自分を馬鹿にしていると思い、憤慨したが、女は少し驚いたあと、済まし顔を取り戻した。





…あの時のザハグランロッテちゃん、可愛かったんだよなぁ。





少しだけど彼女から笑顔を引き出せた。

その変化はロスの望む方向であり、少しだけ心が和んだ。


「はぁ…もういいよ。それよりこれからの事を話そう」


和ませ作戦はギリギリ成功かなと思いながらロスは話を本題に戻す。


「地の街までは歩きで1日半くらいかな?まぁ行けない距離じゃない…君は?歩ける??」


「歩く以外の方法が無いのだから仕方ないでしょうね」


「おーけい。じゃあ後は歩きながら決めるとしよう」


チラリと女の足を見て、到着までの時間を予測する。


歩くのに不向きな靴だな…。

着くのに倍の…3日はかかるかもな…。

ロスは大変な道程を想像したが、それを隠して陽気に振る舞う。


「こんな可愛い子と旅だとか、盗賊冥利に尽きるなぁ」


自分で言ってて意味が分からなかったが、しみじみした感じを出し、わざと女に聞こえるように言った。


せめて気楽にしてて欲しい…。




男の言動は、その節々に自分への気遣いが込められていた。

いままでに出会った事の無いタイプね…。


「お前…ずいぶん趣味が悪いのね。お前自身も可愛げが無いと言っていたはずだけど?」


「おいおい、可愛さってのは内面に宿るもんだぜ?あんたの場合はそれが微かに出てる。微かにしか出ないところが良い…ような…気がするような…?…とにかく!本当に可愛げが無い奴なら助けようなんて思わないさ。なんせ俺は悪党だからな!」


趣味が悪い…女に言われた言葉に、ロスが反論できる部分は少ない。

しかし、基本的に女っ気の無い所にいたせいで、属性が女というだけで本当に可愛く見えるのだ。


下心満載だし…うん、これは善意じゃない。あくまでも、俺の利益が目的…!


「私はお前が嫌いよ」


「助けが必要なこの状況で、それを口にできるのは凄えよ」


マジで凄いなこの女…。

ロスは冗談抜きで心から驚いた。




男がなぜ好意的なのか…私は全く理解できなかった。

理解ができないのだから、当然男の対応は不気味に映る。


だから私は、馴れ馴れしい関係を避けようと考えた。

単なる利害関係の方が分かりやすいし、きちんとした判断もできる。

そもそも私は好意的な相手とやり取りした事がないのだ。


一方で嫌いと言われたロスは、女の声色から本音ではないのだろうなと考えた。


そうでないと心が…。

まあ…地の街なんかで育てば…ひねくれるのは仕方ない…。


「ところで…今更なんだが、何であんな所に1人でいたんだ?」


「今更にも程があるわね…」


女は呆れた感じだが、そこに至るまでの出来事を掻い摘んで説明してくれた…。





「はぁ〜?つまり、隣町に行く途中でゴブリンの群れに襲われて、護衛とギクシャクしたから別行動で逃げたと。……………それ、危ないと思わなかったの?」


いくら護衛と揉めたからといって、戦えない女が1人で別に逃げるのは自殺行為だろ。

やっぱりこの女…少しおかしいな…死んでもいいと思ってるのか…?



「私が悪いのは分かっている」


男の視線が不愉快で、私はそれ以上何も聞きたくないと思った。

どうせお前が悪いとでも思っているのだろう。

性格も口調も、今更直るものでもない。


けれど、男が発した言葉は、私の予想とは違うものだった。


「いやぁ…どちらかと言えば護衛の力不足が原因だろ。相手の心象なんか仕事に持ち込む方がおかしいんだ…とはいえ、その護衛も地の街の奴なんだろ?だったらいい加減でも不思議はないけどな」


ロス的には戦闘能力の無い女を1人で放り出すような護衛など「護衛の資格無し!」としか思えなかった。



自分の事を否定しない男に、ザハグランロッテはどう反応すれば良いのか分からない。


「というか、その護衛に腹が立ってきたな!」


男はそう言って、本当にイライラしている様子を見せた。




おっと…こんな姿を見せたら怖がるかも知れん…!

