25の1 カルルの憂鬱
6月下旬から7月上旬
私の名前はカルル。
旦那が一人と、あ…旦那は普通一人だよね。
それとまだ小さな…可愛い可愛い子供が一人いる人妻です。
毎日の暮らしは困ることもあるけど、何とか工夫して頑張ってる。
それから毎日を楽しく、それなりに楽しくやれてます!
子供は女の子なんだけど、とっても可愛い。
貴方だって見たら私みたいに頭がとろけそうになると思う!
旦那は真面目な性格で、大工をしてるんだけど、稼ぎもそんなに悪く無い。
不満があるとすれば出会った頃に比べて私への扱いが少し雑になっている事くらいかな。
でも、それだってある程度は仕方ないと思ってるし、どこの家だって不満はあるよね。
とにかく!
普通にある、ちょっとの不満とまあまあの幸せを感じる生活に、私は満足して楽しく暮らしていたの。
そんな普通が壊れたのは本当に突然だった。
いま思い出しても恐くて動けなくなりそう。
幸せと言えた私の暮らしは、あのとき急に…本当に突然、不安と恐れを持つものに変わってしまった。
キッカケは子供と買い物をしていた時のことだった。
私の大事な子供が、歩いている人とぶつかってしまったの…。
『バリンッ!』
ガラスの割れる音が響き、カルルは音の元に目をやった。
そこには割れた瓶にガラス片、飛び散った液体と染み込んだ地面があった。
キョトンとした娘を見やり、カルルは事態を直感的に察した。
これ、駄目なやつだ……!
「す、すみません! ほら、シャルルも謝って!」
カルルは即座にペコペコと謝り、娘のシャルルにも謝るように促した。
「ご、ごめんな…さ」
「ご…ごめんで、済むわけないだろうがッ!! どうしてくれる! これは蒸留ポーションなんだぞ!」
男は既に怒っていて、シャルルの謝罪を遮って怒鳴り始めた。
その怒り方は激しく、カルルは恐れで上手く考えることができなくなった。
「じょ、蒸留ポーション!?」
驚いては見たものの、蒸留ポーションが高価だという事以外、どういう物かはよく知らなかった。
ただ、男の形相から稀少で高価な物なのだろうと認識した。
「ご、ごべん゛…な゛……ふふぇ…うわぁぁーん!!」
『泣く娘』『怒る男』『高価』『蒸留ポーション』…4つの単語がカルルの頭の中をぐるぐる回り、どうすればいいか分からない。
あ、謝らなきゃ……! 娘をあやして…それから、それから…あーもう分からないよ…!!
頭は動いているだけで何も考えられていない。
これでは何も解決しないし話も先に進まない。
カルルは身動きができずに固まってしまった。
その横では、愛娘のシャルルの泣き声で周囲の視線が集まっている。
注目がカルルの焦りを助長し、彼女の余裕を更に奪っていく。
「おいクソガキッ!お前のせいだろうが! 泣いてんじゃねぇぞ!!」
「す、すみませんでした!娘には私から言い聞かせますから!それに、弁償もします!」
「あぁ…大丈夫だからねシャルル。お母さんが何とかするから」
どうしよう…どうしよう…どうしたらいい…どうすればいい…ああ…どうしたら……!
「弁償だぁ?そんなの当たり前だろうがッ!!」
もう怒らないで……!
娘の不安を取り除きたい。
カルルはまず相手の怒りを鎮めたい思いに駆られた。
娘は、この男の人が怒っているから怖がって泣いているのだ。
そ、それに…!
娘が泣いて、この男も余計に腹を立てていると感じた。
自分が謝って、損害を補償すれば怒る理由も無くなるはずだ。
「白金貨5枚!」
男の口から出た言葉だ。
「え?」
カルルは急に言われた、その金額にピンとこなかった。
「白金貨5枚で許してやるって言ってんだよッ!!」
そんな……!?
白金貨5枚といえば、私と旦那の1年間の稼ぎよりも多い金額だ。
今度は頭の中で『白金貨5枚』『無理』『破産』『シークス』『奴隷?』『離散…』『許し』『安く』といった言葉がぐるぐるし始めた。
ああ…あぁ…。
「そんな!そんなに高い物!?」
蒸留ポーションがどれだけ高価な物か、カルルには分からない。
けれど、そんなに高い物を弁償する余裕は流石に無かった。
「あたり前だろうがッ! 不純物を除いた高濃度ポーションだぞ! 一般的なポーションに換算すれば白金貨8枚だ!!」
「うわぁぁーん!」
「シャルル!?大丈夫だから、落ち着いて?ね!」
はあぁ…ど、どうすれば、だ、誰か…!
「払えないならそのガキでも自分でも旦那でも、身を売ってでも金を作りやがれッ!」
身を売る…?
つまり奴隷になるという事だ。
奴隷はともかく、それは一家離散を意味するのだ。
家族が離れ離れ…それは絶対に嫌だと思った。
そんな提案をカルルは受け入れられなかった。
「お、おお、お金は払います!」
どうやってとか、そんな事は分からないけれど、今はそう言うしか無かった。
「1ヶ月だ! 1ヶ月だけ待ってやる! 払えなかったらお前らを売る! 恨むんじゃねぇぞ!!」
1ヶ月……!?
「そ、そんな! 1ヶ月だなんて!? 短すぎます!」
「うるせぇ! こっちだって納品出来なきゃ、代わりに金を払うしかねぇんだよ! そうしねぇとお前らのせいで俺が終わりなんだぞ!」
カルルは期間の短さに抗議したくなったが、相手の言い分は真っ当だと思ったし…何よりシャルルが心配でそれ以上のやりとり自体が堪えられなかった。
うう…。
結局カルルは逃げる様に男の要求をのみ、言われるがまま自分の住んでいる場所を案内した。
支払いから逃げられない様にする為らしい。
カルルの話を聞いた旦那は怒らなかった。
「キツい額だな…まぁ、働くしかない」
そう言って、今まで以上に仕事をするようになった。
それでも、1ヶ月以内に白金貨5枚はどう考えても無理だ。
だから旦那は、なるべく稼いで交渉するつもりのようだ。
有り難いと思った。
けれど、仕事を増やした弊害で、家族の時間は減り、旦那と相談する時間も満足に取れなくなってしまった。
満足に相談もできず、カルルの心は次第に弱っていった。
どうすれば…。
支払いの期日は刻々と迫っている。
カルルは、解決策の無い袋小路に追い詰められていた。