女の事を想い、ロスは直ぐに態度を改める。


「地の街の人間にまともな奴は少ないし…期待するだけ損だよな!ははっ」


怒った姿は怖がらせると思い、陽気に振る舞おうとした。

けれど、今度は女の受けた不遇が頭に浮かび、気分が沈むという体たらくを見せてしまう。


「なんでお前が落ち込むのよ?私には馬鹿の考える事がよく分からないわね…」


不思議そうな女の様子に、ロスはため息をついた。


「はぁ…分からないならいいんだ。ところで嬢ちゃん、名前は何ていうんだ?俺の名前はロス・グレイブ。ロスって呼ばれる事が多いな」


女はロスの質問にしばらく考える様子を見せたあと、静かに名乗った。


「私は……ザハグランロッテ・スカーバラよ」


没落後は『ザハ・グランロッテ』という偽名を使っていたのだが、このロスと言う男には本名を名乗ってみたくなったのだ。


「スカーバラ…」


ロスは家名を聞いて驚き、そして妙に納得してしまった。


「スカーバラっていうと…あの名家のスカーバラ?」


「そう…没落と嘲笑の家名よ…」


この時、言葉を濁しながら見せた彼女の表情は、ロスの脳裏に深く刻み込まれた。


そうか、だから…。

短い会話だが、その中で彼女の境遇を察したロスは、いままで感じていた異常性の理由が分かったような気がした。


「そうだな、昔なら名家の家名に誇りを持てたかも知れないが、確かに今は名乗りにくいよな…」


「そう…だから馬鹿にしたければそうするといい」


彼女の一言は、ロスの想像が正しい事を表していた。


「おいおい、ちょっと待てよ。家名とアンタの価値は一緒じゃ無いんだ。まぁ、家名で呼ぶと問題を呼び寄せそうだから呼ばないけどな」


そう言って、ロスは軽い感じで笑ってみせた。



この男なら、私の事も家名で馬鹿にしないだろうという予感はあった。

そして私の思った通り、男は私の家名を聞いても態度を変える様子はなかった。


それが妙に面映くて…。


「俺はザハグランロッテちゃんはザハグランロッテちゃんだと思うぜ!?スカーバラの家名の方がおまけなんだよ!」


私が密かに安心していると、男は何を思ったのか突然私の名前をちゃん付けで呼び始めた。


「ちゃん…?まぁ、ここまで落ちぶれたならそれも仕方無いわね…」


面と向かってちゃん付けするような侮辱は初めてだったが、没落とはそういうものだといつものように心を凍らせる。


「何だよ!ちゃん付け、可愛いじゃねぇか!ザハグランロッテちゃん…ほら!?悪くないだろう??」


「…………」


何を言っているのだろう。

悪意も無く侮辱でも無いとしたらとんだ辱めだ…。


返答する気にならず、無言で歩いていると、橋の手前で男は突然、茂みに身を隠すように指示を出してきた。


「どうして隠れるのよ」


橋の直ぐ側で身を隠すロスに、彼女は怪訝な顔を向ける。

言葉通り隠れる理由が分からないからだ。


「あぁ、俺は盗賊だからな。普通は捕まらない確信が無いと人前には出ねぇんだよ。捕まりたくないしな…」


ロスの言い分に女は「そうだったわね」と男が賊なのを思い出した。


「それに…ザハグランロッテちゃんの姿を見たら俺が襲ったと勘違いされそうだし…身元確認されたら…もう終わりだろうしなぁ…」


道中でゴブリンに襲われ、森の中を逃げ回った女は、暴漢に襲われた様な姿に見えなくもない。


「何か…そう思ったら…」


意図的に意識しない様にしていた彼女のくたびれた姿に、ロスは色気を意識してしまった。

頭を振り馬鹿なことを考えないようにと意識を戻す。

女だろうと汚れれば匂いは出る。

男と違うのは、その匂いにオスを惹き付ける何かが存在する事だ…。


「お前のその感じ、凄く不快ね」


彼女の言葉で我に帰ったロスは嫌われたくなくて、さり気なくを装いながら必死に誤魔化そうとした。


「すまん。ちょっと色っぽくて邪な目で見てた。えっと…この先は…橋…」




邪な目…男が性的な目を向けるのは、生物として普通の反応である事は理解できる。

だけど、身に危険…危機感を覚えるのも仕方ないわよね…。


気持ち悪いけど…。


この男は一応誤魔化さずに謝ってきた、だから私はこれ以上追求しないで話題を変える事にする。


「……この前の雨で橋が壊れてるのよ。馬車だと通るのが難しいから立ち往生しているって所でしょう」


自分の性欲を追求せずに流してくれた彼女に感謝しながら、ロスはこの後について相談を持ちかけた。


「俺は極力、人に会わないで街まで行きたいんだけど…どうする?あそこにいる奴らに頼めばザハグランロッテちゃんを街まで連れて行ってくれるかも知れないけど…」


でも…。

出ていけばきっと酷い目に合う…。

だからやめた方がいい…。


そう思ってもロスは口にしない。

そうならない可能性もあるし、自分に付いてきた方が大変な思いをするかもしれないからだ。

ここは彼女の判断に任せようと思った。


「冗談でしょ?街の連中に弱みを見せれば食い物にされるだけよ。それこそ骨も残らないわね。その点お前なら私の方がお前の弱みを握っているのだから安全というものよ」


「…俺の弱みって……逞し過ぎん…?」


予想よりも強かな返答にロスは苦笑してしまった。


一緒に人前に出れば、自分が暴漢に見える…そう考えれば確かに弱みを握られているな…。


言いがかりに近い弱みだが、彼女の答えにロスはホッと胸を撫で下ろした。




ザハグランロッテは、ロスが突然自分を放り出すような事を口にしたので思い切り腹を立てていた。

ここまでの気遣いは嘘だったのかと思い、脅して罵倒してやろうと思ったのだが、自分の返事に心底ホッとしている様子は、とても見捨てるつもりだったとは思えなかった。


本音が…読めない男ね…。

ロスの本心が気になったが、他人の心はいつだって覗くことはできない。


「俺を信用してくれるならちょっと遠回りになるけど迂回して渡れる所を探そうか。そうなると…嬉しい事にこれでザハグランロッテちゃんとの旅も延長だな」


ロスは彼女の判断を大袈裟に喜ぶ事で肯定してみせた。

助けるのは嫌々じゃないってアピールのつもりだったのだけど…。


そんなロスの様子をザハグランロッテにジッと観察されて居心地が悪い。




この男が私を嫌っているようには見えない。

けど、突然投げ出されるのは困る。

だから私は、自分を守るため、いつ捨てられてもいいように心構えが必要なのだ。


ロスとザハグランロッテはお互いの腹を探りながら、街道の橋を避けて森の中を歩く。

迂回と言っても別にかなり離れた場所まで行く必要は無い。

街道の橋から見えない位置で川を渡れさえすればいいのだ。


「うーん。今日は、川を渡ったら野宿になるな、時間的に。俺が渡れるか試してみるからそこで待ってて」


ロスは深さと水流の強さを確認するために川に近付いた。


うげぇ…凄え冷たそう…。

嫌だなと思いながら川の中にジャブジャブと音を立てながら入っていった。


「うおっ、やっぱ冷てぇな。…川底の苔は…大丈夫そうだな」


些細な事と思うかもしれないが、滑って転べば怪我をするかもしれない。

怪我をすれば大袈裟な話じゃ無く、街まで辿り着けなくなる可能性があるのだ。

その場合、待っているのは苦痛を伴った死だ。



ブツブツと独り言を言いながら川を渡るロスを、私はジッと見る。

あの独り言のように呟いている言葉は恐らく私に向けたものなのだろう。

ここまで行動を共にして、そういう細かい気遣いをする男なのだと理解した。


川を渡り切ったロスは、もう一度川を渡って私の側に戻って来た。


「うーん。二人とも濡れる必要は無いかな。俺が濡れない様に運ぶのが良いと思うんだけど。その女物の服は乾くのに時間もかかりそうだし…どうする?」


ロスの提案は私を気遣っての事だろう。

その気遣いに感謝し、素直に運んでもらおうと考えていたら、男は余計な言葉を追加してきた。


「可愛いザハグランロッテちゃんとくっつきたいな〜とか…」


無言のまま考えているザハグランロッテに、ロスは恥ずかしくなってつい要らない事を口にしてしまった。

そんなロスに、ザハグランロッテは溜息をついた。


「はぁ…仕方ないわね」


感謝したのが馬鹿らしくなったが、私は嫌な素振りを見せながらも時間が惜しいと提案を受け入れた。

冗談なのだろうが、もう少し上品な感じに言えないのだろうか…?




…はぁ!何かいい匂いがっ!


ザハグランロッテが嘆息しているのに気が付かないロスは、脳髄にガツンと一撃食らったかの様な衝撃を受けていた。


これは、想像以上に興奮するな…。

ロスは正気を保ち、カッコつけようと思っている。

だから匂いに悦んでいるなんて、絶対に悟られてはいけなかった。


「よ、よし…じゃあ行くぞ…?」


冷めた表情のザハグランロッテを、ロスはお姫様抱っこの形で抱き上げた。

彼女を濡らさない様に運ぶには、この形か肩車しかない。

服が川に浸からないように気を付けながら渡っていく。

…という態度を必死に見せる。


体が密着する分、ザハグランロッテの汗の匂いまでよく分かる。

やっぱ数日経てば、女でも汗臭くなるんだな…なんか…良い!

俺の好きな匂いだ…甘い…。

もっと嗅ぎたくなる匂いだ…。

もっと時間をかけたい…。


一方で、ロスに抱えられたザハグランロッテは、汗臭い男の臭いがするのを覚悟していた。

けれど、一度川を渡ったせいか汗の臭いはほとんどせず、それとは別にコーヒーの良い香りが少しするだけだった。


というか、コーヒーの匂いが染み付いているのかしら…?


「ん…もう無理…。落ちる…」


「…!?ちょっ!ちょっと!もっと頑張りなさいよ!?」


突然ギブアップを口にされ、このまま川に落とされるなんて冗談じゃない!

ロスの腕がプルプルと震えているのが不穏で仕方なく、私はとにかく発破をかけた。






ロスの予定では、彼女を抱えてかっこよく川を渡るはずだった。

少なくとも頭の中では完璧な作戦だったし、出だしは余裕だと思っていた。

しかし、それはどうやら自分の願望だったらしい。


彼女…というか一人の人間を、一人で抱えて川を渡るのは普通に厳しかった。

こんなにもしんどいものなのかと…渡っている最中、ロスは何度も何度も諦めかけていた。


女の匂い…等という甘美なフレーズも、実はしんどさから逃げる為の口実でしか無かった。

匂いに興奮を覚えていられたのもほんの数秒程度…10秒もすればおや?と思い、後は地獄の耐久レースだ。


結構始めから無理かもと思ったけれど、それだとカッコ悪すぎると思って口に出せなかったのだ。


ザハグランロッテちゃんの匂いが最高だったのは本当だけど…。

ロスはプルプルと震える腕を撫でながら「頑張った俺…偉い!」と自画自賛した。


「情けない奴ね」


自画自賛中のロスは、ザハグランロッテから放たれる冷たい言葉も、達成感に包まれ全く効かなかった。


「今日はここで野宿するから、ザハグランロッテちゃん水浴びしたかったら暗くなる前にしても良いよ?俺はそのままでも魅力的だと思うけど…」


ザハグランロッテは自身の体をクンクンと嗅ぎ、臭くないか確認する。


「とりあえず…お前、最低ね」


「えぇ?俺はザハグランロッテちゃんは最高だと思うけど」


よく分からんが、とにかく褒めとけ作戦でロスはお茶を濁す。


「それにしても、可愛いさと重さって関係なかったんだなぁ…」


未だに残る疲労から、よく分からない感想がポロポロと零れでる。


「お前…そろそろ黙った方が良いんじゃないかしら」


そう言いながら少し恥ずかしそうに見えるザハグランロッテがとても可愛く見えた。


「ちょっと疲れたなぁ…」


ロスは川辺の岩の上で大の字に仰向けになると頭上の空が雄大に広がっていた。


「あぁ…」


何だか青い空が遠くて…とても高い位置にあるのに深い海の様に見えた…。


「そうだ。タオルはそこに置いてあるからね」


空を見たまま、ロスはザハグランロッテの胡散臭そうなモノを見る表情を想像する。


「見張りをするなら覗くんじゃないわよ…それと眠るんじゃないわよ」


ザハグランロッテは水浴びに向かった。


「やっぱり…可愛いと思うぞ…」


どこか自暴自棄に見えるザハグランロッテだが、この短い付き合いの中で、それを変えてやりたいと思えるくらいの愛嬌をロスは感じていた。




この男はやっぱりおかしい…。

私は服を脱ぎ、川の中で男を罵倒する。

私の事を重いだの可愛いだのと…。

カッコつける割にカッコ悪いし…。

人の匂いに喜んで気持ち悪いし…。

………。

そんなに臭く無かったわよね…?


あの男が変なせいで、私は色々どうでも良いと思っていた事が少し気になり始め…それが妙に気に入らなかった。








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■内容はほぼ同じですが、性的描写を省いていないバージョンです


【R18】因果の否定、混沌の世界でハッピーエンドを渇望する物語



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